第百二十一話・八郎殿の出世

side:久遠一馬


 六角定頼から望月家の件は、召し抱えて構わないと信秀さんに文が届いた。これはエルが語っていたことだが、望月家は六角家配下の甲賀衆であるものの、名前が知られている割に六角家との関係は深くないらしい。


 元の世界では六角家六宿老のひとつに数えられた、三雲家が入る甲賀二十一家からも漏れていることから、所領を守る程度の義理は果たすが独自の方針で動く家ではと推測出来る。


 尾張を見てもそうだが、臣従と同盟の違いが曖昧な時代だ。甲賀衆も親六角家の二十一家と、そうでない家がいて当然なんだろうな。


「殿。某に千貫は多すぎまする」


「でも望月家を召し抱えるなら、それなりの待遇にしないと。それと滝川家の郎党からも、士分に取り立てるから選んでおいて」


 望月家を召し抱えることにしたが、その前にやらなければならないのは滝川家の待遇を上げることだ。


 ウチが織田家から貰う禄も、牧場の領地以外に二千貫に上がっている。実はウチの収入は代官職絡みのものから、表に出せないものや商いの利益もあるし、そこから自主的に上納金を納めてもいるから特殊なんだけどね。


 領内で商売する権利とか特権も貰ってるからややこしい。禄としての銭は貰うが、それ以上に上納金を納めてるからさ。


 甲賀望月家の内情は詳しくは分からないけど、それなりに領地もあり、それを捨ててくるなら、中途半端な待遇は出来ないんだよね。やっぱり。


 資清さんを千貫にして、一益さんや益氏さんも禄を上げる。先に仕官した一益さんの禄も千貫にしようとしたけど、そこまでは要らないと言われたんだ。


 あとは滝川一族の成人男子と郎党からも士分に取り立てて、正式にウチで召し抱えることにした。


 それと今回の滝川家の禄の加増に合わせて、慶次の元服も決めて烏帽子親は政秀さんに頼んだ。慶次はちょっと変わっているけど、その辺は理解してくれているからね。


 オレ自身が信長さんの直臣だし、誰がいいかと政秀さんに相談したらやってくれることになった。


「領地持ちとウチを比較するのは難しいからね。でも千貫は受け取って。八郎殿がいないと困るから」


「心得ました。しかし殿、銭を千貫も頂くと使い道に悩みまするぞ。米なども禄とは別に頂いておりますし」


「そのうち使うこともあるよ。なんなら慶次みたいに遊べばいい」


「さすがにそれは……」


 資清さんと滝川家の加増は、望月家を召し抱えるための措置なんだよね。ただウチと滝川家の関係も変わってて、米や食料はほとんどウチから支給している。


 実はウチと滝川家で食べる米は、宇宙産のそこそこ美味しい米なんだよね。信長さんと信秀さんにも献上しているけど、表向きは海外で栽培または手に入れた米だと説明している。


 いや、あんまり美味しくないんだよね。この時代の米。


 調味料も醤油とかみりんとか、この時代では存在しないか手に入りにくいこともあってウチから支給しているし、買うのは野菜か魚くらいかな。


 そんな食材に関しても、最近ではウチで一括購入して滝川家なんかに分配している。あとは女衆が交代で調理をして、身分の低い奉公人や独身者の分を作って、その後それぞれの家の分を持ち帰るらしい。後片付けも班交代だそうでありがたい限りだね。


 資清さんの禄は一族と郎党の禄としているらしいけど、食料を支給しているから十分なんだって。


 お金って、この時代では意外に使い道ないんだよね。本当。


「そういえば三河はどう?」


「近頃は農繁期故に大人しいですな。流言も順調に流れておりまする」


「そっか。そのまま無理しないでお願い。三河の領民にも織田は飢えないと教えないとね」


「はっ」


 それと三河の対策も少しずつ始めていて、今のところは忍び衆を使って噂を広めてもらっている。


 別に嘘は言っていない。賦役などで銭や食料を配って領民が飢えないように、信秀さんが頑張っていると広めているだけだ。


 西三河は一向衆も多いからね。生活が楽になるのは宗教ではなく、織田家だと理解してもらわないと。この時代は真実も積極的に伝えないと、伝わらないんだ。


 三河の織田領でも以前の紙芝居と並行して、一向衆以外の坊主や熱田神社と津島神社の神職なんかを派遣する計画も進めている。


 もちろん三河一向衆である本證寺の懐柔もするけど、織田領の村には紙芝居で織田の宣伝をしつつ、神職と一向衆以外の寺の坊主を巡回させていくことも必要なんだ。


 この時代に限らず、領民の不安や悩みを聞く人は必要だからね。




side:松平広忠


「そうか。尾張は纏まったか。羨ましい限りだ」


 今川が動かぬ間に、信秀は尾張を統一してしまった。初めからこれが狙いではなかったのか?


 岡崎に戻れたのは今川のおかげと、我が子を見捨ててまで臣従したにもかかわらず、今川は松平を守る気がないのか?


「殿。そろそろ今川と手を切るべきでは?」


「なにを言うのだ。新八郎」


「今川の狙いは当家を潰し、三河を己がものにすることではありませぬか?」


「……動けぬのであろう。今川には東に北条がおる」


 夜に密かに寝所に訪ねてきたのは、父の代から仕えておる大久保おおくぼ新八郎しんぱちろう忠俊ただとしだった。近頃は新八郎のように、密かに寝所を訪ねてくる者が増えた。皆言うことは一緒だ。このまま今川に与していいのかということ。


 私利私欲ではない。松平宗家は存亡の機なのだからな。当然のことだ。


「竹千代様は信秀の嫡男の近習になったとか。悪い扱いではありますまい。臣従した家臣を守らぬ家に、義理立てする必要はございませぬぞ?」


 家中の風向きが変わったのは、軟禁されておった竹千代が信秀の嫡男の近習になったとの噂が広がったことか。うつけとの噂もあるが嫡男の近習は悪い扱いではない。


 まして価値のない人質など、いつ殺されてもおかしゅうないのだからな。今や仏と言われる男。ならば今川でなく、織田でもいいのではと考えるのは当然のことよ。


「されど、家中には今川に人質を出しておる家も多い。いかがする気だ?」


 とはいえ懸念は多い。すでに家中では今川に人質を出しておる者もおれば、今川の家臣と血縁を持つ者もおる。皆を納得させるのは難しい。


「織田と戦をしてはいかがでしょう」


「話が見えぬな。織田に臣従する話ではないのか?」


「織田が尾張から兵を挙げて三河に攻め入れば、さすがに今川も後詰めを出さざるを得ますまい。さすれば人質として駿府におる者らも、多くが援軍として送られてきましょう」


 まさか新八郎がかような謀を言うてくるとは。かような男だとは思わなんだ。


「織田と通じて謀れと?」


「織田と我らに後詰めの三河者が加われば、今川など恐るるに足りませぬ。三河から今川を追い出してみせましょうぞ」


「新八郎。安易に動いてはならぬ。そちの策は悪くはないが、それは織田が自ら動くまで待つべきであろう」


 本音を言えば、家中で今川に心から臣従しておる者は多くあるまい。ただ駿河と遠江を領有する今川と、尾張すら統一出来ぬ織田を比べて今川に付いただけ。


 しかし今は矢作川の向こうの織田領を見て、織田が攻めてきたら臣従しようと考えておる者は少なくなかろう。聞けばこちらから逃げ出した民にも、田畑を与えておると聞くほどよ。


「では、織田に臣従することも……」


「今川が本気で織田と戦わぬのならば、考えねばなるまいな」


 今すぐに決断する気はない。されど三河を守らぬ今川のために死ぬ気もない。


 無論、織田に臣従するのは、最後の手段だ。それに臣従するにしても手ぶらでは笑われるだけだ。大きな武功でもあげねば、軽く見られてしまうからな。


「殿。ご立派になられましたな」


「そちらのおかげだ。ここまで来れば、今川でも織田でも構わぬ。家を守り残せるならな」


 父が成した三河の統一をわしも夢に見ていた。


 しかし夢に見るだけでは駄目だ。聞けば聞くほど織田の領地は恙なく治まっておる。無論のこと今川も戦になれば強かろう。


 されど、織田もまた戦は強いのだ。いずれが勝つか、よく見極めねばならん。




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