第百六十二話・戦国の面倒な話

side:久遠一馬


「一部の寺が願証寺に織田の様子を知らせておるようでございます」


「うーん。判断に悩むね」


 戦後処理も一段落して市江島では検地も進んでいる。ただ、懸念していたことのひとつが明らかとなった。


 一向宗の寺を探らせていた忍び衆が、願証寺と領内の寺との間で文のやり取りをしてることを掴んだ。


「当然と言えば当然のことでございますな。織田の噂は願証寺も聞いておるはず。探らせるくらいはするでしょう」


 市江島は以前は服部友貞の領地だったが、事実上、願証寺の勢力圏になる。領民も寺も織田より願証寺との繋がりが強い。


 市江島の情報は今後も願証寺に流れると見るべきだろう。


 敵対しているわけでもない現状では、情報を送るなとは言えない。そして宗教の強みはそこだ。全国にある同宗派との繋がりがあること。


「エル。どう思う?」


「敵対したくないからこそ情報を集める。現状ではその可能性が高いと思います。こちらはそれを最大限利用すべきでしょう」


 まあ近くなんだし助け合ってきたんだ。領主が新しくなれば不安にもなるし情報のやり取りは仕方ないことだろう。


 ただ、一向衆との長い戦いが、すでに始まってるのかもしれない。


 養殖などの新技術は当面見合わせだな。一向衆に流れる可能性がある。坊主とすれば悪意ではなく、善意で願証寺に伝える可能性だってある。


 市江島もある一帯は輪中という川の河口付近にある島を、堤防で囲い住んでいる場所だ。海の新技術は喉から手が出るほど欲しいだろう。


 一向衆に力を与えるのは危険すぎる。


「出雲守殿。当面は市江島と願証寺の繋がりを引き続き見張ってください」


「はっ」


「当面は採算は取れなくても銭と人を投入するしかないね。一向衆に織田の統治を見せつけないと駄目だ」


 考えれば考えるほど市江島は面倒な場所だね。漁業をさせて海産物を買い取り、市江島を尾張の経済圏に組み込まなくてはならないだろう。


 一向衆にも分かるように、以前より確実に食えるようになったと思わせなくては駄目だ。


 流民と領民を使って埋め立てや、輪中の堤防の強化も早めに始めるべきか? 完全に赤字だよなぁ。一向衆への宣伝工作費用と思って割り切るしかないか?


 織田に従えば飢えない。それが一向衆から領民を切り離す第一歩になるはずだ。


 経済的な繋がりが出来れば、領民も願証寺より織田に親しみや帰属意識を持つと思うんだけど。


 現状だと様子を見ながら考えるしかないね。


「やはり寺社は厄介でございますな」


「出雲守殿は近江の出身だから、その辺りに詳しいのか」


「それほどではありませぬ。されど近江には叡山がありますので多少は……」


 現在、家臣以外の忍び衆は望月さんが動かしている。


 資清さんより忍びを使うのに慣れているし、一向衆なんかの寺社が厄介なのも理解して上手く情報を集めてくれている。


 ただ、気になるのは忍び衆も含めて、この時代の人は信心深いことだ。仏罰や祟りを恐れるのも普通だし、寺社が危険だと理解しつつ同時に畏怖するのが本音だろう。


 宗教は難しい。あからさまに否定しても理解してはくれないだろう。現代でも、困った時の神頼みという言葉が普通に使われているぐらいだ。


 家中のみんなには、歴史を学んでもらう必要があるのかもしれないな。


 腐敗と分裂を繰り返す仏教を客観的な歴史として勉強してもらえば、寺社には超常的な力を操ることなど出来ないと考えられるかもしれない。


 神や仏と宗教は別物だ。当人たちがどう考えてるか知らないが。


 それを世の中に知らしめる礎は築いておきたい。


 ほんとやること山積みだ。




「殿。少しお耳に入れたいことが……」


 市江島の話が一段落すると、太田さんが少し困ったような表情でやってきた。


「なにかあった?」


「清洲のある酒問屋が家中の者の妹を銭で買いあげて、無理やりに血縁関係を作ろうとしておるようでございまして」


 守護である斯波家の元家臣だった太田さんは清洲の事情に詳しい。ウチでは珍しく元から尾張の武士だった人なので、あちこちに繋がりがある。


 そんな太田さんの報告の内容に驚きと怒りが込み上げてくる。


 相手はウチと取り引きがない清洲の酒問屋だ。なにかと汚い商売をしているらしく相手にしていない商人なんだけど。


 金色酒を扱いたいようで、陰でいろいろと動いているのは知っていたけどさ。ウチではブラックリストの商人として、最早話題すら上らない商人になる。


 前に伊勢守家と対立するかという時に、清洲で米を買い占めて値をつり上げようとした商人の一人でもあり、痛い目を見たはずなんだけどね。


 農家出身の家臣の実家に目を付けたようで、借金の証文を手に入れて家臣の妹を強引に嫁にしようとしていると。


 家臣の義理の弟になることで、ウチと取り引きのきっかけに……。なんてならんのに。


 時代的にあまり問題はない。というか家臣の実家からしたら裕福な商家なだけに喜ぶような話なのかもしれないが、オレが関わりを避けている商人なだけにその家臣が困っているらしい。


「どうしようか」


「ちょうどいいです。強気に出て絶縁状でも送りましょう」


「そうだな。太田殿。悪いけど絶縁状を届けて、ついでに借金の証文を買い取ってきて。以後ウチに関わろうとしたら徹底的に潰すからって」


「はっ」


 尾張の商人にもピンからキリまでいる。オレたちの存在もあり尾張の商人は儲かっているのはいいけど、ろくでもない商人も一定数は存在している。


 領地が広がって間もないので放置しているけど、エルの勧めもあるし一度ガツンとやるべきだな。家臣に農家出身や忍びが多いからって舐められている気がする。


「あと取り引きのある商人たちにも絶縁したことを知らせようか」


「そうですね。手配しておきます」


 話せば分かる。なんて建前はこの時代では通用しない。


 まあ元の世界でも似たようなもんだけど。大将が舐められれば家臣やその縁者にまで迷惑がかかる。


「その妹さん。ウチで雇うか。落ち着いたら家臣かウチに近いに人に嫁に行けば、悪いことにはならないだろ」


「清洲の酒座もこの件に関わっていないか探る必要がありますね。場合によってはそちらも動かねばなりません」


 この件は信長さんと信秀さんには報告しておかなきゃ駄目だな。それに酒座か、また厄介なところが出て来なきゃいいけど。


 織田は商業優先なんで商人には甘くしているんだけど、騙すようなことをする者や座のように自分たちの既得権の強化と敵対する人の排除に熱心な者もいる。


 武士の教育も必要だが、商人の教育も必要なのが現状だろう。


 尾張にも当然ながら独占的な組合というような座は存在する。と言っても津島と熱田は事実上織田の統制下にあるが、清洲や上四郡はそこまで行っていない。


 いっそのこと清洲に限定して楽市楽座をするべきか? いや反発されるな。市や座はまたもや寺社と繋がりがある。


 それに自由な商売は推奨したいが、同時に監視と規制する仕組みも必要だろう。エルが語るように、まずはこの件に誰がどこまで関わっているか調べるのが先だ。


 清洲には酒座があるものの既に有名無実化している。信秀さんが自分に忠実な津島と熱田の商人を清洲に呼んじゃったからね。


 それに金色酒も清酒もエールも、今のところはウチでしか造れない。織田家の家臣のウチが酒の流通を支配していて、濁酒しか扱えない酒座がなにを言おうと誰も気にしない。


 一応、清洲の酒座もどっかの寺がバックに付いているらしいので、銭を渡して懐柔でもするか。利権と違って銭はいつでも止められるから便利だ。


 尾張の寺は大人しいから食うに困らなきゃ騒がないと思うしね。





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