第二百八十三話・滝川親子動く
Side:滝川資清
「いかがだ? なにか、わかったか?」
「はっ。元領地には親戚や郎党がおりますが、他は皆、乗っ取りの際に太田殿を見捨てた負い目から大人しく帰農しました。されどあの親子は諦めておらぬようで、今でも領主のように振舞っております」
「銭を貸した者は以前からの付き合いのある者以外に、御家と疎遠の商人もおります。それと商人のひとりは駿河の間者との疑いがある者もおりました」
事は急を要する。忍び衆と柳生殿の助勢を得て、愚か者を探り見張っておるが、報告には少し気になるところがある。
一言で言えば織田の所領があまりに広がったことで、目が行き届かぬところが出たということか。
まあ、あの程度の愚か者などいくらでもおる。いちいち相手をしておる暇などない。とはいえ、御家に仇を為すならば容赦はせぬ。
懸念は銭の出どころだ。商人も寺社も愚かではない。領地を召し上げられた者に貸すなどおかしい。御家との繋がりを期待して貸したかもしれぬが、そこに駿河の間者が加わると話が変わる。
「今川に通じたか?」
「わかりませぬ。ただ、久遠の
通じたというよりは利用されたか。御家に潜り込めたら儲けもので、仕損じても不和でも煽れればいいということか。
ということは愚か者たちは今川のことなど知らぬのであろうな。
「よし、捕らえろ。暴れたら斬り捨てて構わん。絶縁の親族と郎党も捕らえて家の乗っ取りも含めて厳しく詮議せよ」
「はっ!」
若様のご下命もある。捨て置くわけにはいかぬし、太田殿の新しき門出の邪魔になる者には消えてもらおう。
「わしは殿にお伝えしてから清洲に行く。大殿にもご報告せねばならぬからな。上手くいけば間者の商人も一網打尽に出来よう」
ようやく尻尾を出したな。駿河の間者だった商人のことはずっと見張っておったのだ。
表向き織田家に従うておるが、密かに駿河と文のやり取りをしておるのは確認しておる。
商人故、いずこの者と通じようと勝手というもの。捕らえる名分がなかったが、織田家に対する謀叛と太田家乗っ取りの嫌疑ならば、奴も捕らえて詮議に掛けることが出来る。
「ほう。太田家にそのような事情があったとはな。又助も言えば返してやったものを」
「大殿はもとより殿、それと領地を持たぬ某たちに遠慮したのかもしれませぬ」
「律儀な男よな。恨み言も言わずに励んでおったとは」
清洲に来て大殿にご報告するが、やはり大殿は太田家の乗っ取りをご存知なかったか。
無理もない。さほど名が知られておるわけでもない土豪の家督など、いちいち報告されぬからな。まして太田家の所領は大和守家の領内にあったのだ。弾正忠家が知るはずもあるまい。
「まあよい。所領は
大殿には太田殿への所領の返還をお願いした。誰かが頼まねばならぬのならばわしの役目だ。
これで太田殿の面目は守られる。それに所領も戻れば太田殿の亡き両親の無念も少しは晴れよう。ついでに尾張におる今川の間者を一掃できれば、今川に対するちょうどよい警告になるはずだ。
織田家と久遠家に手を出せばいかがなるかということを、はっきりさせねばな。
「それにしても、そなたの働きはたいしたものだな。六角家でも今頃そなたの働きに複雑な思いを感じていよう」
「某には勿体ないお言葉でございまする。すべては引き立てくださる殿と支えてくれる家中の皆のお陰でございまする。されど六角家では素破は素破。某のような者など誰も認めませぬ」
「ふふふ。表向きはそうであろうな。だが本音は気にしておるはずだ。特に管領代殿は気が気ではあるまい。今はいい。管領代殿ならば揺るがぬかもしれん。されど六角家が揺れたらいかがなる? もうかつてのように甲賀は頼れまい。人とは案外その様なことを気にするものだ」
大殿は上機嫌のご様子。清洲の掃除が出来るからであろうか。
それにしても、いつの間にか、わしのような者の名が知れ渡るようになってしまったな。確かに六角家では今のわしはいかに見られておるのか、気にならぬと言えば嘘になろう。
「ならば、いつか六角家に久遠家の家臣として行ってみとうございますな」
「そんな時が来るかもしれん。それどころか六角家の者がそなたに頭を下げる時が来てもわしは驚かぬぞ」
甲賀では、六角家と久遠家の待遇の差が懸念になりつつある。久遠家と他家の違いは土地が頂けぬことだが、それでも飢えずに食えることが確かと知られて以降は、不満はあまり聞かれぬ。益々人が来ておるのがなによりの証。
確かに大殿の言われる通り、今はいい。管領代様ならば揺るぎはあるまい。されど甲賀の扱いが、六角家を揺るがす事態になってもおかしくはないか。
不謹慎だがいかがなるか楽しみではあるな。
Side:滝川一益
「皆、配置に就きました」
ここが太田殿の
ここはすでに織田の大殿の所領となっておるが、太田真次郎親子は召し上げられた屋敷を出はしても、村はずれの粗末な家に住んで、領地にしがみついておる。
その上、今でも領主気取りで村人から避けられておるというのだから、いかんともしようもない大うつけだ。
逆賊の家人は真次郎と先代である父親のふたり。真次郎の妻は、逆賊どもが大殿の怒りを買い所領を召し上げられた時に、実家の親が連れ戻しておって子はおらぬ。
ほかに弟と妹がおったらしいが、何年も姿が見えずに家を出たらしい。
「太田の名に泥を被せた
「はっ!」
ここに来たのは警備兵と忍び衆と柳生一門で百名。ここまでくれば
父上はここを太田殿に返してくださるように、大殿にお頼み申したようだからな。太田殿を見捨てて謀叛人に加担した親族や郎党など不要であろう。
「よし、かかれ!」
それにこやつらの背後には今川の影がある。久遠家に手を出したら、いかがなるかしっかり教えてやるわ。
「真次郎、出て参れ! 清洲の大殿の命でおのれと父の真五郎を捕らえる!」
さて、大うつけは出てくるかな? 素直に出てくる男ではあるまいがな。家の周囲には腕利きの者を配置した。刀を抜いたら斬り捨てて構わぬと命じてある。
思慮に欠ける男なのは明らかだ。大殿のお許しも頂いた。
「誰だ、おのれは! 人を忌み名で呼び捨てにするとは無礼であろう!」
「某は久遠家家臣、滝川彦右衛門一益。おのれには太田家乗っ取りと織田家への謀叛の疑いがある。素直に同行するがいい」
出てきたのは粗末な家に相応しくない高価な着物を着た真次郎だ。忌み名で呼ばれたことに激怒しておる。おのれが罪人だという自覚すらないのか。
「ふん、素破風情が。又助が成り上がり者の信秀に泣きついたか? それともあの南蛮崩れが泣きついたか?」
「斬れ」
いかにしようもない大うつけだ。某のことはいい。だが殿と大殿を愚弄した以上は捨て置けぬ。
「又助になど死んでも従うか!!」
もはや乱心しておるな。刀を抜いた真次郎は大勢の兵に槍で突かれて呆気なく終わった。
「さて、おのれも死を選ぶか?」
「いや、従う」
家の前で真次郎が息絶えると、家からは真次郎の父親が現れた。抵抗するならば即討ち取ると兵たちが槍を向けるが、こちらはすでに心が折れておるらしい。
「己らは殿が甘いと言うておったらしいな。確かに殿は甘いお方と見られる事など気にもされぬ。素破如きに過分な情けを掛けてくだされるからな。だが、家中に手を出されて笑うておられるわけがなかろう。地獄で太田殿の家族に詫びるのだな」
こういう世情だ。致し方ないとも思う。だが幼い娘の命乞いを無下にされた太田殿の父母の無念を思うと生かしてはおけん。
しかもこやつは諦めたように呆けておるだけとは。今すぐに斬り捨てたいが、太田殿が大手を振って所領に戻るにはこやつを領民にもわかるように厳しく詮議して裁かねばならぬ。
「他の親族と郎党どももすべて捕らえました」
「よし、このままこやつらを引き連れて清洲に行くぞ」
尾張の者たちに謀叛人の末路をしかと見せねば。
これで尾張が、せめて久遠家の周りが落ち着けばいいのだが……。
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