第三百三十九話・虎の牙

Side:織田家重臣


 あまりの重苦しい様子に誰も口を開けずにおる。


 この日、清洲城に呼ばれたのは、先月あった若殿の婚儀の祝いにて配られた酒と菓子を民から横取りした者たちだ。


 武士、僧侶、土豪、村のまとめ役など多くの者が横取りしておったが、今ここに呼ばれたのは武士と僧侶だ。


「わしの顔に泥を塗り三郎の祝いの儀を汚したにも拘らず、よくわしの前にのこのこと出て来られたな」


 今日の殿は何時になく険しい顔をされておる。少しでもとなえんと致せば、その場で首を刎ねられかねぬような恐ろしさに見えるほどだ。


 呼ばれた者たちも顔色が悪く、震えておる者さえおる。


 かような殿を見るのは久しぶりだ。今では仏の弾正忠様と呼ばれておるが、かつては尾張の虎との異名を持ち厳しき時もあったのだ。


 近頃の殿は信じられぬほど穏やかになられたからな。そう、久遠殿が来てからだ。


 あの御仁と呼ぶには、いささか若過ぎる若者が来てからというもの、織田家は変わった。殿はご自身で動かれるよりも若殿と久遠殿が動くのを待っておられる様子。


 若殿ばかりではなく、久遠殿のこともじつの我が子のように見守り期待されておるのは、近習と重臣以外はだ知るまい。


「これより裁きを申し渡す。気に入らぬ者は謀叛でも一揆でも起こすがいい」


 正直わしですら恐ろしいほどだ。こんな時に限って久遠殿がおらぬ。恐らく殿は久遠殿がおらぬからこそ、こやつらを始末なさるおつもりなのだろう。


 久遠殿の欠点は甘いと見縊られるそのようだからな。よほど大事にならねば放置するほど。かような者らを始末する場では、らぬ放言ほうげんまとにされよう。殿は罪人とは言え、弾正忠家が従えた者らの見苦しきさまを見せとうないのかもしれぬ。


 裁きは厳しいものであった。


 式からこの日まで一切の謝罪も補償にも動かなかった者は磔の上で領地没収。武士も僧侶も問わずだ。


 一方で若殿と久遠殿が見せしめに土豪の捕縛に動き、反抗されて討ち取る顛末てんまつがあった。これにより事態の深刻さを理解して賠償または謝罪した者には温情を与えるようだ。


 そのうえで横取りした祝いの弁済と領地における税の徴収権の剥奪。ていに言えば織田家の代官による税の管理が加わった。


 ほとぼりが冷めたころに民に重税を課すのを阻止するおつもりなのだろう。


 戦における軍役ぐんえきの負担は変わらぬのにこれは厳しい。だが打ち首や磔の死罪と領地召し上げよりはいいということか。


 この件は横取りなどしておらぬ者のほうが多いのだ。かの者らが納得し満足する罰が必要ではある。


「お、恐れながら、某は先日の戦にて一番槍の功を挙げております。その褒美もないままでのこれはあまりに非道でございます」


「その件は後日の心積こころづもりなのだが、まあいい。そのほうは後日はおらぬからな。一番槍の手柄は手柄。褒美を用意しておる。だが乱取りと乱暴狼藉をするなという命に反し、あさましくいやしき振舞いを美濃にさらした。その罪は重い。打ち首の上で晒し首の裁定を申し渡す心算しんさんだったのだが……」


 間の悪いことに殿がもうひとつお怒りである、戦での命令違反も重ねた奴がおったか。まことの愚か者はつねに愚か者であるか……。これでこやつらを生かしておくと、また勝手なことをすると示してしまったな。


「なっ……、それはあまりにも……」


 周囲が騒めいた。恐らく同じく先日の戦で命令違反をした者がおったのだろう。


 昨日、信辰様がこやつらを上手く使えずに余計な被害を出したことを詫びに清洲まで来ておられたくらいだ。


 森殿や滝川殿が機転を以って、伏せ待ちの陣を構えて、敵の追撃を退けたからよかったものの、無駄な被害をだしたばかりか、美濃三人衆の氏家殿に本来なら要らぬ借りを作ってしまったからな。


 結果としては悪くないが、ここしばらくの戦ではもっとも出来の悪い戦だった。


「褒美はやる。論功行賞の際に家の者にでも取りに来させるがいい。だが罪は罪だ。戦での命令違反は謀叛に等しい罪だ。しかも勝つために必要なのではない、我欲からのもの。慈悲はない」


 結局、殿の裁定に口を挟み、此度の断罪を止められる者などおらぬ。わしを含め重臣は殿の裁定にを返しておる。こやつらはすべてを受け入れるしかあるまい。


 今日呼ばれなかった土豪や村の有力者なども、すべて弁済と地位に合わせた特権の停止が加わることになる。


 織田分国法では税の勝手な徴収も禁止しておるのだが、今までは見逃しておったからな。


 この先、勝手なことをしたらいかになるか、見せしめにはちょうどよかろう。




Side:ケティの侍女


 ここ美濃でもケティ様のことは知れ渡っておるようです。井ノ口の町にある斎藤家の屋敷で診察をすることになりましたが、武士から僧侶や民に至るまで多くの患者が続々とやってきております。


「ええい、わしを誰だと思っておるのだ! なぜわしが下民などと一緒に扱われるのだ!!」


 ただし人が増えると騒ぎが起きるのが世の常でしょうか。


 特に武士のお方はご自身が待たされることにお怒りになる人も多いのです。またどなたかのお怒りの声が聞こえます。


「ですから山城守様の命でございます」


「ふざけるな! わしは斎藤飛騨守ぞ! 山城守はわしを下民と同じ扱いにする気か!」


 男は二十歳くらいでそれなりの身分かと思うておりましたが、斎藤家縁者だとは。名は聞いたことがありませんが少し厄介かもしれません。


「煩いのです! 赤ちゃんもいるのです! 騒ぐなら外で騒ぐのです!」


 斎藤家から身辺付きにと寄越よこされた者が困った様子で諫めて、診察を待っている者たちが怯える中、堂々と止めに入ったのはチェリー様です。


 ああ、ケティ様にお知らせせねば。チェリー様もお強いのですが、さすがにこれは織田家と斎藤家の争いになりかねません。


「なんだと女郎めろうが! 気味の悪い髪をしおって」


「……その言葉は許せないのです。果し合いを申し込むのです!!」


 大変でございます。大事になってしまいました。まさかチェリー様が斎藤一族の者に果し合いを申し込むなんて。


「慶次郎様。お止めください」


「無理だな。斎藤家が織田家を侮辱したのだ。もうオレでは止められん。誰か城に走れ」


 チェリー様はいつも明るく私たちの仕事を手伝ってくださるほどの優しいお方様です。そんなチェリー様が見たことがない表情でお怒りです。


 以前チェリー様は殿が綺麗だと言ってくださる髪が自慢だと、おっしゃっておられました。許せなかったのでしょう。それを侮辱するなんて。


「ああ、ケティ様。いかが致しましょう」


「問題ない。私は診察を続ける」


 えっ!? 良いのでございますか? ですが、チェリー様と斎藤飛騨守を名乗る者は外に出てしまいましたが。


 ケティ様はまったくお気にする様子もなく、次の患者を呼ぶと診察に戻ってしまわれました。


「飛騨守様。いけません。このお方は久遠一馬殿の奥方のチェリー殿でございます。久遠殿は織田弾正忠様の猶子となられておるうえに、山城守様の客人ですぞ!」


「ほう。だが果し合いを申し込まれた以上はこちらからは引けぬ」


 屋敷を出て大きな通りの真ん中でチェリー様と飛騨守殿は対峙しております。数人の斎藤家の家臣が止めに入っておりますが、飛騨守殿も引く様子はございません。


「ひとりで果し合いなんてずるいでござる! それは拙者のような武芸者がやることでござるよ!」


 あの、すず様。そういうことでは……。


 果し合いなど珍しくありませんが、ここまで身分が高い者の果し合いは珍しいかもしれません。懸念は、この結末によっては尾張と美濃の関係が一気に変わってしまうことでしょう。


「チェリー様。殺してはなりませんぞ」


「わかっているのです!」


 ああ、慶次郎様。そうやって面白そうに相手を挑発するのはお止めください。相手が鬼のように睨んでおります。


 本当に困りました。城に走らせた者は間に合うでしょうか。




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