第百三十三話・新しい道

side:???


「殿。残られたほうがよろしかったのでは?」


「くどいぞ。愚弄ぐろうした弾正忠家になど仕えられるか」


 とうとう近江に入ってしまったな。


 弾正忠家の大殿に要らぬと言われた一言に、我が殿は妻子と別れて生まれ育った尾張を捨てる決断をされた。


 食うものも切り詰めて付け届けをしたにもかかわらず、重臣たちは誰一人として我が殿を庇ってくださらなかった。


 平手様と久遠家には受け取ってもらえなかったが、後は皆が受け取っておったにもかかわらずだ。


「他の皆様は上手くいったのでしょうか」


「今ごろ首だけになってるやもしれぬな。弾正忠が甘くないのは理解しておろうに。うつけ共め。あやつらと同じことをしたのが我が身の不徳の致すところ」


 そう。殿も悪かった。


 民から例年以上の税を取り、寺社から銭を借りてまで立身出世を願ったのは、今の大殿のお考えに反するのは明らかだ。


 悪いお方ではない。されど己にも民にも厳しいお方ではある。すべては家のため。


 我が殿はなされなかったが、中には民の子を売り飛ばして銭を用立てた者もおったのだ。大殿がお怒りになるのも理解出来る。


 されど、大殿がすぐにやめさせなかったのは、清洲周辺の領地が欲しかったからであろう。


 我が殿は他の方々から共に今川に行き、弾正忠家に一矢報いてやろうと誘われたらしい。しかし他の方々が弾正忠家の領地を襲う話になった段階で、呆れて物が言えなかったという。


 それとこれとは話が違う。さすがに殿がそこまで愚かでなかったのは幸いであったが。


 家は嫡男に継がせて、自身は身一つでやり直すと決断された殿は某を含めた供の者数名を連れて畿内に向かっておる。


 行く先は戦場いくさばか地獄か。


 戦が多い畿内ならば牢人ろうにんも一時は召し抱えてくれる者はおろうが、所詮は牢人。久遠家のようにお家の役に立つ家業でもない限りは、難しいと思うのだが。


 死んでも某たち数名。そう思い最後までお供をするしかないか。




side:佐治為景


「殿。いかがでございましょう?」


「うむ。美味いの。これならば高く売れるであろう」


 久遠殿から教わった小魚の塩煮と醤油煮が出来た。


 大量に獲れる小魚を塩や醤油で煮詰めたものだ。干物ほどではないが保存が出来るらしく味も美味い。


「これが一番美味いな」


「それは砂糖が入っておりますゆえ。高価になりますが、元は取れるかと思いまする」


 久遠殿は清洲の殿の信も厚く忙しいようだ。津島の屋敷も酒造りで手一杯。我が佐治家や水野家に、この小魚の煮詰めた品を作ってほしいと頼んできた。


 塩は領内で作れるし、醤油や砂糖は久遠殿が安く売ってくれる。さらに売る相手はいくらでもいる。今の尾張ならばな。


「しかし本当に気前のいい御仁ですな」


 気前がいいのは認める。だが久遠殿はそれだけではあるまい。恐らくは津島と熱田の商人たちばかりに、力が集まるのを避けたいのであろう。


「蟹江のほうはいかがだ?」


「よき場所にございます。津島と熱田からもほどよく近いところでございますからな」


 久遠殿からはあれこれと文が届く。先日の文で、蟹江に港を築くとの知らせがあった。商人たちとの誼を大切にしながらも主導権を握りたいのであろう。


 実際、尾張の商人は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。されど一部では悪い評判も聞こえてくるようになった。


 半分はやっかみであろうが、半分は事実であろう。


 蟹江も津島と熱田からほどよく近いのがいいのだ。近すぎても遠すぎても駄目であろうな。


 商人というのは、信じ過ぎると危ういからな。こちらからも人を出すので、早く港を作ってはいかがかと文を送ったが。いかになるやら。


「懸念は船か。沖に出るにはやはり新造した船が必要か」


「はっ。久遠家の船乗りにも聞きましたが、久遠家の本領に行くには今の改造船では危ういと。やはりはじめから沖に出るための堅牢な船を造るべきでしょう。図面は頂きましたので」


 我が佐治水軍の状況はいい。


 久遠殿に教えてもらった改造船の扱いにも慣れてきた。伊勢の水軍がこちらの船を気にしておるが、今の我らには小競り合いですら仕掛けることが出来ずにおる。


 とはいえあの船も少し沖に出る分にはいいが、いくら南蛮式に改造してもあまり沖には出られんとはな。


「一隻造ってみるか」


「それがよろしいかと」


 やはり新しき船を造らねばならぬな。久遠殿の話では一番いいのは南蛮船のようだが、新造船もそれなりに沖に出られるとのこと。


 新造船は日ノ本の船を発展させて、南蛮の技を取り入れた船だとか。駄目でも近海の交易には使えよう。


 残るは戦船だな。久遠殿の話では南蛮船は浅瀬に入れぬ欠点があるという。まずはあの鉄砲と大鉄砲を生かす方法を考えるべきか。


 いずれにしても、まずは銭を稼がねばならんな。久遠殿が商売を重視する理由がようわかるわ。




side:久遠一馬


 竹千代君のところにお母さんが来たか。お祝いに贈り物をしておこう。


 この世界では竹千代君が天下を取ることはないかもしれない。でも天下を差配することは十分に有り得る。つまらないことで対立するなんて御免だからね。


「うん。美味しいね。でも本当に良いの?」


「はっ。某などが今更武士となっても、満足にお仕え出来ませぬ。されどこれならば殿や久遠家のお役に立てるかと思いまする」


 この日のお昼は蕎麦だ。でもエルたちが作ったわけじゃなく、滝川家の郎党のお爺さんとお婆さんが作った料理だ。


 長年滝川家に仕えていて、先日の滝川家から新たに武士として取り立てる際に真っ先に候補に上がったけど、年齢を理由に辞退した人だ。


 多分、六十才くらいかな。年齢は気にしなくていいって言ったんだけどね。あいにくと子供もいないから、若い人に機会を与えてほしいと言ってきた。


 目に涙を浮かべる資清さんにもらい泣きしそうになったので、代わりになにか望みはないかと聞いたら、清洲で小さな料理屋を夫婦でやりたいって言ったんだよね。


 この夫婦は一族郎党の子供の面倒とか見てくれていたから、このままでも良かったんだけど。


 ウチで食べた蕎麦とかの料理を出す店をやりたいみたい。それに忍び衆の拠点が清洲にはないからね。それも兼ねれば役に立つと考えたようだ。


「そうか。店の費用はウチが出すし、食材も必要なものは提供するから。無理しないでのんびり店をやって」


「ははっ、ありがとうございまする」


 多分この先の忍び衆の引退後も考えたんだろう。オレとしては子供たちや牧場の孤児院とかで、のんびり子供の面倒を見てくれれば良かったんだけど。


 新しいことを始めたい気持ちも分からないでもない。




◆◆

 料亭、八屋はちや


 戦国時代中頃からあったとされる料亭。


 日本でも指折りの歴史を持つ料亭である。


 初代は八五郎はちごろうという男で、滝川家と共に甲賀から尾張に来たひとりである。


 年齢から滝川家に暇請いとまごいをした後に料理屋を開いたと言われ、開店当初は小料理屋だったようで歴史に残る偉人が数多く訪れた店として知られている。

 

 何度か店を移転しながら現在は名古屋にあり、戦国の世の味を現代に伝える名店として著名人から地域住民まで幅広く愛されている。


 なお店には信秀公や信長公など歴史上の偉人による直筆の書から、久遠メルティ作の初代の店を描いた西洋絵画など様々な歴史的な価値のあるものが伝わっていた。


 初代の遺言により、それらのものは歴代の店主が大切に保管していたが、近代になり美術館や博物館が出来るとそれらをすべて寄贈している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る