第二百三十九話・久遠家の御家事情と北条家の御家事情

side:久遠一馬


「花火は大成功でしたね」


 戦勝祝いの花火は大成功だった。


 織田は夜空に華を咲かせた。まるで昼のように明るくなったと、小田原では大評判になっている。


 北条家の皆さんは主な原材料である火薬の大まかな使用量を教えたら、真顔で青ざめていた人もいたけど。


「贅沢なものでございますからな。花火は」


 感慨深げな政秀さんに少し苦笑いが出そうになる。


 食べるのに精いっぱいで奪い奪われる世の中で、高価な火薬を大量に使う花火は最高の贅沢品になるのかもね。


 花火自体は織田から北条家への友好の贈り物としておいた。本当はあまり軽く見られないためにも用意したんだけど、戦で大勝しちゃったからね。むしろ、軽く見られるどころか、恐れられたかもしれない。


「でもまあ、交易船の税の免除に金銀と銭もくれるとは。北条家は大丈夫かね?」


 そうそう。戦の謝礼は交易船の税を免除することと、金銀と銭もくれることになった。ただ、金銀と銭は今後の交易船の水や食料の費用と修理費などに充てるために、一部を持ち帰る以外は北条家に預ける形とする。


 このあたりは政秀さんが交渉してくれた。あくまでも友好関係の確認と商いの拡大が目的であり一時金が欲しいわけではない。


 あとは伊豆諸島への寄港許可もついでにもらった。水と食料の提供も受けられることになったし、報酬としては悪くないだろう。


 本音を言えば、伊豆諸島ならウチが欲しかったんだけどね。あのまま里見の城のひとつやふたつ落とせば交渉も出来たんだろうが。信光さんも言った通りに退き際なんだろうと思う。


「厳しいと思いますよ。帰る前に交易に関する打ち合わせをしておきます。交易が北条領の商いや物作りを圧迫しないようにしませんと」


 金銀なので正確な価値は算定しないと分からないが、鎌倉沖海戦の実費以上にはくれただろう。北条家のプライドもあるんだろうね。安房沿岸での艦砲射撃の実費は織田家でも現状では無理だ。


 エルと政秀さんは、幻庵さんと北条側の担当者を交えて話をして、今後の交易船について話を詰めるみたい。


 この時代だと貿易の均衡とかあまり考慮しない。それ故に畿内などは一方的に儲かりそれで多くの人口を支えている。ただね、それだと後々を考えると良くない。


 当面の交易はウチのガレオン船も出さないと駄目だろう。佐治水軍にも船団を組んでもらうつもりだけど、佐治水軍だけだとまだ不安だしね。


 あとは蝦夷に出してるウチの船を北条領に寄港させて、蝦夷の産物は直接売ることもいいかもしれない。


 尾張への帰還は一週間後を目処にしている。本当は里見の水軍を潰した今のうちに香取神宮とか鹿島神宮にも顔を売っておきたいところだが、秋も近いし戦までしちゃったから、これ以上あちこち刺激するのは止めたほうが無難だろう。


 オレたちは梅酒の作り方を教えたり、明や南蛮に畿内の話をしたりして帰還まで過ごすことになると思う。




「もうすぐ秋だな。牧場と試験村はどうなってるんだろ」


「尾張に行くのではなく帰ると思えるようになりましたね。少し不思議です」


 小田原にはそろそろ秋の気配が見えてきている。


 温泉に行ったし、鶴岡八幡宮とか箱根権現とか早雲寺にも行った。楽しかったけど少し尾張が気になり出したし、行くのではなく帰るのだと自然に思えるようになったのが、オレやエルたちにとっては大きな変化になる。


 いつの間にか尾張に来て一年になるんだね。


「ねえ。お清さんと千代女さんのこと。そろそろ嫁ぎ先を考えてあげないと」


 この日は船で人払いをしており、エルとメルティと細かな打ち合わせをしていたのだが、一通り話が終わるとメルティは滝川家のお清さんと望月家の千代女さんの話を始めた。


「好きな人とかいないの?」


「多少好意を持つ相手ならいると思うわ。例えば司令とか」


「オレ?」


「おかしくないわよ。優しくて裕福なんだもの。でもそれを受け入れると今後の血縁外交を断るのが大変になることも考えられるわ」


 彼女たちは、確かにこの時代だとそろそろ結婚適齢期なんだよね。


 以前からふたりには縁談の話があちこちから来ているけど、ややこしい親戚は要らないしふたりのためにもならないから、資清さん、望月さんと話し合って、断っているんだけどさ。


 正直、オレとしては家中で好きな相手を見つけてほしいんだけど。結婚の斡旋ってなんか抵抗がある。


「一般論とすれば、彼女たちは互いに滝川家と望月家に嫁がせるほうがいいと思うわ」


 この時代でオレが一番嫌いなのは血縁外交かもしれない。女性を駒のように扱うこの習慣が好きじゃない。


 信長さんにもそのあたりは話してある。家族を利用するくらいなら島に帰るって。


 エルたちは将来的に子供を欲しいみたいなんだけど、男の子はいいとしても女の子はいろいろと問題になる可能性がある。もちろん産み分けは出来るけどそこまでしたくはない。


 まあ信長さんは好きなようにやればいいとしか言わないけど。オレの気持ちを理解する部分と出来ない部分があるみたいだからね。


 状況がはっきりしないことと、まだ年齢的に早いから避妊して子供が出来ないようにはしているけどさ。


「本人たちの意思を聞くのが先じゃないか? オレからするとなるべく家中から選んでほしいけど」


 デリケートな問題だけにメルティもエルも少し困っているのは確かだろう。時代的に自由恋愛が難しいのは理解している。


 でもここまで好きにやってきたんだ。身近な人くらいは、古い習慣を少しでも変えていきたいじゃないか。




side:北条氏康


 捕らえた里見方の者らからは、いろいろと面白き話が聞けた。


「今川は動くとは思えませぬが……」


「里見にはそれが分からぬようだ。駿河や甲斐のことなどあまり興味もないのであろう」


 関東管領である上杉憲政は動くかもしれぬが、今川は動くまい。己の利にならぬ戦に兵を出すほど義元は愚かではないのだからな。


「それにしても織田には驚きましたな。まさか礼の銭を置いていくとは……」


「だがこれで向こうは銭を持ち歩かずに来られる。悪い話ではないのだろうな」


 そんな義元の上を行くのはやはり織田だ。苦労して先の戦の礼を用意したが、向こうから預けたいと言うてくるとは。


 関東での買い付けや、船の水と食料、時には修理の費用にしたいので預かってほしいと頼まれた。さすがの叔父上も驚いておったな。


 恐らくは気を使うたのだろう。こちらとしても商いの優遇は当然ながら、南蛮船の玉薬の実費くらいは出さねばならぬ。しかしあまりに高い礼金を持ち帰れば、友誼に障りが出るかと懸念でもしたのであろう。


 織田とすれば一時の銭より友誼と商いを優先したか。


 下手に気を使うては、こちらの誇りを傷付けることになろうと思うたのであろうが、商いの資金として預けたいと言われれば断れぬ。船に銭を積まねばより荷を積めるからな。それに我らがその銭を横領でもしようものなら、北条は信用ならぬ者だと大々的に言いふらすであろうからな。


 恐ろしい。他家との交流はこうするのだと教えられておるようではないか。


 儀礼にこだわる体裁ではなく、実利にて他家との友誼を深めて大きくなる気か。今川が動かぬ訳がわかった気がするわ。


 いったい誰の知恵だ? やはり久遠家の者か? 武士の考えることではない。すべてが織田の思惑なのは気になるが、北条としても悪い話ではないので異を唱える必要もない。


 いや、異を唱える必要がない状況を作り出したこと自体が織田の策なのか。……本当に恐ろしい相手だ。叔父上や西堂丸が織田を格下と見下さぬ理由がよう分かったわ。


「そういえば薬師の方は評判ですな。町中にて町人にまで治療を頼まれたら快く引き受けたとか。しかも費用もほとんど受け取らなかったと評判でございます」


 それと久遠家と言えば薬師殿の評判がまた凄い。


 頼まれると嫌な顔ひとつせずにあちこちに出向き、途中で領民に頼まれると寄り道して治療に行ってしまう。先日も狙われたことだし危ういと警護の者が困っておるくらいだが、本人が行くと言って聞かぬとは。


 聞けば尾張でもよくあることで久遠家の警護の者は慣れておるのだとか。まあ、かの者の評判が上がるに従い、評判を落とすのは襲った里見なので構わぬのだが。


「やはり駿河守様の見識は確かでございますな。あの織田を見ればこちらから出向いた価値があるというもの」


 最早、家中に織田を侮る者はおるまい。孫九郎など今巴殿に南蛮渡りの武術を習うのだと言うては家中の者を連れ出しておるくらいだ。


 尾張に戻る前に友誼を更に深めねばならぬな。




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