第二百七十一話・油を搾ろう

side:久遠一馬


「大変そうだね」


「当然ですわ。油を搾るのは苦労が多いんですもの」


 この日は熱田の屋敷に来ている。ここには今年の春に牧場に植えた菜種が運ばれていて、搾油を行うことにしたんだ。


 菜種の種類は遺伝子改良にて毒素を無毒化した無毒種なので、食用にしても安全なものになる。


 今回は搾油の新技術のテストというか、史実の江戸期に行われていた矢絞め式や油搾木式という技術の実証テストをすることにしたんだ。


 機具は木製なんだよね。鉄製にしたら駄目なのかな?表面加工が出来ないから油に金属臭が付くかな? まあ技術の積み重ねは大切だし、今の段階でやるなら十分なのかもしれないけど。


 エルと熱田を任せているシンディと一緒に作業を見守るが、大変そうだと感想を口にしたらシンディには少し呆れられてしまった。


 捕鯨もしているから鯨油も尾張に少しは持ち込んでるけど、港の陸揚げ能力の問題で売るほどはない。どちらかといえば油は石鹸に加工して持ち込んでるからね。港の問題さえなければオレたちなら幾らでも持ち込めるけど、それは駄目だろう。


 油もまあこの時代だと油座が幅を利かせている。有名な大山崎油座なんかはだいぶ落ち目らしいけど。


「これも油屋の商人を抱き込むしかないかな?」


「そうですね。ただタイミングは見計らいませんと。そろそろ畿内でも目端の利く者以外にまで、私たちの存在が知られてますから」


 現状ではあくまでも新品種の菜種の栽培と搾油のテストでしかない。大々的に栽培から搾油して販売するには、まだまだ乗り越えねばならない壁がある。


 まず栽培は農家にしてもらう必要があるけど、農業は稲作の栽培方法の改革が来年からなんだよね。菜種なんかを田んぼの裏作でやるにしても早くて来年の冬からだろう。


 搾油と販売は商人に任せるしかないと思うんだが、エルが少し悩む表情を見せる。


「まだ一年なんだけどなぁ」


「今は様子見でしょうが、遠くないうちに動く勢力も更に現れるでしょう」


 織田家の勢力圏なら多分大きな問題はないだろう。こちらからは畿内に売る気はない。とはいえ畿内の側がいつまでも黙って見ているとは限らないか。


 以前にもちょっとした面倒ごとになったが、現状でも商人の一部はすでに動いてる。津島や熱田ばかりかウチにも品物を売れと来ているからね。ほんと、売れとはなんだよ。


 とはいえ大物からはまだ接触はない。歴史にも名が残らずあまり大きくない態度の悪い商人ばかりがきているんだよね。


 既得権をもつ寺社も今のところは動きはないが、こちらは畿内での争いで忙しいから構っている暇などないのが現状らしい。


 幕府はそもそも将軍や管領なんかの争いで、それどころではない。信秀さんは六角に対して適度な距離を保ち上手く関係構築してるみたいだけど。


 確か京の都に将軍が帰ったんだっけ? 三好の本格的な台頭はこれからか。


 尾張の油屋の中には畿内の油座と繋がる者もいるだろうしなぁ。上手く畿内の既得権と切り離していかないと。


 一番やりやすいのは清洲かな。織田弾正忠家との繋がりもまだ深くないから、大和守家時代の既得権は潰しやすい。


 まあ現状だとウチと牧場と工業村で使う分とか、あとは清洲の八屋に卸す油くらいしか生産出来ないし問題はないだろう。




「美味しいじゃないの」


「当然ですわ!」


 今日のお昼は乾燥パスタを使ったシンディのお手製パスタ料理だ。


 この時代にも素麺はあるし、乾麺のパスタや蕎麦にうどんの試作も少し前からしている。特にウチはお昼頃になると急な来客が多いからさ。


 メニューはシンプルなペペロンチーノと濃厚なカルボナーラだな。まずはペペロンチーノからいただこう。


 丸い平皿に盛られたペペロンチーノを箸で食べると、焼きそばや素麺なんかと大差ない料理に見えるから不思議だ。


 唐辛子のピリッとした刺激にニンニクのコクと油と塩のシンプルな味付けだけど、これがまた美味い。


 スープは季節物の大根と鶏肉を煮込んだ洋風スープになる。


 飽きが来ない味というんだろうか。久々だなぁ。




「これは飯時であったとは、真に申し訳ない。しかし見たことのない料理ですな」


 うーん。今日の襲撃者、いや、お客さんは熱田神社の大宮司でもある千秋季光せんしゅうすえみつさんだった。


 申し訳ないといいつつ、この時間に来たのは狙っていたんだと思う。この人もオレが熱田に来ると、相談と言いつつお昼頃にくるんだよね。


「せっかくですから、一緒にどうですか? お口に合うかわかりませんが」


「それはありがたい。では遠慮なくいただきます」


 普通は目上の人の屋敷に出向くはずが、尾張ではウチに集まるのが普通になりつつある。まあ、それだけ信じてくれているという証でもあるんだろうけど。


 千秋さんはオレたちが食べている部屋に案内すると笑顔で食卓に着いた。すぐに運ばれてきたパスタをさっそく食べ始める。


「これは、美味いですな。八屋のうどんとも焼きそばとも違う」


 最初に箸を付けたペペロンチーノを、千秋さんは焼きそばのようにズルズルとすすり食べると驚きの表情を見せてくれた。


 ああ、滝川一族だった八五郎さんの営む八屋はすっかり有名な店になった。有名になりすぎて本来の目的であった忍び衆の拠点としては使いにくくなったけど、いろんな人が集まるから情報収集には役に立っている。


 千秋さんもわざわざ清洲に行って食べたんだな。ウチに料理を作りに来いと言わないだけ、みんな気を使ってくれてるようだけど。


 この人も尾張の実力者であることに変わりはない。いろいろ便宜を図ってくれたり、協力してくれるから助かるんだけどね。


「うむ!? こっちの白いたれはまた味がまったく違いますな。これはこれでいい!」


 ペペロンチーノに続きカルボナーラにも千秋さんは迷わず箸を付けた。濃厚な味だから心配したけど、この時代の人の口にも合うのか。


 カルボナーラも美味しい。ベーコンは牧場で猪から作ったものだし、卵はこの屋敷でも鶏を飼っている。レシピは元の世界の日本の物らしく生クリームも使っているみたいだけど、生クリームは牧場の乳牛から作れるからね。


 この時代の料理ってオレたちにはあっさりし過ぎてるし、味付けがシンプルだからね。ウチの料理は麻薬みたいな刺激になるのかも。


 気を付けないと駄目かな?


「そういえば、また新しいことを始められたので?」


「えーと、油を搾る新しい方法を試しているのですよ」


「なるほど。近頃は熱田にもあちこちから間者が紛れ込んでおりますからな。この屋敷ならば大丈夫でしょうが、くれぐれも気を付けなされ」


 出した料理を完食すると温かい麦茶で一息ついた千秋さんは、ようやく本題とも言える話を始めた。


 どうやらなにか新しいことを始めたのを察知して見にきたらしい。搾油の道具とか運び込んでいたから、その報告でも受けたんだろう。


 千秋さんにも忠告されたが、最近は益々各地からスパイがくるんだよね。主に畿内からのスパイが増えた。


 人の出入りが増えれば仕方ないんだろうけどね。津島と熱田は少し前から警備兵を派遣してるが、それがなければ混乱したかもしれないほどだ。


 余所者はこの時代は目立つし、元の世界のスパイと比べると未熟だから、脅威とまではいえないけどね。




◆◆

 南蛮麺。


 近年はパスタという名が知られるようになったが、日本圏においては南蛮麺という名称が一般的である。


 元々は久遠家が自家で食べるために作っていたとされるが、それが親交のある人々により、尾張の食卓へ、そこから日本全土や日本圏に伝わったものになる。


 欧州のパスタとほぼ同じものと思われ、久遠家では当時から乾燥南蛮麺を保存食にしていた模様が見受けられる。


 日本にはこの時代より古くに乾麺が大陸より伝わっていたこともあり、人々に受け入れられやすかったとも伝わる。


 なお南蛮麺に関しては明確に欧州から学んだものとされるが、日本ではあまりに馴染みすぎて久遠家発祥だと長らく誤解されていた歴史もある。


 なお、久遠家は一度も南蛮麺の発祥を主張したことはないらしい。


 元々、戦国期の久遠家の知識は大陸や欧州から学んだ知識を元に、それを独自に積み重ね研究したのだと明言している。





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