第二百三十五話・北条、織田連合VS里見・その三

side:里見義堯さとみよしたか


「はあ……はあ……はあ…… 」


 いったい、いかになっておるのだ!? 四十艘は集めた舟が八艘しか戻ってこられぬとは。


「鬼だ……」


「化け物だ……」


 まさか本当に鬼がおるというのか!? あの黒船は鬼の船なのか!?


 兵らは皆、震えておる。伊勢の輩は鬼と手を組んだのだと、我らはみな喰い殺されるのだとささやいておる。わしでさえも震えが止まらぬ。


 赤い髪をした鬼が、こちらの舟を次々と襲い、兵を食うておったと報告がある。


 わしも見たのだ。あの赤い髪をした鬼は、まるでわしらを狩るために来たような、そんな風にも見えたのだ!


「殿。鬼か否かは分かりませぬが、奴らは弓を使うておりました。それにあの妙な音は鉄砲かと存じます」


「鉄砲だと!? あのような高価なうえに役に立たぬ代物を……」


 ただみなが震えておるわけではない。敵を冷静に見ておった者もおる。されど鉄砲のような高価でろくに使えぬものを使うておったのか?


 以前、商人が上方で買い付けたという鉄砲を献上してきたが、高価なうえに玉と玉薬がなくば、無用の長物になる代物ぞ。あの大きな音の様子では数も十や二十ではなかろう。


 妙な音がしたかと思えば、なにもしておらぬのにバタバタと人が倒れたことで、兵たちは混乱して戦どころではなかった。


 さらに奴らの妙な武器で破壊されて沈められた舟も多い。いかにすることも出来なかった。


「いかがなさいますか?」


「城に戻る!」


「しかし、伊勢らが攻めてくるやもしれませぬ」


「籠城でもしておれ! 兵を再度集めて纏めて叩き潰してくれるわ!」


 恐ろしい。いかにすればあのような戦になるのだ。あれほどに叩かれ押し負けるものが戦だというのか!?


 だが今は城に戻って、立て直さねばならぬ。わしはかようなところで死ぬわけにはいかぬ。


 今は時を稼がねば。今川や上杉には引き分けたが痛手を与えたと言うて挙兵を促すか。


 南蛮船など恐るるに足らず。されど伊勢めの水軍が意地となり守りきったと言えば動くかもしれん。


 わしは……わしは……関東を制するのだ。


 伊勢め。来るなら来ればいい。勝ち戦に浮かれておるところを叩き潰してくれるわ!!




side:久遠一馬


 海戦は勝利した。負ける要素がほとんどなかったとはいえ、味方の被害は軽微で敵は壊滅。完勝と言っていいだろう。


 ただひとつ。里見義堯さとみよしたかを逃がしてしまったことに北条家の皆さんは残念そうだったけど。まあオレたちとしては里見義堯の首はどうでも良かった。


 仮に里見義堯を討ち取っても北条の領地になるだけだからね。ジュリアにも密かに里見義堯はなるべく逃がすように言っていたんだよね。


 北条家は今のところ信頼出来る相手だけど、北条による関東支配があまり早くに進むのは良くない。


「あそこが里見水軍の拠点か」


「城もあるみたいですけどね。放置で。北条家でもそこまでする気はないようなので」


 そして勝ち戦で士気が上がる織田・北条連合軍は、そのまま休息を挟んで反撃のために安房あわに、元の世界でいう房総半島の南部にある岡本城まで来ていた。


 目的は水軍の拠点への襲撃だ。エルはひょっとすると北条が本格的に兵を挙げるかもしれないと言っていたが、北条としてもそこまではする気はないらしい。


 まあ一度くらい水軍を叩いた程度で里見を滅ぼせるなら苦労はないんだろう。とはいえ史実にはない敗北だ。里見にとっては、大敗だろう。今後、どうなるんだろうか。


「大砲用意。目標は湊の建物です。舟には当てぬように」


 連合側の船団は織田の十隻に北条の三浦水軍から関船が三隻と小早が三十艘ほど来ている。三浦水軍は拿捕した舟や捕虜の処置があるからちょっと少ない。それでも向こうは上陸する気らしい。


「撃て!」


 細かい指揮はエルに任せつつも、下知はオレが下さなきゃならない。北条の三浦水軍の皆さんが見守る中での大砲発射だから少し心配になるね。


 湊に人はいないらしい。こちらの船が見えた時点で城かどっかに避難したんだろう。オレとしてはその方がやりやすいけどね。やはり人に向けて大砲を撃つのはまだ抵抗がある。


 今まで好き勝手やっておいて今更だけど。オレにも守らなきゃならない人が増えたんだ。中途半端な甘さはそんな人たちを危険に晒すことになるだろう。


「おお! やはり大砲はいいな!」


「なんという……」


 火縄銃の数倍はあろう轟音と共に大砲が火を吹く。今回使用したのは時代相応にグレードダウンしたが榴弾りゅうだんだ。


 原理は花火に近いと言えばわかりやすいか。砲弾の内部に火薬を入れて目標の近くで爆発または着弾の衝撃で爆発させることで、爆風と砲弾の破片で目標周囲を破壊する代物だ。欠点は決まった距離までの目標にしか使えない。


 貫通破壊力は落ちるものの、大砲の備えなどない木造でしかない湊の建物には十分過ぎる。織田でもガレオン船にしか常備されていない。今回は海戦の可能性も考慮してキャラベル船にも搭載して来たけど。この時代なら戦略級兵器になるのかな。


 信光さんや若い武士はその威力に歓声をあげたが、信安さんだけは少し微妙な表情をした。おそらく弾正忠家に臣従しなかった場合の未来でも想像したんだろう。


「次弾装填完了!」


「撃て!」


 里見水軍とか現地の武士が出てくるかと少し警戒してたけど出てくる気配はないね。里見義堯はどうしたんだろう。偵察衛星だとここに逃げ戻ったはずなのに。


「誰も出てきませんね」


「籠城するのであろう。先程のあまりなまでの大敗を喫しても出てくるならばたいしたものだがな」


 大砲の轟音と共に破壊されていく湊に味方は喜んでいる。でも、そろそろ誰か反撃に出てきてもいいと思うんだが。


 オレのそんな独り言のようなつぶやきに政秀さんは戸惑っていた。


「一馬殿は大砲に慣れておられるが故に気付かぬようですが、端から見れば未知の武器。いかに勇猛な武士といえど恐れて出てこられぬやもしれませぬ」


 大砲で粗方破壊すると北条の三浦水軍の皆さんが上陸していく。とりあえず奪える物は奪うらしいね。湊に残る舟も頂くようだ。


「もったいない気もしますな。いっそ城も落としてしまえば……」


「尾張から離れすぎておるからな。北条にくれてやるには惜しいが我らで領有は難しかろう。久遠殿ならば出来るやもしれませぬが」


「ウチも厳しいですよ」


「我らがここを領有すれば北条とて面白くあるまい。このくらいが退き時だ」


 ああ、若い武士はこのまま里見の領地を切り取りたい人も中にはいるらしい。織田側はさっきの海戦で幸いなことに死者すらいないからね。


 なんか過大評価されているのか、ウチならやれると思われても困るんだが。そんな若い武士をたしなめたのは信光さんだ。


 そう。出来る出来ないではない。一部とはいえ現状で織田が関東に領地を持つと北条も面白くないだろう。やはり戦の経験は信光さんが上だね。史実でも信長さんに味方したのといい戦略的な見方が出来る人なんだろう。


 その後は勝山城や金谷城など同様の水軍の拠点を襲撃して湊を破壊して、オレたちは引き揚げることになった。


 ここまで来ると報復攻撃ではあるが、もはや打撃演習状態であり、特に戦闘は発生しなかった。信長さんは織田勢の上陸を禁止したので特に問題もなかったし。


 下手に乱取りに参加して北条勢と揉めたくなかったんだろう。政秀さんがここは上陸をしないほうがいいと進言して受け入れていた。


 代わりと言ってはなんだけど、みんなには金色酒を少し振る舞った。個別の恩賞は尾張に戻ってからになる。


 ただ北条家からはなにかしらの礼があるはず。一応北条家からの依頼で参戦した戦だからね。返礼をどうするかで北条家を見極める試金石になるだろう。




◆◆

 鎌倉沖海戦


 この戦いは里見義堯が南蛮船を奪おうと仕掛けた海戦だとされるが、今一つはっきりしていない部分もある。


 『天文関東道中記』には小田原で久遠ケティが襲撃されたのも里見家の仕業だと断定しているが、その根拠は里見義堯が鎌倉沖に襲撃に来た際に捕らえた捕虜の証言のみであり、具体的な証拠は示されてはおらず、これに関しては織田か北条の謀略説もある。


 とはいえ里見義堯が兵を率いて鎌倉沖まで襲撃に来たことは確かで、どうやら里見義堯は南蛮船の力をほとんど知らなかったと伝わっている。


 同海戦では、今巴の方こと久遠ジュリアが兵を率いて前線に出たことで彼女を鬼と誤解して恐れ、鉄砲による死傷を鬼の仕業だと勘違いしたことで里見水軍は総崩れとなり、ろくな攻撃も出来ずに文字どおり壊滅している。


 里見義堯自身も家臣から鉄砲だと聞いた後も鬼の仕業だと疑っていたと言われていて、その後の里見家に重大な影響を与えたのは確かである。


 海戦の様子は『天文道中記』に細かく記されていて、実質的には織田水軍による戦いだった。


 同年にあった服部水軍討伐に続き、里見水軍の壊滅で織田水軍は伊勢湾から関東に至るまでその力をはっきり示していて、この後に開かれた太平洋側の航路による交易を実質的に支配出来た理由のひとつとされている。


 なお、本海戦にて実質的に指揮していたのが大智の方こと久遠エルだという話もあり、彼女の卓越した指揮には北条水軍ですら驚いたとの逸話もある。


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