第三百四十九話・とある忍び

Side:とある素破


 いい気なものだな。故郷を捨てて一族も捨てた裏切り者の分際で。堂々とお天道様の下を歩いておるばかりか、昼間から酒を飲んで女どもと騒ぐとは。


 奴のせいで残った一族がどれだけ辛い思いをしておることか理解しておらぬのか?


 裏切り者は必ず殺せ。それが主命だ。さもなくばわしの家族を含む残った一族を根切りだと言われておる。


 尾張に入り十日。裏切り者とその家族を始末する機会を窺っておるが、なかなか難しい。裏切り者は常に複数の者と行動を共にしておるし、腕利きが周囲には多いようだ。


 年老いた両親もおるが、こちらも意外に隙がない。同じ素破たちの家族と互いに助け合っておる。


 許せぬのは裏切り者とその両親が日々贅沢をしておることだ。飯は日に三食も食べるばかりか米の飯をあさゆうなに食うておる。


 故郷の村など米が育たぬ故に、晴れの日くらいしか米の飯が食えんというのに。日々粟や稗に草を加えた塩味の薄い雑炊を食うておるのだぞ。


「あの裏切り者が三十貫だと!?」


 銭もなく草木で飢えを凌ぐこと十日、裏切り者を始末する隙を窺うわしが見たものは、三十貫もの大金がなんの働きもせぬ裏切り者に与えられたことだ。


 怒りが一気にこみ上げてくる。


 何故、左様に笑うておれる。おのれのせいでわしらが、いかほど辛い思いをしたと思うておるのだ?


 それもこれもあの髷も結わぬわっぱのような男。奴のせいだ。氏素性の怪しい南蛮人の分際で……。


 殺してやる。裏切り者も。南蛮人も。


 急くのを押さえつつ機を待つ。三十貫を貰うらしいので、奴が三十貫を貰って浮かれておるところで始末してやるわ。


 夕暮れ時、酒に酔うて帰る奴を気取られないように後をつけていく。三十貫はいつ貰うのだ? 久遠家の屋敷で貰うのか?


 だが奴が久遠家の屋敷に行くことはなかった。さらにこの日もひとりになることはなく、機会もない。




 翌日となるこの日、奴はまた同じ寺に今度は両親と共に来ておる。なんだ? また宴か? 日々これ放蕩三昧ほうとうざんまいとはいい身分だな。


 されど、なんだこの数は? 三千から四千はおるであろう。そもそも昨日から奴らはなにをしておるのだ? 豊穣祈願の春の祭りか?


 さらに人が続々と集まってくる。あれは……、織田弾正忠か!?


 好機だ。まさか織田弾正忠がこの場に出てくるとは。なんとか奴を討てば、日陰者から脱せるかもしれぬ。


 誰を狙う? 裏切り者か? 久遠か? 織田弾正忠か?


 懐に忍ばせた短刀。毒が塗ってあるゆえやいばの黒い短刀を持つ手に力が入る。欲を出すべきではないな。惜しいが久遠と織田弾正忠の警護は厳重だ。


 やはり裏切り者を始末しよう。それでわしの面目もたつ上に一族も助かる。


 よし、今しかない。これほど人があふれておる今ならば……。


「動くな。大人しく見張るだけ故、見逃しておったが宴の席を汚すつもりなら容赦はせぬぞ」


 人混みに紛れ寺に入る。裏切り者の顔が見えて懐に忍ばせた短刀を抜こうとした時、背後から恐ろしい声がした。


 まるで地獄の鬼でもひそんでおったかのような迫力のある声に、わしは動けなんだ。


「誰だ?」


「あの男と両親は既に久遠家の者。手出しするならば地の果てまで追ってでもうぬと汝の一族郎党を滅ぼす。そう心得よ」


 いつの間にか周囲を囲まれておる。そんな! わしが気付かぬうちに。信じられん。


「己は……、素破の掟を知らぬのか?」


「久遠家で保護した者は久遠家の掟で守る。それだけだ」


 なにを考えておる? 素破には素破の掟がある。何故、それの邪魔をする。よそ者の素破如きのために、何故これほどの腕利きの者たちが動くのだ!?


「二度はない。すぐにこの場から消えろ。宴の席ゆえ一度だけは見逃そう」


 総身そうみから冷や汗が流れて止まらぬ。殺される。どう足掻いても勝てぬ。


 それはほんの僅かなことだった。


 わしを囲んでおった者たちがばらばらに離れていく。


 駄目だ。わしには出来ん。気付かぬうちに見張られておったとは。わし如き素破にはいかんともしようがない。


 鬼のような声から逃れるように、わしは清洲を離れて故郷の駿河へと急いだ。


 このまま帰っても殺されるだけだ。だが奴らを相手にするくらいならば一族の者を連れて尾張に逃げたほうがいい。


 どうせ追っ手は同じ素破だ。なんとでもなる。


 あんな上忍のような奴らの相手などご免だ。




Side:久遠一馬


 大騒ぎになった二日目のお花見は細々としたトラブルはあったがなんとか無事に終り、翌三日目は織田家主催のお花見になる。


 今年は尾張のみならず三河や美濃の国人衆を妻子同伴で招待している。


 一部の国人衆は人質を取るのかと勘違いした人もいるが、人質ではなく純粋なお花見への招待だ。当然一緒に帰ってもらう。その誤解を解くのが大変だったらしい。


 今回は正式に織田に臣従した人だけだ。信長さんの結婚式も最近あったし、そう頻繁に呼ぶのもね。


 大垣城周辺の国人衆たちは正式に織田に臣従した。以前は土岐家を支える織田に従うというスタンスの国人衆たちであり、正式には臣従していたわけではなかったんだ。


 ただ土岐家追放後、大垣城や西美濃の国人衆たちには検地と人口調査と織田分国法を受け入れたうえでの臣従を打診した。


 美濃三人衆を含む中立だった国人衆は現状維持でも認めるとのことで大半が中立を選んだが、大垣城周辺の織田方だった国人衆たちはほとんどが臣従を選んだ。


 あの辺は一昨年の流行り病や冬の食糧難から織田家が助けていたからね。周囲にはほかに頼れる相手もいないし、織田より条件のいいところなんてない。


 美濃三人衆も影響力を持つ地域だけど、彼らも織田との争いは避けているし、美濃三人衆とはいえ所詮は寄せ集めの国人衆でしかない。影響力は確実に落としている。


 国人衆と妻子にその護衛で今日も四千から五千は参加者が集まる予定なんだけど、問題は昨日オレたちが倍近く集めちゃったことなんだよなぁ。


 信秀さんたちと相談して、周辺の領民は今日もお花見に参加してもいいことになった。


 信秀さん自身はまた面白いことをやらかしたなと笑っていたんだが、動員した人数で織田家がウチに劣ると余計な詮索や噂が出かねない。


 いっそのこと今日も無礼講にしてしまおうということになった。


 酒は津島や熱田からも取り寄せた。販売計画に足りない在庫量になった分は次の船で運べばいい。銭は使いきれないほどあるから、それをばらまいて食材を買い込めば問題はないだろう。


「まだ、人質として留め置くのではと疑う者がおりますな」


「今の織田家の人質の様子を知らないんですかね?」


 那古野城でエルと料理の準備をしていると、政秀さんと資清さんが疲れた様子で帰ってきた。まだ疑っている人がいたか。


「知らぬのでございましょうな」


 ため息交じりに答えた資清さんいわく、国人衆なんかはろくに情報も集めない人が多いのでこんなものらしい。


 実は信長さんの結婚式のすぐあとに、織田家では人質を求めることを止めてしまった。


 ただ奉公見習い・行儀見習いとしての受け入れはするし、学校へ通うことは勧めてはいるが、強制はしてないし帰りたければ帰っていいと、以前からいた人質も解放してしまった。


 信秀さんいわく必要がないとの理由だ。織田家の力が強くなったことと、ウチの現状を見て要らないと判断したらしい。これにはオレたちは口を挟んでいないが、オレたちは人質として扱ってないからね。


 忍び衆には今もウチに仕えるなら家族は連れてくるように言ってある。ただ、ウチの人質というよりは、他家に人質に取られないための予防策や抜け忍の家族の保護が目的になりつつある。


 結果的に人質のように自制や抑制の一つになればいいが、強制してもあまり意味がないと考えたみたいなんだよね。


 最近では元人質の人が警備兵になったり、学校に通ったり、自由に出歩いているんだが、帰らない理由は人それぞれだ。銭が欲しい人は警備兵になるし、武芸や学問を学びたい人は学校に来ている。


 元人質の人は当然武士であり武芸の修練を積んでるし、学問も一応学んでいるからね。人柄とかに問題がない人は早めに出世しているくらいだ。


 国人衆にはもっと織田を知ってもらう必要があるね。



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