第二百八十二話・結婚式と愚か者
Side:太田真次郎
「又一、どうであった?」
「駄目だった」
「なんと! 甘い男ではないのか!?」
おのれ……。
かつてあった所領はすべて信秀に奪われ、血縁ある者の田畑を手伝い糊口をしのぐ我が太田家を再興する絶好の機会だったのだ。
それなのにあの成り上がり者め。下賤な素破などに与える銭があるならば、我らのような縁ある武士に寄越すべきであろう。
あの久遠という男は甘いと評判だ。下賤な素破ですら召し抱えておる。生意気に婚礼などするこの日ならば、あの愚かな又助ともども丸め込めると思うたのだが。
親父も期待しておったのであろう。落胆しておる。
「又助は許してくれぬか。やはり気付いておるのであろうな。わしらが押し込みに見せかけて一家を皆殺しにしたことを。坂井様さえ健在ならばな……」
「親父! 滅多なことを口にするな!」
オレも親父も悪うない! すべてはあの傀儡に仕えた又助が悪いのだ! 奴が傀儡に仕えねば坂井大膳のような男に我らが従う必要もなかったのだ!
なんとかせねば。太田の名で借りた銭の支払いは今年いっぱいが期日。久遠に仕官した又助の縁戚ということで待たせておるのだ。
払えぬばかりか又助に絶縁されておると知られれば殺されてしまう。
「もういい。欲に目が眩み、兄とその妻子を手にかけたわしらが悪いのだ。せめて娘だけはと命乞いもされたのに……」
「なにを言うておるのだ! オレたちはなにも悪くねえ! あの無能な伯父と又助が悪いのだ! そうだ! あの又助さえいなくなれば! 奴の妻は農民の娘だ。いかようにもなる。太田家の家督も財産もオレのものだ‼」
「又一……、もうやめよう。わしはこのままでいい」
「煩い! 老いぼれは大人しくしておれ! オレはこんな暮らしのまま終わる気はない!」
親父め。己だって喜んで太田家を乗っ取ったくせに、今更なに怖気づいておるのだ!
認めんぞ。太田家はオレのものだ!
そうだ! あの久遠とかいう氏素性の怪しい男をも始末してしまえば、オレは一気に尾張に名が知れ渡ることになる!
久遠も織田も倒して、斯波を傀儡としてオレが尾張を制するのだ!
Side:久遠一馬
結婚式はお昼過ぎの午後から始めた。この時代だと夜にするのが普通らしいけど、まあウチのやり方でいいって太田さんもお藤さんも言ってくれたしね。
さすがに太田さんは名が知られているからか、あちこちから祝いの品が集まった。
全体の進行なんかは今回も資清さんにお任せだ。基本的な方針はシンプルにみんなでお祝いしようということ。メインは広間で行うが、この日は津島と熱田の屋敷でもお祝いの宴会を開くことにした。ウチの領地である牧場村でも細やかなお祝いの振舞いをしているだろう。
ウチもすっかり人が増えて名前と顔を覚えるだけで大変なくらいだし、同じ場所に一度に集まるのは中々難しいからね。
参加者は信長さんと政秀さん以外はウチの家中の人だ。本当は信秀さんの許可をもらって、斯波義統さんも誘ったんだけど断られた。身分違いで来ないというよりは、身分が高すぎて皆が恐縮してしまうから遠慮してくれたみたい。僭越だけど親がわりに出てほしかったな。
エルは政治的な影響を気にしたんだろうって言っていた。ウチと斯波家があまり親密になると、せっかく落ち着いた織田家との関係にも影響が出かねないんだそうな。それでもせめて元の世界の祝電みたいに祝文とか書いて貰うのはダメだったのかね?
「殿、少しよろしゅうございましょうか?」
結婚式の儀式的な部分は順調に進み、さあこれから宴会に入ろうとする頃に、望月さんから声を掛けられた。
ちょうど宴会の準備をしているし、席を外してオレの私室に行くと、さっき太田さんの従兄弟の見張りについた柳生の人と資清さんがいる。
他にはエルと式に参加していた信長さんと政秀さんも、呼ばれたみたいで来ていた。
「なにかあったの?」
「はっ、実は……」
せっかくの結婚式なのに。でも柳生の人の報告は無視出来ないものだった。
太田さんの従兄弟が家に戻ると、太田さんの家族を殺して家を乗っ取ったことを話していたらしい。しかも坂井大膳がそれに関与していたらしいと。
一応忍び衆が真相の調査を開始しているけど、早く対処したほうがいいと柳生の人が進言してきた。
なんか太田さんの親戚でウチとも親しいと言いふらして、お金を借りたり好き勝手してるんだとか。
もちろん騙されない人もいたらしいが、ウチとそんなに親しくない人には騙された人もいるみたい。
「捕らえるしかないか」
「是非にも及ばぬ事ぞ。勝手に家の名を使われたのだ。すぐに捕らえろ」
なんとも言えないな。ろくなことをしないと思っていたが、すでにやらかしていたとは。
少し悩むが信長さんは当然だとばかりに捕らえろと口にした。
正直この程度の小悪党なんていくらでもいるんだ。ウチで雇った信長さんの元悪友も親戚が増えたという人が何人もいる。
その結果、色々な問題が発生しているんだよね。そもそも農民とはいえこの時代だと厳密な身分制度があるわけじゃない。遠い親戚がどっかの土豪に繋がってるとかよくあるらしい。
ウチに子弟を送り込みたいとかお金を貸してほしいとか、元の世界での宝くじに当たった人にあるようなことがこの時代でもある。
まあ頼むくらいならばいいが、問題は力ずくとか親戚に圧力をかけるとか普通にあることだ。ウチの家臣で尾張出身は信長さんの元悪友だし、悪質な人には信長さんが断固とした処置をしている。
ああ、勝三郎さんの池田家も地味に大変みたいだけどね。滝川一族と親戚だから。
「まあとにかく今は、式に戻りましょうか」
捕らえるのは警備兵にお任せで。オレたちは結婚式に戻ろう。ちょうどケーキを食べるところなんだ。信長さんも楽しみにしていたみたい。
「これは……」
「ありがたや、ありがたや」
ああ、ウチのみんなはケーキも初めてじゃないが、お藤さんの家族と村の和尚さんは初めてで固まっている。
和尚さんは昔話に出てくるような人のいい和尚さんで、貧しくて倒壊しそうなお寺に住んでいる。しかも飢饉の時なんかには、自分の米を分け与えるんだって。
あんまりだからお寺の建て替えが出来るくらいの寄進をしたんだよね。こういう人格者は大切にして支援しないと。
今日は、それらの件もあって和尚さんも招待している。
でもさ。ケーキは拝まなくていいと思う。お藤さんの家族もつられるように拝み始めちゃうし。
ああ、この和尚さんには工業村の合同宗教施設に定期的に訪問してくれるように頼んだ。あそこは秘密があるから頼む人の人選に苦労していたんだよね。
必要に応じてほかの宗派の人も呼ぶが、定期的に訪問してくれる人を探してたんだ。もちろん逃がしませんよ、いい人は。工業村の人たちも喜ぶはずだ。やな奴と会った後だから本当オレも嬉しい。
「こんな甘いものをいただけるなんて……」
お藤さんの家族はケーキの味に涙を流している。
結婚式の準備の時にお藤さんから聞いたんだけど、甘い菓子を食べたのは、今年のお正月にウチに仕官したお兄さんが持ち帰った、砂糖で作ったお汁粉が初めてだったんだそうな。
前回の金さんの家族もそうだったが、彼らにとってウチは未知なる
「某には父や母はすでにおりませぬ。今日よりお二方を父と母と思い孝行致します」
そのまま宴会になると、太田さんは宴会に参加するみんなにお酌をしていき、お藤さんの両親を前にすると深々と頭を下げて笑みを見せた。
「そんな……、恐れ多いこと」
「いや、某の両親になってくだされ。家族を持ち両親に孝行するのが夢でございましてな」
「太田様……」
多分太田さんは本当に家族が欲しかったんだろう。亡くした両親の分まで孝行したいんだろうな。
オレも早くに両親を亡くしたから少し気持ちが分かる。
いい家族になってほしいな。
そのためには、あの親戚をなんとかしないとだめか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます