第三十六話・変革のゆがみ・その二

side:林秀貞


「殿はいったい、なにを考えておられるのだ! あんな氏素性の怪しい南蛮崩れなどを召し抱えるとは!!」


「落ち着け。南蛮船の利は莫大なのだ。それを得るのは悪いことではあるまい」


 通具め。今宵もまた荒れておるな。気持ちは分からんでもない。僅か数ヵ月で、家中の様子は変わってしまった。


 あのうつけと言われていたあの若が、今では嫡男として名実ともに家中に認められつつある。


 理由はたったひとつ。南蛮船を持つ商人を直臣として召し抱えたことだ。


 当初はうつけに相応しい怪しい男だと謗っていた者たちも、あの久遠という男が殿に献上した品々の話を聞くと口を閉ざした。


 実際に殿は献上された品々を家臣たちに下賜していたし、滅多に口に出来ぬような鮭や椎茸を下賜されて喜んでいた者がほとんどなのだ。


 噂に聞く南蛮貿易の富を目の前で見せ付けられて、敵対したい者などそうそうおるはずもない。


「兄上はいいのか! うつけと南蛮崩れが勝手なことをしているのに!」


「口を謹め。あれは殿がされておられることだ。なんでも南蛮の技で鉄を造るらしい」


 困ったことは我ら兄弟が若に疎まれてることか。当然ながら若と久遠がやることから我らは排除されておる。


 津島衆と熱田衆はすでに商いの利で若に味方し、家中の中には久遠家の女医師に診てもらい、態度を変えた者すらおると聞く。


 五郎左衛門の入れ知恵だろうがな。小癪な真似を。


「クッ。あのうつけと南蛮崩れさえいなくなれば!」


「止めぬか。わしは恩を仇で返す気などないし、織田家を裏切る気もない」


「兄上は分かっておるのか!? うつけが跡を継げば我らはいかがなるか分からんのだぞ!」


「だから土田御前を焚き付けるなど、止めておけと言うたのだ。己のせいでわしまで、若に疎まれてしまったではないか。わしは若がもう少し装束や態度を改めてくれれば、良かっただけなのだ」


 そうなのだ。厄介なのは若や久遠や五郎左衛門ではなく、思慮の足りぬこの弟なのだ。 父上が甘やかして育てたせいか、思慮の足りん愚か者になった弟。


 武芸も用兵も人並み以上だが、抜きん出ているわけではない。それなのに自らが重用されないことに不満を抱えている。


 久遠が生み出す富がいかほどのものかも考えもしないで、軽々しいことを口にするこの弟をいかがするべきか。


 兄弟と言うが、通具はわしのやり方も腹の中ではなんと言うておるのやら。


 そもそも若はうつけとは言われておるが、物の分別が出来ぬ愚か者ではない。むしろ愚か者の弟のせいで、わしまで疎まれてしまったのだからな。


 それに家中がまだ若に不満を抱いておるのならば、この弟のやり方でも悪くはなかったであろう。されど家中の変化を認めぬ愚かな弟は、次第に家中で浮きつつある。


 さて、いかがするか。謀叛を起こす気も、林家を弟と一緒に心中させる気もないぞ。




side:織田信秀


「美作守か。とうとう尻尾を出しおったな」


「はっ。いかがなさいますか?」


「三郎と一馬には言うたか?」


「若には某から。一馬殿には大橋殿が知らせております」


「ならば、しばらく様子見だな。特に一馬には身辺に気を付けるように再度言うておけ」


 幼き時から手が付けられぬほどだった三郎と違い、大人し過ぎた信行には荒々しさのある美作守を守役に付けたのだが、失敗であったな。


 野心を持つのも構わんし、隙あらば下剋上する気概も悪いとは言わん。だが思慮の足りぬ愚か者は織田には要らぬ。


「もう少し賢い男かと思うていたがな」


「どうも殿が大垣や三河に、米や銭を送ったのも気に入らぬようでして」


「あれは領民を雇い、城を改築する費用としてやったはずだが?」


「領民を飢えさせないことで領地を守る。そこまで考えが及ばぬのでしょう」


 うつけの名は三郎より、奴のほうが相応しいのかもしれんな。策の中身も気付かぬとは。あれはただ米や銭を送るだけではない。


 城を改築して蝮や今川に備えると同時に、領民を飢えさせないために米や銭をばら蒔くための策なのだ。


 近隣には少し前まで敵だった国人衆や土豪に領民がおるのだ。その者たちに織田の力と従った者の暮らしの違いを、はっきりと見せ付けるのが目的なのだがな。


「新五郎はどう出るか」


「動かぬでしょう。林殿は時世の読める人なれば」


「ちょうどよい。この一件を理由に奴は三郎の家老から外す。少し離れたほうがお互いのためであろう」


 美作守とその兄の新五郎が、三郎と合わぬのはわしも気付いておる。されど三郎は合わぬ者も使わねばならん立場になる故に放置していたが、現状では邪魔にしかならぬか。五郎左衛門を筆頭家老にしたほうがよいな。


 いっそのこと一馬が手柄を立ててくれれば、一気に三郎の重臣にしてしまうのだが。少し迂闊に思えるところもあるが、あの程度の愚か者相手に後れをとることはあるまい。


 奥方も女にしておくには惜しい知謀があることだしな。


「あまり家中が乱れますと、付け入る隙を与えることになりませぬか?」


「家中を掃除するには今しかあるまい? 時世の読めぬ愚か者は今のうちに消えてもらう」


「はっ」


 三郎と一馬の力はすぐに大きくなる。その前に家中の愚か者を掃除しなくては。今のままではいずれ謀叛を起こす者がおろう。他国と内通するまえに始末を付けなくてはならんな。




 

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