第二百七十七話・その頃小田原では……

side:久遠一馬


 季節はすっかり冬になっている。


 この日は少し前に届いたコーヒーでマッタリしているところだ。


 それにしても戦国時代の冬は寒いね。もっと断熱を考えた屋敷にするべきだろうか。ロボとブランカでぬくぬくと暖まりながら考えてみるけど、ひとつ変えるだけでやることが何倍も増えるから楽じゃない。


「やはり、そうなりましたか」


 お昼近くになると大橋さんが那古野まで訪ねてくる。用件は米の値段だ。米が安い美濃や伊勢から仕入れて尾張に売りに来てる商人が結構いるらしい。


 当然のことだ。ただでさえ尾張には周辺の商人が集まってくるんだから。


「このままでは米の値が下がりますな」


「集めて他国に売りに行きましょうか。西国は凶作だったと聞きますし」


 尾張をひとつの国ととらえるのなら、貿易黒字は凄いことになるだろう。周辺国との取引で、オレたちが不公正をいましめてはいるが、不均衡は避けられない。例えば美濃からは特産の美濃紙とか買ってるいけど、こちらが売れる商品の種類と量そして価格が違うからね。


 まあものは考えようだ。せっかく米が集まるんだから、そのまま他国に売りに行けばいい。敵味方関係なく凶作のところにばら蒔けば、あまり大きな影響は出ないはずだ。


 安値にしても買い手が付かない分は、オレたちがストックしておけば良いし、口減くちべらしにされそうな人たちをオレたちが買っても構わない。本当の意味で命が、明日が、未来が買えるなら、オレたちが買う。


「それと悪銭の交換比率、歩合のことですが……」


 商業の問題は悪銭と鐚銭が尾張に集まることもある。信秀さんや津島代表の大橋さんに熱田代表の千秋さんと話し合って、交換比率を定めることにした。


 このままでも大きな問題はないけど、堺の商人が好き勝手しているからなぁ。


 あまりやり過ぎると幕府が口出ししそうだから、エルとも悩んで信秀さんにそれをそのまま相談したんだけど。信秀さんは交換比率を定める決断をした。


 どうせ幕府が口を出しても尾張まで攻めてくる力はない。畿内でも幕府の意向なんて平気で無視するし、畿内から出ると誰も言うこと聞かないどころか、意向自体が届かないのが普通だからね。


 今更気にしても無駄だと考えたみたい。


 悪銭と鐚銭の問題は幕府がすでに度々命令を出しても、ほとんど誰もいうことを聞かないという現実もある。そもそも畿内の経済に対してですら幕府が与える影響力は微々たるものだからね。


 まあ保険として六角と誼は通じているみたいだし、近江商人との取り引きは増えている。信秀さんからすると幕府より六角家を気にしているらしい。


 経済規模が膨らむと判断が難しくなるね。ウチはエルたちがいるから問題ないけどさ。


「それと、美濃守様が随分と荒れておる様子だとか。殿が贈っておられた金色酒が来なくなったと激怒しているようで」


「人の妻に刀を向けて謝罪もしない人にあげるお酒はありません」


 商いの話が一通り済むと、大橋さんは土岐頼芸の話を口にした。思った以上に駄目な人で、紙芝居作戦も中止にすることになりそうなんだよね。


 現状で紙芝居なんかやると暴発しそうだし。


「殿も久遠殿の存念ぞんねんはかればこそ、酒を贈るのを止められたのでしょう。美濃の国人衆もそれを了見りょうけんすればこそ、誰も美濃守様のもとには集まらぬようですな」


 いつの間にかオレの影響力が強くなっていることを、最近痛感しているよ。


 信秀さんとも話したけど、頼芸には甘い顔は出来ないし、それこそ安易に許しては駄目だとも言われているんだ。


 少なくとも向こうから謝罪が来るまでは、毅然とした態度で距離を空けるらしい。


 美濃の国人衆も正直だ。道三が織田と和睦してしまったことで反織田の国人衆は頼芸を担ぎたいが、あまりに状況が悪く誰も動かない。


 大和守家や桑名と服部友貞の結末もあるからね。


 問題はすでに頼芸と織田が、実質手切れとなったという事実がすべてなのかもしれない。




side:北条幻庵


 尾張の久遠殿から西堂丸の薬と共に文が届いた。


 武芸大会を催して美濃の斎藤家と和睦をしたとのこと。織田は着々と領地をたいらかにさせておるな。


「民をも参加させた武芸大会か」


「はっ。たいそう盛り上がっておったと、知らせにはしるされてございます」


 ただ、驚いたのは武芸大会を民にも見せたばかりか、ものによっては参加させたことであろう。上手いことを考えるものじゃ。


 尾張に潜入させておる風魔の報告では、美濃や三河の織田領からも人が集まったという。最早、領地は磐石ではないのか?


 それにしても美濃の土岐家が和睦の場で醜態を晒すとは。謀か? いずれにしても土岐家は美濃を纏めることは出来まい。


「尾張か……」


 少し懐かしく感じるのう。あの活気が溢れる尾張が懐かしい。久遠殿に約束した写本も済んだものから送ろうかの。


 関東は相変わらずじゃ。されど里見相手の勝ち戦の武名は大きく轟いておる。


 上総と下総の国人衆への調略が進んでおる。里見を安房に封じるのは難しくあるまい。


 上杉も大人しくなったしの。河越に続き海でもあれほどの完勝を見せ付けたからには、動きたくても動けまい。


 今川とは特に変わりはないが、武田が今川との関係を気にしてか使者を寄越した。


 現状でこちらから今川を攻める気はないとは言うたが、今川と里見が通じておる懸念があることは話した。北条は抗ずるために織田と誼を結び深めるともな。


 武田も織田が気になり出したようで、調べ始めたようじゃが遅いの。されど、もし織田が今川を本気で攻めれば、介入してくる虞はあるか。


 殿は武田が介入するなら織田に味方すると考えておるようじゃ。武田に駿河を取られるのはよろしくないからの。海路は織田が船を出すとはいえ、陸路も直に繋がればそれに越したことはない。


 遠江までは織田で、駿河は今川の立ち回り次第によって、族滅か、和議か。こちらが本気で兵を出すならば駿河は抑えられようが、武田次第とも言えるの。武田も海を欲しておるのは明らかじゃ。


「ひとつ懸念が……」


「なんじゃ、小太郎」


「尾張に潜入させた者と家族が逃亡しており、織田に鞍替えする者がおりましてございます。刺客を送りまするか?」


「……送らずともよい。久遠殿のもとに行くのであろう? その存念、分からなくもない。それに駆け込んだ者に刺客を送れば久遠殿との誼が拗れる」


 概ね上手くいっておるが、北条の懸念は風魔か。よりによって尾張に潜入させた者とその家族から逃亡者が出るとは。頭が痛いの。


 刺客を送りたいが久遠殿の気性を考えると、北条と織田の誼に重大な亀裂が入りかねん。


 常ならば素破のひとりやふたり消したところで気にも止めぬが、久遠殿だけは駄目じゃ。手を出せば必ず久遠家のすべてを敵に回すことになる。


 それよりも風魔の待遇の改善を急がねば。それに久遠家の素破は他国でも騒ぎを起こさず人知れず動くという。風魔にも多少の礼儀に自重自戒を身に付けさせる必要があろう。


「風魔の待遇を改善する。今、家中に根回しをしておる故に暫し待て。その代わり恥じるような働きはさせるな。久遠家の者を手本とせよ。よいな」


「はっ! 心得ましてございます」


 やり方は久遠殿を真似れば良かろう。食うに困らぬようにして、働けなくなった者にも食うていけるようにする。


 分かっておっても容易いことではないのじゃが……。



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