第二百十三話・桑名とジュリアの意外な特技

side:久遠一馬


 幻庵さんたちが尾張に来て、そろそろ半月になるだろうか。幻庵さんのおかげで学校は賑わっている。


 当初は中堅から下級武士や、豪農に商人の子弟が学校の主な生徒だったが、幻庵さんのおかげで大人も来るようになった。


 特に武闘派のような学問よりは武芸を磨けというような武士も、河越城の戦いで勝った北条家の幻庵さんに学べるならばと来る人が増えたのは本当に良かった。


 オレも何度か幻庵さんの授業を聞いたし、ウチの家臣には授業内容を記録させて形に残している。太田さんには、それを学校で使う教本にすべく纏めるのを頼んだ。


 内容は多岐に渡る。武士としての心構えや戦の話に、領民を大切にすることなどバランスよく話してくれたみたい。


 西堂丸君のほうはオレや信長さんと鷹狩りに行ったり、一緒に領内を回ったりしてる。こちらもだいぶ打ち解けていろいろと話すようになった。


 佐治水軍とウチの訓練は順調だ。手筒式信号弾を佐治水軍に配備することにして、史実の国際信号旗に倣い簡易な信号旗も決めた。


 無いとは思うけど海戦も想定しなきゃならないし、信号旗により簡単な意思疎通が出来れば船団の航行・運用がより安全なものになるだろう。




「さすがは大湊の会合衆をしていただけのことはあるね」


「まだまだこれからにございます。今回は感触を確かめてきただけでございますので」


 この一週間ほどで早くも手柄を立てたのは湊屋さんだ。自ら桑名に足を運び、複数の商人に尾張移住の話をつけてきたんだから驚きだね。


「桑名はどう? オレも先日ちょっと行ったけど、あんまり状況が良くないみたいだなんだよね」


「確かに良うありませんな。奴らはいつまでも荷留を解かぬ織田家に苛立っておりまする」


 もちろん湊屋さんには家臣と忍び衆の護衛を付けた。桑名は敵地に近いしね。忍び衆からの事前報告でもあまり良くなかったから。


 湊屋さんも桑名の状況が良くないことを感じたんだろう。かなり渋い表情をしている。ただ、荷留に関しては解いて当たり前だと思っているか? 理解に苦しむ。


「桑名に関しては、親交が深い願証寺と桑名の関係が少し悪化しておりまする」


 望月さんからはさらに最新の報告があったけど、桑名と願証寺の関係が悪化って、どうしたんだ?


「そこは単純な話ですな。願証寺は単独で織田家と和睦して商いも優遇され人足を派遣することで利も得ている。大本の服部友貞は一向宗の坊主であったにもかかわらず。それと比べて、商いをしただけの己らが苦労をしていることに商人たちが不満なのでございます」


 桑名はすでに北伊勢の国人衆とも関係が悪化していて、更に願証寺とも関係が悪化とは。理由を考えてると湊屋さんがオレの顔色を見てすぐに説明を始めた。


 さすがに一流の商人。顔色を見るの得意なんだね。


「不満って……」


「中には熱心な信徒もおりますが、大半の商人が願証寺と親交があるのは利になるからでございます。当然ながら利にならなければ不満が出まする」


「いや、敵を増やしてどうすんの?」


「すでに桑名から逃げ出した商人も幾人かおります。某も大湊・宇治・山田などに移った商人を知っておりますので。されど大店ともなれば逃げるに逃げられませぬ」


 商人って、もう少し賢いと思ったんだけど。


「引くに引けなくなっていると?」


「恐らくは。すでに織田家との仲介をせねば願証寺との関わりを見直すべしと公言する者までいるとか」


 願証寺って桑名の事実上の後ろ楯でしょ? そこを脅迫するとか商人のやることかよ。さすがに戦国時代だね。商人もえげつないわ。


 元々朝廷の御料所を勝手に占有している人たちでしょうに。というか願証寺に見捨てられたら、桑名なんか六角に攻められて終わりじゃないの? 自分たちの既得権を認めるなら、後ろ楯は誰でもいいってことか。


「願証寺は?」


「織田家はもとより北伊勢を勢力下に治めておる六角家も動かぬことで、騒いでもなにも出来ぬと放置しておるようでございますな」


 鍵を握るのが願証寺なのは明らかなので報告を求めると、資清さんが答えてくれた。桑名は周りに放置され始めたのか? 願証寺も微妙な立場と領地だからね。


 史実を知っているオレではどうしても一向一揆のイメージが強くなるが、現状では争いを避けつつ上手く自分たちの領地を守ろうとしているだけのようだ。


「なら、このまま商人の引き抜きをしていこうか。ただし、桑名に行くときは気を付けて。まあウチの家臣に危害は加えないとは思うけど。忍び衆も危険を感じたら撤収させて」


 桑名がいかに騒ごうとも、現状だと出来ることは多くないね。願証寺と伊勢の水軍は懐柔しているし。


  ウチの家臣に手を出せば、織田に桑名攻めの口実を与えることになることくらいは分かってるだろう。危ないのは忍び衆かな。身分を明かせない、明かさないことがある。そこは気を付けてもらわないと。




「アタシにも一本ちょうだい」


 今夜の夕食はバーベキューだ。エルたちとちょうど屋敷にいた家臣のみんなを誘って、庭と縁側でお酒を飲みながら。


 幻庵さんたちには清洲城の料理人が食事を作ることも最近は増えている。彼らの腕前もなかなかなんだよ。さすがにエルたちには負けるけどね。


 勉強熱心だからよくウチに来ては料理を教わっている。あと料理と言えば、幻庵さん自身とお供の料理人も基礎的な調理法をだいぶ習得したみたい。出汁を取ることや灰汁や臭みを取ることなどを教えたら喜んでたらしい。


「このたれがいいですな!」


 この日のバーベキューに一番喜んでるのは湊屋さんだ。実はこの前、酔っ払った時に話していたんだ。美味しいものが食べたくて尾張に来たって。


 人のことをどうこう言える立場じゃないけど、湊屋さんも相当変人だろう。美味しいものが食べたいからって、隠居したうえに会合衆の立場を捨ててまで尾張に来るなんて。


「オレは塩も好きだけどなぁ」


 具材は猪肉と鶏肉に魚と野菜だ。鉄の串も工業村で作ってもらった。


 焼いているのはオレとエルだ。食事の時は身分とか臣下とか関係なく楽しく食べるのが、いつの間にかウチのルールになっている。


 元の世界のイメージでは、バーベキューとかは男の出番ってイメージがあるんだよね。それに、ウチでは料理はエルたちが先頭に立って作り差配するから、みんな慣れているみたいだ。実際、一番料理が上手なのはエルたちだからね。


 鶏肉なんかは竹串に刺して焼き鳥にもしている。ウチで作っているエールに焼き鳥がまたよく合うんだ。


 タレは幾つか用意した。自家製の焼き肉のタレに、照り焼きのタレとかピリ辛なタレもある。みんなは最近まで塩味くらいしか知らなかったからか、タレが珍しいらしく好評みたい。


 炭火でほどよく脂が落ちて香ばしい肉や魚に、少し焦げたタレが絡むとまた美味い。


 ああ、せっかくだからご飯で焼おにぎりも作ろうか。おにぎりはそのままでも食べられるからね。醤油を塗って表面を焼けば十分だ。


「……食べたいのか?」


「うん」


 さあ、食べよう。としたらケティがじっと焼おにぎりを見つめていた。熱い視線で焼き上がるのを待っている。


 はいはい。そんなに見なくてもあげるから。


 というか。みんながこっちを見てる。みんなも食べたいのか? 仕方ないな。みんなの分も作るか。


「星が綺麗」


「そうだな」


 見上げると満天の星が見える。


 ここには星の光をかすませるような文明の光は存在しない。


 炭火の赤々とした光でさえ明るく見えるほどだ。月と星の明かりだけで照明なんてなくても、意外に不自由しないもんなんだな。


 でも、ケティさんや。口いっぱいに食べ物を詰めてしゃべるのは止めなさい。誰も取らないから。


 星空を見たいのかバーベキューを食べたいのか。花よりだんごより更に上をいく、『花もだんごもほしい』といった感じか。


「ほう……」


「これはまた……」


 気が付くと静かな世界に少し懐かしい音が響いていた。


 どうやら少し酔って気分が良くなったジュリアがリュートを弾き始めたみたい。


 ジュリアは意外にと言っては失礼だが、楽器を演奏することが趣味になる。元々はギターやピアノにフルートとか、いろいろやっていたんだけどね。


 前回の船でリュートを取り寄せたらしい。


 弾いているのは元の世界の曲だね。どうせなんの曲かはこの時代の人には分からないし構わないんだけど。


 資清さんとか家臣のみんなは、ジュリアの意外な趣味に驚き聴き入っている。


 気が乗った時にしかやらないからね。


 たまにはこんな夜も悪くない。




◆◆

 天文十七年晩夏。


 太田牛一はこの頃から数多くの記録や日記を記しているが、牛一の私的な日記にとある日の夜のことが書かれている。


 それは久遠家での夕食時のこと、突然南蛮の琵琶を弾き始めたジュリアに家臣一同が驚いた様子が克明に記されている。


 女ながらに久遠家最強とも言われ、武芸の腕前は当時から評判であったジュリアであるが、芸事にも精通した一面があったことに大層驚いたとされる。


 また、現代に伝わる南蛮琵琶リュートを日本に広めたのは彼女だとも言われている。


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