視察・デスレース・防衛線①
スタァライトシティは眠らない街だ。というのも、皆が夜更かしをする煌々とした電飾都市であるわけではなく、各々の生活パターンが多種多様すぎ、どの時間帯であっても通りに居る人間の数が変わらないのだった。
とりわけクーロン城は高速道路の高架下に位置するために大部分で陽光は遮られ、絶えず薄暗く、陽の光を一日中浴びないまま暮らす者も中にはいるほどだ。眩し過ぎないネオン光はそのせいもあって好まれ、昼夜問わずぼうっと必要最低限の光を提供し続けている。
だから、早朝4時に道を往く人々は早起きなわけではない。寝る前の軽食を買いに出ていたり、気分転換に散歩に出ていたりと様々だ。文字通り眠らない者だっている。感覚が完全に狂った者や、あるいは、睡眠を必要としない者が。
紫色に照らされた路地を影のような黒が過る。給仕服を着てネオン光の下を歩く少女は後者だ。
目的はただ一つ。おつかいであった。
冷える早朝の街に出るのは喫茶アウリンの買い出しのため。エリを起こさないよう、慎重に布団から這い出て――サラには睡眠は必要ないのだが、寝るまでエリと色々話し込んでいると必然的に布団の中がおさまりがよい――きて、サラはスタァライト・シティの恒久的喧騒の中へと赴く。昼夜を問わずどこかがうるさい街なので、住人は皆エリ特製の指向性ノイズキャンセラーを用いてベッドに無音を出現させているらしい。
それにしても、今日の街はいつもよりわずかに騒がしいようにサラは思った。具体的に何がうるさいというわけではなく、街行く人々が皆そわそわしているというか、びくびくしているというか。住人の立てる音が若干大きい気がして、わずかな緊張感がクーロン城の居住エリアには漂っている、そんな印象を受けた。
ただ、サラが向かっているのは居住エリアや商業エリアが集中する中層部からは離れた場所だ。
「ごめんくださーい」
蛍光灯がチカチカと弱々しくちらつく薄暗い店内、簡素なラックに積まれた饅頭の箱は埃をかぶっていた。レジの下からぬっ、と「いらっしゃい」の声。丸眼鏡の、小柄な翁が顔を出す。
『ドネツカ食料店』はクーロン城の上層部、喫茶アウリンもあるスタァライトS.A.の玄関口近くにある。
広大な敷地面積を誇るスタァライトS.A.の中でも、玄関口には特に観光客向けに建造された施設群が並び、かつてはお洒落だったであろう彫刻や花壇跡が悪ガキどもに落書きされたり電線を張り巡らされたり、クーロン城ナイズされた一角だ。
シャッターが並ぶ旧・観光お土産売り場の一角を改装――というより、全く手を付けずにそのまま使っている――しているドネツカの店は、主に今でも細々と続くスタァライトS.A.の店舗群の商品搬入を一手に引き受ける、いわば卸売業者だった。
喫茶アウリンで取り扱っている料理も、基本となる材料はこの店を通じて仕入れていた。たまにクーロン城中層部の居住エリアの店舗で仕入れることもあるが、それは店長の料理創作意欲が急に湧いた時か、特別セールの時だけだ。
店主、ゲジヒト・ドネツカはサラを見るなり、
「毎回早起きだねェ」
「寝てませんよ? 前も、その前も言ったと思いますけど……」
「寝てないのかい。よくないねェ、寝なきゃボケるぞ、ワシみたいにな、ガハハ」
サラは毎度このユーモアを理解できずにきょとんとするが、事実ボケているゲジヒトを茶化したりすることもないので気に入られ、ゲジヒトに顔を覚えられている数少ない一人だった。
「企業戦争は終わったがね、ワシの時間はその終わった瞬間に固定されているらしいのだ。以来モノを覚えるのが苦手でねェ、でも、サラちゃんとエリーちゃんはちゃあんと覚えとるよ。チキンレッグが5キロ、いつも通りだねェ」
「エリ、さんですよ? それに、チキンレッグはウチじゃないです……喫茶アウリン用の仕入れ物品をお願いします!」
「ガハ、これは、そうジョークさ。アウリン、アウリン、月の子求める永遠~、と、こんな歌があったかな。戦場で何度か聴いた気がするなァ。おおっ、あったよ、これだこれだ。喫茶アウリン、確かにこれだねェ。ボケたって仕入れだけは間違えないんだな、これが」
「それはエリさんが作った仕入れプログラムが完璧だからですよっ! 楽々操作で~って言ってた!」
「そうそう、だからワシもエリーちゃんを忘れないんだな」
「エリさんです!」
サラがなぜおつかいを頼まれているのか。ズバリ、彼女がゲジヒトと最もスムーズに取り引きを行える存在だからであった。
ゲジヒトの捉えどころのない曖昧な態度はエリにはとことんソリに合わず――そもそも「買い出し? めんどいわ、マスターの仕事ちゃうのん?」と言い放つ――、店長は店長でその人の良さからゲジヒトの無限に延長される昔話を指摘せずどこまでも聞いてしまい、懐かしんで話に花を咲かせ、買い出しに三時間以上かかってしまうのだ。
その点サラはそのあたりを非常に良い塩梅で対処し、しっかりと話を前に進めることができた。あと、これは最も重要な点なのだが、ゲジヒトという老人の朝はとてつもなく早く、昼過ぎには眠ってしまうので、睡眠の必要ないサラが買い出しには適任なのだったのだ。
「……そこのキオスクはシャッターまで錆ついてたが……この店は営業中かい?」
ゲジヒトがアウリン用の食料が入ったコンテナを倉庫から引っ張り出してきたその時だった。ハスキーだが力強い女の声が入り口からした。サラが振り返ってみれば、そこにはライダースーツに身を包んだ丸サングラスの老女が立っている。鼻は高く、顔には深い皺が刻まれているがその立ち姿は姿勢正しく、活力に溢れていた。
「土産屋にメイド、ね……。相変わらずよくわからん街だねェ、ここは」
「あのう、初めまして、おばさま。わたし、サラと言います。メイドさんではないです」
「そんなに礼儀正しくって、そんな恰好でかね。ますますわからん。でもまあ、挨拶が大事なのは間違いない。ペッパーだ。ペッパー・カーチス」
ペッパーと名乗った老女はサングラスをズラして手を差し出す。握手の誘いだ。サラもそれに応じて、レザーグローブ越しの相手の手を握った。そこで二人とも表情を変えて、
「義体かい……いや、そもそも……?」
「……すごい」
「……?」
訝しげなペッパーに、サラは小さくつぶやいた。
「たぶん、全身生身ですよね。なのに、なんというか、しっかりしてる……」
「……ぷっ、アッハッハハハ……!」
眼光を鋭くしたペッパーのことなど意に介さず、握手からシームレスにふにふにとペッパーの手を揉み始めたサラに、さすがに老女も噴き出した。この緊張感のなさも、サラがこの剣呑な街でおつかいを託される理由だ。まあ、緊張感のなさはその圧倒的、物理的な強さに由来する無自覚な奢りではあったが。
ペッパーはひとしきり笑ったあと、
「この街の産まれだったらそんなものかもねぇ……。この街に来るのは5、6度目だが、確かに義体化してない奴ばっかだ。好きなところも嫌いなところもある街だ。古いモンが許されるってのは、それはそれで幸せなのさ」
「そう、でしょうか」
「ああ……。例えば、アタイの身体は60年モノだからさ、言ってみれあヴィンテージだ。それだけ研ぎ澄まされりゃ、深みも出るってモンさね」
「どうして義体化しないんですか?」
「……純粋な興味で訊いてんのかい、ますます面白い」
「あっ、すみません、失礼でしたよね……」
「いいさいいさ。ここまで悪意のない眼も久々だ……」
サングラスをかけ直し、レジ前に並んだエナジーバーを
「風は自分だけのもんなんでね」
きょとんとするサラに微笑んでそう言った。老女のサングラスの奥に、哀しみを湛えた瞳があることに彼女は気づかない。なぜなら、サラの視線はレジの方に向けられていて、
「お客さん、悪いがねェ」
「ここ、クレジットだけですよ」
「なっ……クソっ、やっぱこの街は嫌いだよ!」
怒りと恥ずかしさのまま磁気カード――それすら古臭いものだったが――をレジに叩きつけるペッパー。ふふっと笑うサラの横を、会計を済ませたペッパーがしまらない様子で、速足に去る間際、
「しばらくこの街に世話になるから、また会うかもね……」
「あっ、だったらぜひ、ウチに。喫茶アウリンです。スタァライトS.A.の駐車場沿いに面してます」
「……覚えとくさ」
そう残して、ライダースーツの老女は去った。
この街に終わりの危機が迫っていることは、まだ、誰も知らない。
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