第八十四話・織田領の現状

side:久遠一馬


「尾張の人口は増加傾向にあります。懸念はその中にどれだけ、他国の間者が混じっているかでしょうね」


 尾張も梅の花が咲き出した。春だ! つい学生時代に聞いた春の流行歌を口ずさみたくなる。だけどこの時代にはあまりにも早い。自重しなくては。


「追い返すというのは、下策なのでしょうな」


 可成さんはオレの言葉に少し悩む仕草をした。


 風はまだ冷たいが陽射しは徐々に暖かくなる中、新兵三百名と暇だったウチの家臣と竹千代君は、沢彦たくげんさんの指導による勉強をしている。


 オレたちが教えると、この時代の基本的な教養とか価値観からずれちゃうからね。オレたちからすると価値観は変えていきたいけど、いきなりだと暮らしていくのが辛くなるだろう。結果として時代の流れを感じることの出来る沢彦さんにお願いすることにした。


 そんなオレは信長さんと共に、ウチの屋敷で可成さんに火縄銃を教えながら雑談している。可成さんには必要ない気もするけどね。信長さんが撃っていたら本人に頼まれたんだ。


「人が増えること自体は良いことですからね」


 主な話題は今日水野さんから来た手紙。相変わらず三河の方面からの流民が止まらないらしい。他にも詳しく調べてないけど、美濃や伊勢からも人の流入が続いている。


「食わせていけるならばであろう?」


「まあ、そこはなんとかします」


 着の身着のまま、幼子から老人まで様々な人が集まってくる。みんな仏の武将と噂される信秀さんの領地に、僅かばかりの期待を持って集まってくるんだ。信長さんですら、さすがに多すぎるだろうと言いたげだが、そこは最悪ウチでなんとかする。


 そもそも流民と言うなら岩倉領からも来ているけどね。やはりひとつ向こうの村が食べていけるというのは、オレが考えているよりも影響が遥かに大きいのかもしれない。


 三河の略奪も一時しのぎとしては効果があっただろうが、結局は国人衆の松平離れを加速させて、織田家へのより強い臣従を決断させる結果となった。


 織田寄りの国人衆は、内心で狙うなら安祥だろうとたかを括っていたんだろうけど、松平宗家にそんな余裕はない。もっといえば松平方の国人にとっては、こちらの国人は裏切り者だからね。


 現状では信広さんを中心に防衛策と、反撃に略奪をした相手への報復に出ているらしい。


「他家では余所者など受け入れませぬぞ」


 鉄砲を撃ち終えた可成さんが、少し呆れた顔をした。


「数は力ですよ。三左衛門さんざえもん殿。仏の殿ならば助けてくれる。そう噂になれば、困るのは周りの国です」


 流民の受け入れは、織田家内部でも必ずしも賛成している人たちばかりではない。


 別にオレたちのやることが気に入らないとかではなく、流民難民が厄介な存在なのは元の世界も戦国時代も同じだ。この時代では織田領以外は他国との認識みたいだしね。


 普通に考えて流民は食べていけないから、犯罪を起こして治安が悪くなる。元々閉鎖的な環境で生きている人たちにとって、大袈裟に言えば隣村でさえ、どうなろうが知ったこっちゃないからな。


 ただし、誰が治めても同じという状態から、織田家ならば少なくとも食えると広まれば困るのは周りだ。


 忠義者と噂される松平広忠は略奪を選び、蝮と言われる斎藤道三は同盟を選んだ。少し皮肉に感じなくもない。


「それで親父にも銭雇いの兵を勧めたのか?」


「警備兵はもっと増やしたいので」


 ああ、先日信秀さんに会った時に警備兵を増やすことを進言した。流民対策には治安維持を強化する必要があるんだ。


 流民には基本的に賦役で働いてもらうことになっている。土地に縛られない労働者は今後国土を整えて行くときに大いに役に立つ。


 彼らは土地に縛られないので、いざ戦となればいつでも徴兵出来る兵になるかもしれない。むろん、彼らが織田のために戦に出るという気概が出なければ危ういが。オレは頑張ってくれると思っている。




side:織田信広


「これは思うたよりいいな」


「殿、かような品。いかがしたのでございまするか?」


「久遠殿から貰ったのだ。明や南蛮の武器らしい。かつては日ノ本にもあったらしいが」


 父上から送られてくる兵糧に入っていたおおゆみという武器は、なかなか使える代物だった。


 久遠殿が明か南蛮で手に入れたようで、戦で使うてみてほしいと頼まれたので使うてみたのだが、弓を使えぬ者に持たせたら役に立った。


 鉄砲と同じく扱いにくいのが難点ではあるが、玉薬の調合が要らぬ分だけ楽であったな。あとは、事前に矢を込めておけば、直ぐに撃つことができるのも利点だ。いきなり敵に出くわした時には役に立つ。


 そもそも久遠殿は常人ではない。正式には三郎の家臣のはずが、父上の評定衆になっておるばかりか、流行り病の一件もすべて久遠殿の献策だったとか。


 近頃では仏の虎と呼ばれる父上の知恵袋となっておるようだし、水野殿が父上に臣従したのも久遠殿の活躍があればこそ。


 元々、父上は戦に銭を惜しまなかったが、今は戦になる前に銭を惜しまず戦う前に勝とうとしておる。父上も楽ではないと誰もが理解しており、それ故に父上は三河でも認められておるのだ。


 従う領民を食わせる。当たり前のことだが、容易く出来ることではない。


「久遠殿はこれがいかほど使えるか、知りたいらしい。海の戦では使うているようだが、陸の戦では使うたことがないようでな」


 金色砲に続き新しい武器を得るとは、凄い御仁だ。ただでさえ金色砲の噂は三河にまでも届いておるのに。金色に輝く武器で雷を呼んだと過大な噂になっておるがな。


 松平宗家の国人衆もそれを恐れておるのか、こちらが出ていけば逃げてしまう者が出るほどだ。


 なるべく村などは焼かずに、国人衆の城や兵を相手に報復をしておるが、金色砲の噂に弩の存在もあり戦う前に向こうの士気は落ちる。


 村を焼かぬのはこれ以上流民が来れば困るからと、村からはいつでも織田に従うと内々に言うてきておるからだ。


 もっとも現状では川の向こうの村は、少し維持するのに困るので、いずれ時が来たらと言うておるが。


「噂の雷を呼ぶ武器だけではなかったのですな」


「あれは鉄砲と同じような武器だ。使えるが使いどころを選ぶ。この弩のほうが野戦では使えよう」


 久遠殿の名は父上と同様に三河でも知られておる。南蛮妖術を使うなどと、松平宗家のほうでは騒いでおるらしいがな。


 味方では単独で大量の餅と小豆と砂糖をくれた財力に驚き、久遠殿が父上の名を更に押し上げておる。


「大殿はいつ岡崎を攻めるのでしょうか?」


「分からん。だが岡崎を攻めるのが早いか、松平宗家が瓦解するのが早いか。いずれであろうな」


 懸念は味方が今川など恐るるに足らずと、勢いづいておることか。だが父上は岡崎を力攻めする気は当分ない。


 三河には松平の分家に東西に分かれた吉良もおる。そしてもちろん今川もな。


 皮肉なことだが今川も父上も同じく、三河の松平と吉良などの勢力が衰えるのを待っておるようだ。


 松平宗家の重臣は今のところ広忠を支えることで纏まっておるらしいが、今川に付くか織田に付くかで揉めておると聞く。


 今攻めれば少なくとも重臣は、今川に付くことで纏まってしまうからな。こちらからは攻めたくても攻められんのだ。


 しかし武勇を誇る者は、策で瓦解させるよりは力で倒したいらしい。気持ちは分かるし、好機なのも事実だが。


「父上と今川は、互いに岡崎の先を見ておる。三河は決して治めやすい土地ではないからな。今川も動く気配がまったくない。恐らく今川も父上と同じように考えておるのだろう」


 とはいえ手柄を立てたい国人衆と、戦をせずに三河を調略したい父上の間に立つのも大変だ。そもそも領民を食わせることでさえ、未だに意味を理解しておらぬ者がおるからな。


 足りなければ奪えばいい。飯も人も。そんな者が多い。


 連中は気付いておらぬからな。領民の大多数はすでに国人衆よりも父上に従いたい者が多いことに。


 仏と言われる父上の恐ろしさに気付いた時は手遅れであろうな。




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