第七十八話・新酒

side:佐治為景


「速いな!」


「帆を変えただけで、これほどとは……」


 綿布の帆がこれほどいいとは知らなんだ。これに慣れたらむしろの帆には戻れんな。


「帆はかなり丈夫に出来ておるようでございますな」


「ちと高いが、荷を早く運べるなら元は取れるか?」


「久遠殿からは当面は荷を運ぶことには使わぬようにと、頼まれておるのだ」


 とりあえず空いておった船に、久遠殿から教わった通りに帆を張ってみたが、速さは思うた以上だ。


 我らは商人や武家から、荷を運ぶも請け負うことがある。これを使えばと考えてしまうが。この帆で荷を運べば、騒ぎになるのは明らかだからな。


「やむを得ぬことでございますな」


「他の水軍衆が騒ぐのが目に見えておる」


 伊勢や志摩の水軍衆が黙っておるまい。下手をすると船が襲われ帆を奪われる恐れもある。今は大野周辺で、使い方を覚えるほうが先であろう。使うのは周りの様子を見ながらだな。


「新しい帆にあの羅針盤でしたか。銭が掛かりますな」


 家臣の懸念は新しい品はとにかく銭が掛かることか。されど木綿布の値から考えると、かなり安くしてくれておるようだ。


 あの大きな網で魚を捕ってほしいと言うておったな。今は魚を捕り久遠殿に売るしかあるまい。


 ああ、あわび海鼠なまこを干した品や、さめのヒレを干した品も明に売れるとか。鮑と海鼠は日ノ本の中でも売れるから知ってはおったが、明には鮫も売れるのか。


 とにかく稼ぐしかないな。仕事はあるのだ。




side:久遠一馬


「いささか小さい南蛮船だな」


「近海で使うために取り寄せたんですよ。あの大きな船は外海の交易にはいいんですけど、小回りが利かないのが難点ですので」


 この日、津島には二隻の南蛮船が到着してちょっと注目を集めていた。


 一隻は毎度お馴染みの交易品を運んできたガレオン船で、もう一隻は小型のキャラベル船を密かに魔改造した船になる。


 キャラベル型の船は近海の移動用に新しく作らせた船だ。知多半島の佐治さんのとこに行くには、陸路は道が悪く大変で、海路はガレオン船だと無駄だからね。


 武装も大砲は装備していないし、本当に少数での移動用になるだろう。もちろん魔改造した以上、未来技術の秘匿兵装や装備は付いているけど。


「それにしても荷は蜂蜜が多いな」


「あれが一番売れていますからね」


 運んできた荷に特に変化はないけど、かめに入った蜂蜜がかなり多い。蜂蜜単体でも売っているけど、金色酒が一番売れるんだよね。本当。


 あとは木綿糸と生糸も意外に増えている。こちらは津島と熱田の商人に、染織技術の習得を勧めているからだろう。


 将来的には、絹、木綿、麻は自給する計画だし、染織技術を習得するための援助もちょっとだけどしている。


 ある程度技術を習得したら、こっちでより高度な技術を教えてもいいしね。どうも京の都から逃げてきた染織職人なんかを雇い学んでいるらしい。


 本当はウチで一から教えるつもりだったけど、やること多くて手が回らないんだよね。




 せっかく津島に来たからと、世話になってる大橋さんや職人の皆さんのところに顔を出して、津島の屋敷に到着した。


 今日、オレが信長さんと津島に来たのは、いよいよ日本酒の新酒が出来たからだ。その味の確認に来たんだよね。


「ほう。本当に澄んだ酒だな」


「これが米の酒とは……」


 ただ、この日は政秀さんと大橋さんも来ている。関係者を集めた試飲会だな。


 色はちゃんと無色透明だ。本当はこの透き通るような見た目に驚いてほしいけど、金色酒に慣れてるからか驚いてはいるが反応は今一つだ。残念。


「うーん。どうです?」


 味はちゃんと日本酒だ。多分未来の日本酒に近いはず。酒米の違いとか精米の技術の未熟さから、少し違うようでもあるけど。


 飲んでもぶっちゃけ美味しいかは、よく分からない。日本酒って数えるくらいしか飲んだことないからさ。


「これは、また強烈ですな!」


「うむ。これは売れますぞ」


 信長さんはあまり口に合わないみたい。酒精が強いし、そもそもお酒があんまり好きじゃないからなぁ。


 でも政秀さんと大橋さんの反応はいい。他の小姓とか護衛の人たちにも飲ませているけど、酒好きの反応は悪くないね。


「売るにはもう半月ほど寝かせるネ。そうすると口当たりがまろやかになるよ」


 酒造りは津島を任せてるアンドロイドである、リンメイに任せっきりだ。彼女の自信ありげな表情を見てると、多分成功したんだろう。


「このお酒の欠点は、造るのに手間と人手がかかることか」


「金色酒と一緒にしたらダメネ。大半のお酒は手間がかかるものよ」


 金色酒を造るのは簡単だからなぁ。今回造った日本酒は特製の大きな仕込み桶を津島で作ってもらい大量生産したけど、ウチだけで造れる量はたかが知れている。


 先に信秀さんに献上して、販売先とか値段を決めないと駄目だろうな。


 量が多くないから金色酒より高値になるかもしれない。金色酒自体も需要が多いから、初回に比べると値上げしているんだけど。


 販売先に関しては金色酒も、こちらで選んで売っている。


 法もモラルもない時代なだけに、下手な人に売ればバカ高い値段で転売したり、大量の水を混ぜて水増ししたりなんて平気でするんだ。


 それに買い占めて転売しようとしたりする輩もいるから、悪質な人には売らないように尾張の商人には頼んでいる。


 別にまったく手を加えるなとか、値段に上乗せするなとは言わないけど限度ってものがあるからさ。


 少なくとも尾張の商人は、大量の水で薄めたり高値で転売する輩はいない。やりそうだった人はいたみたいだけど、勝手に転売したら次から売らないと釘を刺したからね。


「夏までにもう一回造れそう?」


「大丈夫ネ」


「じゃあ、さっそく次を造ろうか」


 日本酒は酵母が発酵して出来ることくらいは、オレでも知っている。大敵は雑菌だ。温度・湿度・衛生管理なんかをきちんと出来る元の世界ならばともかく、この時代だと夏場の酒造りは大変だろうね。


 無理をしない程度に造ってもらうか。それとも夏場は別のお酒を造ってもらうべきか。考えなきゃ駄目だね。




◆◆

 日本酒。


 米を原料にした日本酒の歴史は古いが、現在の製法は天文十六年に久遠家が伝えたものである。


 当時は『澄み酒』や『尾張澄み酒』と呼ばれていて、当初は織田家で全量買い上げしていたほどで、その味のとりこになった者も多い。


 のちに織田信光が酒造りを始めるなど尾張名産のひとつとなるが、食糧難の時代でもあり、久遠家では製造量を調整していたと伝わっている。


 

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