第百九十九話・西堂丸トチる

side:久遠一馬


 幻庵さん率いる北条家御一行は、二日目の午後になるとウチの病院にやってきた。どうやら幻庵さんの希望で、病院と学校の視察に来たみたい。


「よくおいでくださいました。私は久遠一馬。通称はないので好きにお呼びください」


 信秀さんに幻庵さん一行を案内するように命じられたので、病院の前で出迎える。通称はないと言うとギョッとしたような顔をされたけど気にしないでほしい。


 オレは親からもらった名前で十分なんだ。


 ただ、幻庵さんだけは驚くことなくじっと見ている。その真意を探り考えようとしているということか。


 病院は今日も多くの領民で賑わっている。武士・農民・僧侶ばかりか、河原者に至るまで税を払う者は受け入れているからね。


「銭を取らずに診ておるのでしょうか?」


「そうですね。貧しい者は銭がなくても診察しております。ただ、余裕のある方には気持ちばかり頂いております」


 入り口にて刀などの武器を預かって敷地に入ると、農民なんかが手足を洗っている姿が見られる。


 決して裕福ではなく、本来ならば医師どころか祈祷も頼めない身分の人も多い。その姿に北条家御一行の皆さんは驚きを感じるようだ。


 最近では三河や美濃の織田領はもちろんのこと、織田に臣従している三河や美濃の国人衆の領民もやって来るようになった。さすがに向こうから来るのは、それなりに余裕のある人だけだけどね。


「子供と年寄りが多いですな」


「子供は特に早めに連れてくるように言っております。ギリギリまで我慢させては助からない場合がありますから」


 患者で多いのは子供とお年寄りだ。


 中でもケティは領内を回る紙芝居に、子供は早めに病院に診せるようにとの広報活動をさせている。時代的に仕方ないんだろうけど、悪化してから連れてくる人が多いんだよね。


「医師は、今のところ私の妻がしております」


 病院の中に入ると、待ち合い室にいる患者さんたちが見知らぬ北条家御一行に頭を下げた。少し静まり返ったのは織田の武士じゃないと理解したからだろう。


 オレや信長さんだけだと、みんな声を掛けてくれるからね。


「妻のケティです」


「随分と若いな……」


「こら、無礼なことを申すな! 久遠殿。申し訳ありませぬ」


「いえ。お気になさらずに」


 診察をしている様子を見せて、病院の当番として働いているケティを紹介するも、十才くらいの若い小姓が何気なく呟いた一言に幻庵さんが強めの口調で叱った。


 この子が例の北条一族の子だろうね。幻庵さんに怒られてビックリしている。


 ただ、オレが侮辱されたと受けとれば外交問題になるからなぁ。こういう些細なことから因縁が始まる。オレも気を付けないと。


「ケティは幼い頃から両親に医術を学んでいたんですよ」


「やはり南蛮の医術を学ばれたのですかな?」


「元になったのは南蛮や明の医術ですが、ケティの一族が考えた医術も多いと聞きます。元は南蛮から来ましたが私の父が保護しましたから」


 まさか、幻庵さん相手に医術の辻褄合わせを語る羽目になるとは。ただ、言い訳は前々から考えていたことだ。


 一族の秘伝というのはこの時代だと珍しくないからね。ケティやパメラは医術に長けた一族ということにしてある。


「よろしければ、どなたか診てみましょうか? ケティは殿も診てますので優秀ですよ」


「では、わしを診ていただけますかな」


 せっかくなんで誰かケティに診察してもらおうかと声を掛けると、幻庵さんが名乗りを上げた。さすがにちょっと驚くね。名のある人だと自身の健康状態とか隠したがるのに。


 幾つか問診をした後には、この時代だと他では見られない聴診器を使うケティを幻庵さんは不思議そうに眺めている。


「健康そのもの。まだまだ長生きする。ただ、虫下しは出しておく。それよりそこの貴方。診察するから来て」


「えっ!?」


「診てもらいなさい」


「はっ、はい」


 幻庵さんはやはり健康らしい。そりゃ史実だと長生きするからね。しかし、そんな幻庵さんより、ケティは先ほど叱られた北条一族の子に声を掛けて診察を勧める。


「貴方、少しお腹が弱い?」


「はっ、はい。少し……」


「薬を出しておくから飲んで」


 ケティが診察して結果を口にすると、幻庵さんは平然としてるが、御付きの人からはどよめきが起きた。正直若い小娘になにが分かるのかと考えていた者も多いのだろう。


 というかこの子の診察の話をした時にも、お付きの家臣たちが緊張したのが分かる。幻庵さんの子か孫じゃないな。こりゃ。


 エルは史実の氏政か、若くして亡くなったその兄の新九郎じゃないかって言っていたけど。そんな気もするね。




side:北条幻庵


 接待役の平手殿に、那古野の病院と学校が見たいと頼んでみた。無理かもしれんがあれが気になった。それにあそこに行けば久遠家の者に会えよう。


 結果からすると久遠一馬殿に会えた。


 背は高いが少し線が細いようで、武芸に秀でたようには見えぬ。ただ垢抜けておると言えばそうなのかもしれぬ。あまり苦労をしてきたようには見えなんだ。


 他の者も噂の久遠家の当主があまりに凡庸なため拍子抜けしておるようじゃの。


 しかし、病院なる診療所に関しては驚くことが多かった。


 貧しき者も武士も僧侶も同じように診察を待つ姿には、驚きを通り越して不気味とすら思えた。そもそも武士ならば医師を呼ぶのがつねであろうに。


 そしてもうひとり。久遠家で関東にも名が知られておる者に会えた。


 久遠殿の奥方のケティ殿。尾張では薬師の方殿と呼ばれておるとか。昨年の冬に起こった流行り風邪を見事に収めた久遠家の女医師じゃ。


 織田弾正忠殿の信も厚いと言われ、流行り風邪の際には並みいる武士を自ら差配したのは尾張では有名だとか。


 彼女の不興を買うた大和守家の元家臣は、弾正忠殿の逆鱗に触れて追放された者もいるというのだから尋常ではない。


 さらに医術の腕は確かじゃ。西堂丸が生まれつき腹が弱いのを見抜きおった。北条家でも知らぬ者がほとんどであることを。


 出来ることならば誰ぞ弟子に出して学ばせたいが、一族秘伝の医術と言われると今は無理かの。




「ここが、学校になります」


 わしらはそのまま隣接する学校に案内された。


「何故、病院なる診療所と隣り合わせなのか、聞いてもよろしいか?」


「それは災害などが起きた場合に、ここを避難所にするからですよ。それと流行り病の時などにはここも病院として使う予定です」


 足利学校は見たことがあるが、ここはそれとは違うの。僧籍に入らずとも武士や領民を受け入れておるようじゃ。


 それに、病院と一体で運用をすることも考えておるとは……。


 中も変わっておった。床几に似たものに座り、黒い板に白い墨で書くことで教えておる。


「書物など多いのですかな?」


「どうでしょう。日ノ本の外の書物は当家で翻訳しましたが、なかなか集まらぬ本もありますね」


「某、実は古典書物を幾つか持っておりましてな。写本で宜しければお譲り致しますぞ」


 気になったのは書物をいかにして手に入れておるかじゃが、まさか南蛮や明の書物を自ら集め訳しておるとは。これは好機じゃな。


「本当ですか? では、こちらも明の書物など写本してお譲りします」


「それは、願ってもないことですな」


 こちらから対価を求める気はなかったが、すぐに対価を提示してきたか。判断力もあり決断力もある。やはり弾正忠殿の知恵袋はこの男かの。


 織田と北条が誼を結ぶ意味を理解しておるようじゃ。さらにこの場で本を譲ると言えるだけの地位でもある。


 あまり堂々と同盟を結べば今川や周辺の国を刺激してしまうが、両家で交流して誼を結ぶことは今後の大きな利になる。


 それと見過ごせぬのは家臣と西堂丸は呆気に取られておるが、久遠殿の傍仕えをしておる者は驚いておらぬことか。新参と聞いておったが家臣もなかなかの者のようじゃ。


 織田領に入って以降、こちらの周囲におる甲賀者らしき素破も、久遠殿の手の者であろう。害するというとよりは監視と護衛といったところか。


 今川を気にしておるのであろうな。わしもここに来る途中に、今川の館に寄り釘を刺してきたがの。


 織田としても領内でわしらになにかあれば困るのは確かじゃからの。



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