第二百七十六話・山の村にて

side:久遠一馬


 山の村では忍び衆の移住も順調に済んで、いよいよ炭焼き窯による生産が始まった。


 元の世界では割と一般的な炭焼き知識もこの時代ではまだ普及しておらず、白炭や黒炭の効率的な生産技術も一般的には確立されていないようだ。


 どこかに炭焼き名人などがいる可能性はあるが、情報や技術は一子相伝が当たり前で、継承に失敗したり、共有や伝播でんぱがなかなか進まない時代だしね。


「エル、桑の木と竹林は来年かな?」


「はい。時期を見て植え付けをします」


 季節はもう冬なので、山の村もしばらくは山林の手入れと炭焼きをするくらいしかやることがない。


 間伐は晩秋から冬にかけてが最適なようなので、山の村の男衆はさっそく間伐をしているようだ。


 予定では桑の木と竹の植え付けもする計画をしているが、桑の木は元の世界の病害虫に強い品種にする予定で、竹は竹細工にも使えて竹炭の材料にもなる真竹にする予定だ。


 ただ、竹は繁殖を基本的に種ではなく、地下の根っこに似た地下茎で広げるため、適切な管理をしないとどんどん広がっていき問題になるが、エルの話では今はその心配よりも人口増加に伴う燃料問題の方が深刻らしく竹炭の生産は増やす必要があるみたい。


 ちなみに竹が花を咲かせて種を付けると、この時代では生態系が激変するので、不吉の兆候と言われたりするね。


「竹を植えるのですか?」


「竹炭と竹細工なんかを作れば銭になりますからね」


「なるほど……」


 今日もお供に伊勢守家の山内さんがいる。この人はオレが山の村に来るときは必ず来て案内と手助けをしてくれるが、同時にどうやって村を成り立たせるのかも興味があるみたい。


 ああ、知多半島でも一部には竹を植える予定だ。禿げ山対策とやはり燃料対策にね。


 竹炭は燃焼時間が短いらしいが、なにより竹は成長の早さから安定的に量産出来るのがいい。間伐材も無限にあるわけじゃないからね。


 炭焼き窯から立ち昇る煙を見ながら、オレたちは村について話していく。


「巷では三河攻めの噂で持ちきりですな」


「三河攻めなんて聞いていませんけどね。三河では戦で荒廃した田畑の復旧を今年はやっていますし」


 お昼になると、村の代官屋敷にておにぎりと味噌汁で昼食を取りながらのんびりしていると、山内さんから三河攻めの話があった。


 三河攻めなんてしないのに。山内さんでさえ三河攻めがあるのではと考えてるようで、気になるらしい。


 でも、オレに探りを入れてこられてもね?


「しかし好機では?」


「領内の慰撫いぶに、掌握しょうあくにと、まだ時が必要ですよ。上四郡も食べていけるようにするのが先ですね」


 世間では信秀さんはすっかり策士にされている。ほとんど兵を挙げずに尾張を統一したからね。


 三河というか、その向こう側にある遠江奪回は斯波家の悲願なのも三河攻めの噂の理由のひとつだろうけど、信秀さんの心中を理解していない人が多すぎるなぁ。


 三河攻めの問題は本證寺だ。願証寺が友好的だからあまり気にしていない人も多いが、本證寺との関係は微妙なんだよね。


 本證寺領からの流民は、織田側から見れば今も細々と続いている。細々なのは本證寺側の取り締まりの所為せいだ。捕まえようとする本證寺側と、逃げようとする領民のいたちごっこと化しているみたい。


 仮に三河攻めをしても、本證寺が敵に回ると西三河が史実の三河一向一揆のような泥沼化する可能性がまだ消えていないんだ。


 願証寺と本證寺の関係もそんなに良くないらしい。以前がどうだったかは知らないけど、現状では多少の交流はあるらしいが方針がまったく違うしね。


 今川義元なら本證寺を動かせる可能性があるからなぁ。


「皆が豊作に浮かれておるのに、久遠殿は浮かれておりませんな」


「凶作になれば足りなくなりますからね。弾正忠家とウチはあまり影響はないですが、他は凶作になれば食べられなくなる者が出ます。分国法に領民を食べさせる義務が明記されておりますので、それに備えなくてはなりません」


 そう。戦だと騒ぐ理由のひとつに豊作も関係している。織田は最近連戦連勝だしイケイケどんどんになっているんだ。


 織田は領民の最低限の生活を分国法で保障している。豊作だからって、その準備に手を抜けないのに。


 実際に飢饉になったら、織田家が食べさせてくれるとは思っていない国人も結構いる。ただ、その時になって領民の飢えを織田家が救ったとき、自分たち国人がどんな立場に追い込まれるのかも、判っていないみたいだし。


「では、米の買い上げは戦ではなく飢饉の対策でしたか」


「ええ」


 戦だと大いに誤解されている原因として、国人衆に対して米の大量売買は弾正忠家が相場より高く買い上げると信秀さん名義で命令を出したのも影響している。


 いや、借財の返済とかで米を売るのは仕方ないけどさ。相場がこれ以上下がると困るんだ。


 買い上げた米は織田家の米として、国人衆の城や蔵で飢饉対策の備蓄米として保管させている。


 ぶっちゃけ銭があるのは織田弾正忠家とウチで、領民には少し出回り始めたが、国人衆なんかは意外と銭を持っていない。


 伊勢守家の米も弾正忠家で買って、岩倉城に保管させているからね。山内さんも知っていることだ。


 ちなみに買った米は弾正忠家のものだからね。勝手に売ったり食べたら罰を与えることになる。当然、定期的に米がちゃんとあるかの見回りもするつもりだ。




side:織田信安


「左様か。戦はないか」


「はっ。久遠殿は飢饉対策などで忙しいようでございました」


 久遠殿の案内に遣わした猪之助が戻ったが、久遠殿は戦はないと考えておるか。現状で義兄上の心中を一番理解しておるのは久遠殿であろう。


 久遠殿の言葉通りに、攻めの戦がないと考えておるのならば、状況が変わらぬ限りは戦はないな。


「しかし飢饉対策か? この豊作の年に」


「はっ。例の米の買い上げと備蓄も久遠殿の献策かと。米の値崩れを抑えて飢饉対策にすると申しておりました」


 巷では米の豊作も義兄上のおかげだと語る者もおるという。近辺の他領他国で、こぞって人々が豊作に浮かれておるのに飢饉対策か。


 久遠殿が財を成した訳がわかる気がする。流行り病の時も事前に備蓄しておいた薬を売りさばくことで大儲けしたと聞くしの。


「久遠殿にしか出来ぬことだな」


「まことに。商人も大殿と久遠殿には逆らえませんので」


 確かに武家としては米の値崩れは困る。されど米を売らねば暮らしが成り立たぬし、商人も商機を損じるような策は嫌がるはずだが。


 義兄上と久遠殿がやれば誰も文句は言えぬか。まして、飢饉対策に米を確保しておくということに文句を言える者はおるまい。


「一緒におれば人のいい男にしか見えんのだがな」


 巷では様々な噂がある久遠殿だが、商人や一向宗すら恐れる男には見えんのが本音だ。関東に行った時にもいろいろと話をしたが、いかにして戦をせずに領地を富ませるかを考えておる男だ。


 民を豊かにすれば武家はより豊かになる。確かに言われれば理解するが、それをうつつに出来る男はいかほどにおろうか。


「猪之助。そちの息子を借りたいが構わんか?」


「構いませぬが、いかがされました?」


「那古野にて久遠殿が学校を開いておろう。そこにせがれたちをやろうと思うてな。一緒に行かせたいのだ」


「それはようございますな。三郎様が跡をお継ぎになるは揺るがぬはずでございましょう。今からお側で見聞を広め、学を積むのはようございます」


 関東に行って理解した。城と領内から出ぬような倅には家督を任せられぬ。近頃は大人しいが、わしが義兄上に臣従したことも不満らしい兵衛は特に行かせねばならぬ。


 我が子ながら岩倉を治める器ではないからな。少し世の中を見せてやらねば。




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