第二百六話・幻庵さんの講義と……

side:久遠一馬


 幻庵さんの講義の日。学校には武士と子弟だけで三百人以上も集まった。家臣を含めるとその数倍の人が学校に来たもんだから、敷地内は大賑わいになってる。


 時期的に農閑期であることもあるのだろうが、関東の北条家は尾張でも有名だからな。動員をかけてないのに、この人数は正直驚きだ。


「これほど集まるとは思わなんだ」


 幻庵さんと北条家の人たちは集まった人数に驚いているが、悪い気はしないんだろう。誇らしげな表情をしている人もいる。


 関東だと扱いが悪いらしいからなぁ。


 最近だと、検地が北条家にならい真似たのは尾張では有名だし。何より天文十五年の河越城の戦いにおいて、関東連合軍に勝ったのは知らない人はいないだろう。


 そういえば、確か河越城の戦いをけしかけたのは義元じゃなかったっけ? 自分だけ領地取り戻してさっさと和睦したのは凄いね。


 史実だと日本三大奇襲なんて言われていた戦だ。ちなみにかの有名な桶狭間の戦いも三大奇襲の一つだったはず。後は毛利の厳島の戦いか。


 まあ、その三つも諸説あって、一説にはどれも実像が違うなんて話もあるけどね。


 特に桶狭間は起こらないだろうなぁ。織田は変わってしまった。それにオレたちがいる現状で、織田がそこまで追い詰められる状況にはしないだろう。


「今後のために駿河守殿の話を記録してもよろしいでしょうか?」


「某は構いませぬが……」


「ありがとうございます」


 ふふふ。太田さんには幻庵さんの話を書き残すように頼んである。今後の授業に使えるし、後世に残れば歴史の資料となるはずだ。


 太田さんといえば、最近になり日記を書き始めたみたい。元々メモ魔だったらしいけど、この時代では貴重な紙がウチの屋敷にはたくさんあるからね。自由に使っていいと言ったら、日記として日々のことを書き残しているみたい。


 本人が現時点でどこまで意識しているかは分からないけど、信長公記かそれに準ずる歴史書を残してくれるだろう。


 オレと久遠家のことはまあ適当でいいとしても、織田家の正確な資料を後世に残したい。太田さんには長生きして隠居したらゆっくり執筆してほしいね。


 ちなみに、久遠家では書き損じなどで処分する紙は、子供たちの字の練習用に使っている。最後には真っ黒になるまで練習して、紙飛行機を作って飛ばして遊んでいるけどね。


 いや~、前に暇な時に紙飛行機を飛ばして遊んでいたら、子供たちに見つかって一気に流行ったんだよね。さすがに新品の紙で紙飛行機を作るのはもったいないと、資清さんに怒られるから字の練習に使った紙で作っている。


 少しやらかしちゃった気もするけど、まあいいだろ。




 講義は人が集まりすぎたので野外でやることになった。講堂というか体育館というか武道場はあるんだけどね。夏場に人を室内に押し込めると暑いし。


 それにお付きの家臣や郎党の皆さんも、幻庵さんの話を聞きたいらしいんだよね。


 天気は薄曇りだから直射日光は厳しくない。もっとも直射日光が射してもいいように幻庵さんのために天幕を張ったけど。


 ただ、聞く人たちの分の天幕はない。幻庵さんと相談して適度に休憩を入れるように頼むしかないね。


「まるで祭りだな」


「……確かに、こういう祭りも面白いかも。楽しみながら学べるなんていいじゃないですか。今後もやりましょう。いずれは領民にも開放してやりたいですね」


 集まった皆さんは勉強というか、娯楽でも始まるかのように楽しみにしている人たちが多い。


 信長さんはそんな人たちを見て不謹慎だと感じたのか少し呆れているが、いいアイデアな気がする。紙芝居に続く娯楽としてお芝居や落語に歌舞伎なんかを興行しようか。


 この時代でも能楽・狂言・猿楽とか大道芸なんかはあるんだよね。そんな人たちも呼んだりしてもいいし、音楽を聞かせるコンサートとかも面白そう。


「ふむ。やはり久遠殿は面白いの。わしら武士とは違うところから領地と民を見ておる。民にも学ぶ機会や娯楽は必要やもしれぬのう。もっとも食わせるほうが先じゃがの」


 領民にも、と言ったオレの言葉に真っ先に反応したのは、他ならぬ幻庵さんだ。やっぱりこの人は凄いね。


「いずれ機会があれば、小田原にて久遠殿に講義をしてほしいものですな。海の話や明や南蛮の話。話せる範囲でも皆が喜ぶはずじゃ」


 というか幻庵さん。オレを小田原に呼ぶ気じゃないのか? 信長さんの反応をさりげなく見ている。本当に抜け目がないな。


 ただ、人材交流は悪いことじゃないんだよなぁ。商いの取り引きついでに小田原に寄るのも悪くはない。


 うーん。どうなるんだろうね?




side:武田晴信


「北条長綱が尾張に行ったか」


「はっ」


 塩尻峠にて勝って、上田原の大敗から立て直した矢先に入ってきた北条長綱の動向に、わしはしばし考え込んでしまった。


 尾張では守護の斯波武衛家がすでに力を失い、織田が台頭しておることは知っておるが、長綱が自ら尾張まで行くとは。新たな同盟先でも探しておるのか?


「それにしても尾張は豊かなのだな」


 尾張の金色酒なるものが、いつからか甲斐にも入ってくるようになった。高価ではあるが、あの味のとりこになった者も多い。


 他にも砂糖・胡椒・鮭・昆布などの高価な品物から、絹や木綿まで近頃はすべて尾張ものだ。甲斐の金も幾ばくかは対価として尾張に流れておると聞く。


「噂の久遠の力は相当なようでございます」


 尾張の虎のことは知っておる。近頃は仏と呼ばれておるらしいがな。奴の嫡男が召し抱えた久遠一馬なる男が、織田を躍進に導いた者。


 毎月、数隻も久遠の南蛮船が尾張に来ると言うが、久遠一馬はいったい、いかほどの船を抱えておるのだ?


 船とそれを動かす人手を考えると、奴一人で一国の国主に匹敵する力があるのではないのか? 少なく見積もっても国人衆とは明らかに桁が違うであろうな。


「海があるというのは、羨ましい限りだな」


 甲斐は山国だ。故に南蛮船どころか水軍すらない。正直なところ甲斐では塩すら貴重なのだ。他家を羨んでも仕方ないが本当に羨ましくなるわ。


「甲賀の望月家が家を分けて久遠に仕官しております。他にも甲賀の滝川家や甲賀衆を大勢召し抱えておりまして、なかなか警備が厳しいようでございます」


 久遠は素破を使うか。武家は素破を侮り軽く見がちだが、素破の働きは雑兵とは比較にならぬ。下手な武士より役に立つ。


 甲斐は山国故に、自ら世情を集めねば入ってくることもない。故にわしは素破を使い世情を集めておったが。新参者である久遠が同じく素破を集めておるとはな。


「久遠も世情を集めておるのやもしれんな」


「久遠と繋がる商人は、伊勢から関東にまで広がっております。そのおそれは十分あるかと思われまする」


「今川は気が気ではあるまいな」


 北条と織田が結ぶとなれば、対今川ということになろう。北条は先の戦で今川と和睦した際に返還した駿河の河東を欲しておるのか? 関東管領と組んだ今川を信用出来ぬのは理解するが。


 北条と今川が争えば、我が武田家も信濃に専念出来なくなる。なかなか難しいな。


「織田か。少し誼を通じておきたいところだが、信濃はまだ予断を許さぬし、今川領を通り行くしかないか」


「よろしいのでございますか?」


「今川とて織田と商いをしておるのだ。否とは言えまい。だが、まずは望月にやらせるか。本家と分家なのだからな。久遠の内情を少しは知れるやもしれん」


 台頭してきた織田が美濃に進んでも三河に進んでも、いずれは隣国になるやも知れぬ。あまり多くの人を配するほどではないが、誼を結んでおいて損はあるまい。


 武田は織田とは特に繋がりはなかったが、噂の久遠とは望月が繋がっておる。今川が早々負けるとは思わぬが、今のうちから探りを入れる必要はあろう。




◆◆

 天文十七年夏。尾張を訪れた北条幻庵(長綱)が、織田学校にて講義をした記録が残っている。


 記録したのは織田家や久遠家に関する記録を数多く残している太田牛一で、当時は伊勢宗瑞と呼ばれていた北条早雲の話や、河越城の戦いに関する話で盛り上がったとある。


 幻庵は領民にも気さくに接するような人物であった為か、尾張の武士たちとも早くから打ち解けていたようで、平手政秀や久遠一馬が彼の人柄を気に入り絶賛したとの逸話もある。


 それと実子である幻庵の語る早雲の話や河越城の戦いに関する話は、他に資料が乏しいことと、太田の生真面目な記録のおかげで現在では第一級の資料として認められている。


 なお、この太田牛一の直筆の資料は、現在も織田学校に現存している。



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