第三百五十六話・京より来る者

Side:久遠一馬


 尾張では麦の収穫と遅植えの田植えが始まっていた。裏作の麦の収量は平年並みだろう。


 二毛作を行っている農業試験村では、この時代にはない新品種になる麦の栽培テストをしていたが、収量はまずまずだった。ただし安定した米作りを目指すなら、裏作は麦以外の豆科などの作物も増やすべきだろう。


 今年も熱田祭りの季節がもうすぐなので、昨年の津島に続き花火大会の準備とかしていたんだけど、予期せぬ訪問者がウチに訪ねて来た。


「わざわざ京の都から尾張まで来られたとは」


 ウチに来る訪問者は多い。仕官希望者も相変わらず多いが、最近はオレが会うことはほとんどない。基本的に資清さんにお任せしている。


 織田家中の、せめてオレが知っている人の紹介状でもあれば別だが、いちいち会っていたらきりがないんだよね。


 血筋や家柄をアピールするものの、証明するのが難しい人ばかりだし。そもそもウチはその手の優遇採用はない。血縁も就活のトライアルチャンス程度だから。元の世界では、自己ピーアールは特技や能力だけど、この時代は血筋や家柄が最大のピーアールポイントになるんだ。


 はっきり言うと、血筋や家柄は無駄にしがらみが増えるのでほしくない。マイナスになっていると言ってもいいかもしれない。史実の偉人クラスならまた話が違うけどさ。


 基本は忍び衆の外部委託、臨時の諜報員として当たり障りのない任務を与えるか、警備兵の訓練に入れて終わりだ。ウチで雇うのは諜報員や警備兵の仕事で実績を積んだらと言ってある。それが気に入らないと辞めていく人が多いけど。


 今日やって来た人はそんな仕官希望者とは少し違う人。用件がちょっと違うのでオレが会うことにした。


 彼の名は曲直瀬まなせ道三。史実の医聖だ。


 用件は医術を教えて欲しいということ。


「是非、久遠様の南蛮医術の教えを受けたいと思い参上致しました」


 確かこの人、それなりのいいとこの素性だったはず。その割に腰が低いね。難しい頼みだと理解してきた。行動力は評価する。ただ、知識が秘匿されている時代にすんなりと教えるのは難しい。


「いろいろ勘違いが広がっておりますが、当家の医術は南蛮から学んだ部分もありますが、当家の者が長年に渡り築いたもの。単純な大陸や南蛮の医術ではないのですよ」


 ウチの医術はすっかり大陸や南蛮医術だと誤解が広がっているんだよね。そもそもこの時代だと西洋医学はそこまで発達してない。


「構いませぬ。是非お願い致しまする。いかなる条件も従う所存」


「と言われましてもね。実は他国の者には教えていない当家の秘伝なんですよね」


 曲直瀬さんは関東の足利学校まで行って医術を学んだらしく、京の都で診療所を開いていたらしいが、ケティの噂を聞いてわざわざ診療所を閉めて訪ねてきたみたい。


 史実の偉人だが現時点ではそこまでの地位ではないようで、京の都でそれなりに評判な町医者だった程度らしい。


 問題は医術に限らず、ウチの技術は他国の人間には基本的に教えてないことか。病院も学校も織田家の領民向けなんだ。病院は他国の患者でも来れば診ているけど。


 史実の偉人だしね。追い返すのはもったいないけど下手な例外を作ると後々面倒だし、これ以上ケティの評判を上げれば、本当に畿内に呼びつけようと考える者が現れかねない。


 信秀さんは戦をしても守るというが、なるべくなら穏便に済ませたい。織田に従う人たちを巻き込むより、最悪密かに始末したほうがマシだ。


 ちなみにケティの噂は、織田領の外に出ると、現時点では眉唾物として扱われている程度だ。南蛮の女に医術などまがいものだと否定的な意見もあるし、尾張にはロクな医師も薬師もいないと笑われてもいる。


 京の都の人からすると尾張は田舎なので、素直に認められない感じらしい。自分のいる場所が日ノ本で一番先進的であると思っているのだろうね。堺の商人を見ても同じような感じがする。


「医術は使い方次第で貴人や多くの民を害することにもなる。よく知らない人にお教え出来ませんよ」


 悪い人じゃないみたいだけど、特別扱いはしない。この人の史実の活躍を見ると影響力が大きすぎるから、厳しい制約でも付けないと怖い。


 北条のように領民のことを考えてるところや織田家の利となるなら別なんだけどね。


 それに時期もよくない。畿内に関わりたくないこの時期に畿内で活動する彼に医術を教えると巻き込まれる危険がある。


 将来的に織田家が畿内を制しでもした時ならよかったんだろうが。


 もちろん医術・医学は発達させて、様々な医療を発展させ広げたい。ただ下手に教えて厄介な人が長生きしたり、悪用されるとこまるんだよね。


 申し訳程度だけど、旅費の一部にでもしてもらうようにお土産を持たせて返すか。




Side:曲直瀬道三


 やはり駄目であったか。織田様や久遠様は民を労わるお方だと聞いて、京の都から遥々来たのだが。


 それにしても尾張は平穏で活気があるな。京の都は荒れておるというのに。越前や駿河もそうだが、尾張はそれ以上に思える。


 久遠様の屋敷を後にして那古野の町を歩いてみるが、多くの屋台が出ておる。それに乱暴狼藉を働く者も見られず、子らが外でのびのびと遊んでおるわ。


 おお、あれが織田学校か。なんと立派だ。足利学校にも劣らぬであろう。あちらは病院と言うたか。こちらも見たことがないほど立派だ。しかも銭を払えぬという貧しい民でさえも診ておるというのはまことのようだな。


 うむ。習えぬまでもせっかくここまで来たのだ。医師の診察を受けるくらいはよかろう。


「他国からのお方からは診察料を頂いておりますが、よろしいでしょうか?」


 驚いたのは入り口で刀ばかりか脇差すら預けねばならぬことか。しかも身分がありそうな武士でさえも素直に従うておる。


 まずは武家の侍女のような女に生まれと住まいを聞かれたので答える。領国の者とそうでない者には差を付けておるのか。それと最初に身分に関わらず診察の順番は医師が決めると釘を刺された。


「大まかには来た順番です。病や傷の状態によっては先に診ることがありますが、これはどなたでも変わりありません。ご納得が頂けない場合は清洲の大殿様に訴えてください」


 銭を払うのは構わんが、順番について随分と念入りに説明をするので訳を聞いたところ、待たされることや順番が違うと怒る者がおるのだという。


 中には脇差を預けるのをあらがう者もおるようだが、診察をしておられるのが久遠様の奥方様なのでそこは譲れぬようだ。


 尾張に来てから聞いた話だが、久遠様は織田様の猶子となられたとか。恐らくそれを知らぬ他国から来た者が騒ぐのだろう。


 おお、診察を待つ部屋には畳が入っておる。これは具合が悪い者が横になれるようにとの配慮であろう。


 なんと書物までがあるのか? 聞けば患者ならば見られるものだとのこと。盗んだ者は死罪だとの張り紙があるわ。


「もし、それはなんでござるか?」


「桃太郎という絵本でございますよ」


「ほう、これはいい」


 わしも一冊見てみようかと思ったら、商人の親子が読んでおった色鮮やかな書が目に入った。


 絵解きの書かと思ったが、いかにも違うらしい。


「これは竹取の翁の物語か?」


 桃太郎という話は生憎と知らぬが、竹取の翁の物語を記した、絵本と呼ばれる書があった。


 絵が半分に文字が半分か。読みやすいように書かれた文字なので少々学を積めば子でも読めよう。それに絵が綺麗で分かりやすい。


 これはいいと思い、ほかの書も見てみるが、手足を清め体を洗い歯を磨くことが病にかかりにくくなると記された書がある。


 著者は久遠ケティとある。誰だ? 噂の薬師の方か?


 ほかにもしょくり方、摂るべきさいなど、様々な日常の暮らしでの助言が記されておるな。これはいい。一言一句覚えて帰りたいわ。


「はーい。初めまして~。今日は旅の途中に寄ったんですね。では診察します!」


 うむ。医師は本当に年若い娘ではないか。しかも見たことがない色の髪を両肩に垂らすようにふたつに分けて結っておる。これが噂にきく南蛮人か。


 診察のやり方もまったく違った。よくわからない器具を使う上に、なにをしておるのかもよく分からん。心の臓の音でも聞いておるのか?


「特に悪いところはないよ。えーと、曲直瀬……どの?」


 これでも医師だ。己の体には気を付けておるからな。だが診察をした娘の医師がわしの名前で少し驚いた顔をした。まさかわしを知っておるのか?


 それにしても清潔な診察の間だ。よく分からぬところも多いが、患者の様子とこの診察の間を見ればいかに優秀かが分かる。


 惜しいな。なんとかならぬものか。





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