第20話 Y

(食堂にはなかったな……)

廊下に出て俺は一人ため息をつく。白いクロスのかかったテーブルの上だけでなく下も覗き込んで探したが、エミッタは見つからなかった。

(今度は中庭にでも行ってみるか……)

(もし中庭でも見つからなかったらまたダイオードのところに戻ろう)と思いながらゆっくり歩いていると、他の扉と違い装飾のついた豪華な扉の前にコイルが立っているのが目に入った。彼は腕を組み、難しい顔で何かを考え込んでいた。

不思議に思って彼に近づく。

「コイル?あんた、こんなところで何をしているんだ?」

俺が声をかけるとちらりとコイルが俺を見た。そしてさらに不快そうな顔を作った。

「……あなたですか」

そう険しい視線をこちらに送るコイルに俺は頬をかく。

「そんな怖い顔するなよ。ただ何をしているか気になって話しかけただけじゃねえか」

そう言うとコイルが俺から視線を外し、扉の方を見た。

「ジュール様がお戻りになるのを待っているのです」

「ジュールを?」

コイルが頷く。

「ええ。これからはジュール様の勉強の時間ですので」

彼の言葉に俺は「ふうん」と相槌を打つ。理科の国の民であるコイルが物理の研究をしているように、ジュールも勉強をしなければならないらしい。

「あんたがあいつの家庭教師ってわけか。でも、まだジュールは帰ってきてないんだな」

(まだミウラとかいう奴と話してるんだろうか)と思っていると、コイルが腕を組んだ。

「ええ、恐らくまだ抵抗と手合わせをしているのでしょう。勉強の前の時間は武術の鍛錬の時間ですからね」

(また手合わせをしているのか)と俺は呆れる。今朝も波動区に行く前にやっていたのを思い出す。

そのことを言うとコイルがため息をついた。

「全く、すぐに呼びに行かなければ……」

そう言って踵を返して歩き出そうとするコイルを後ろから走ってきた白衣の人間が呼び止めた。

「コイル様!いますぐに研究室に来ていただけませんか?」

彼は息を弾ませ焦ったような顔でコイルに言う。

「後からでは駄目か?」

冷静に言うコイルに研究員が首を振る。

「出来れば今すぐにお願いしたいのですが……」

縋るように言う研究員を見て、コイルが眉をひそめた。

(どうやら忙しそうだな)

俺はコイルのことを眺めたまま口を開いた。

「おい、俺が代わりにジュールを呼びに行ってやるよ」

そう言うと、コイルが驚いたようにこちらに振り向いた。

手合わせをしているということはきっと正門にいるのだろう。ジュールを呼びに行くついでに抵抗にエミッタのことを聞いてみることにしよう、と脳内で計画をたてる俺にコイルが首を振った。

「結構です」

そうきっぱりと断る彼に俺は笑いかける。

「別に貸一つなんてことにはしないよ。研究、大事なんだろ?ジュールを呼びに行くのくらい俺に任せておけよ」

俺の言葉にコイルは少し考え込んだあと、仕方なく頷いた。

「致し方ありませんね。では、お願いします」

「おう、任せとけ」と俺はにっと笑った。


正門に行く途中、廊下でオームとすれ違った。

「おや、救世主様。またどこかにおでかけになりますのかな?」

彼の言葉に俺は首を振る。

「いや。勉強の時間になってもジュールが帰ってこないから、探しに行こうと思ってな」

そう言うとオームが大きくため息をついた。

「全く、相変わらずジュール様はろくに勉強もせずに武術の鍛錬ばかりしておられますな。こんなふうでは立派な後継者にはなれませんぞ」

そう言い頭を悩ませる彼を見ながら俺はなるほどと一人頷いた。

どうやらボルトの跡継ぎはジュールになるらしい。確かに、一国の王になるのなら文武両道が求められるのだろう。

(ジュールのやつも色々大変なんだな)

俺はぶつぶつと愚痴を言い始めたオームを置いて正門に向かった。


正門に向かって歩いている途中、今朝聞いた金属同士がぶつかる高い音が何度も聞こえてきた。気づかれないようそっと遠回りをしながら近づくと、かすかに息がはずんだ抵抗の声が聞こえてきた。

「ジュール様、もう勉強の時間でしょう?早く行かないとコイルに叱られますよ」

ジュールのレイピアを剣先で弾きながら抵抗が言う。

「勉強なんかしている暇があったら武術を磨いたほうがいい」

ジュールが素早くそう言い体勢を整えるともう一度レイピアの切先を抵抗に向かって突き出した。

「ち、ちょっとジュール様!」と抵抗がレイピアを避けながら焦ったように言う。彼の顔とローブの間の空気をジュールのレイピアの切先が突いた。

何かを振り払うように、先程より動きが機敏になり何度も攻撃を繰り出すようになったジュールに俺は後ろから声をかける。

「おい、ジュール」

抵抗に向かってレイピアを突き出した状態でジュールが動きを止めた。

「……なんだ?」

そう言って顔だけをこちらに向ける。なんだかピリピリした彼を見ながら俺は頬を掻いた。

「公式の紙はボルトに渡してくれたか?」

とりあえず話をそらす。ジュールが「ああ」と頷いた。

「そうか、ならいい」

そう言うとジュールは俺に興味をなくしたように抵抗に目を戻した。

「コイルがお前のことを探していたぞ」

そう言うとジュールがレイピアを構えたまま「そうか」と低い声で言った。

「勉強の時間なんだろ。だったら早く戻れ。コイルだって暇じゃないんだ」

そう言うとジュールが鬱陶しそうにそっぽを向いた。

「だったらコイルに伝えておいてくれ。俺は勉強をする気なんてさらさらない、ってな」

そう言い切るジュールに俺は腕を組んだ。

(まさか物理地方にもうちの生徒みたいに勉強したくないと言うやつがいるとはな……)

こういうときはまず、相手の言い分を聞くに限る。俺は、ジュールに尋ねてみることにした。

「なんでお前は勉強をする気がないんだ?」

「する必要を感じないからだ」とジュールが素早く答えた。

「いくら頭が良くても、別の地方から攻撃されたときに、守るための武力がなければやられてしまうだろう」

彼の返答に俺は頬を掻く。

「まあ、確かにそうだけどよ……。でも戦闘だってがむしゃらにやってたら負けちまうだろ?やっぱり頭を使うのは大事だと思うんだが」

「戦闘中の頭の使い方は戦闘の中で学べる。コイルに教えられるような物理の知識が国を守るために役立つとは到底思えない。必要を感じないことはやりたくない。勉強をする時間があったらもっと強くなりたい」

そう言ってジュールがレイピアの先端を見つめた。

(なるほどな……)

ジュールの言っていることも一理ある。しかし、物理地方で物理の知識を知らずに困ることはないのだろうか。

(まあ、俺自身もガキの頃はたいして勉強しなかったしな……)

前にも言ったかもしれないが、興味があることはとことんやるが、ないことは少しもやらない人間であったため、勉強も物理以外はほとんどやらなかった。いくら勉強は大事だと言われても、大事な理由というのが分からなかったのだ。

(そういう点ではジュールと一緒かもしれないな)

とはいえ、コイルにジュールを連れ戻してくるといった手前、ジュールがサボることを看過するわけにはいかない。それに、俺は教師だ。

「まあ、とにかくコイルのところに行け。勉強したくないというのなら、それを俺じゃなくてコイルに直接言うんだ」

「そんなの何回も言ってる」とジュールが視線を落とした。

「でも、あいつは『勉強しろ』の一点張りなんだよ」

まあ、コイルのことだ。勉強のありがたみは誰よりも痛感していることだろう。あとは、自分が感じたそれをどのようにジュールに伝えるかだ。

俺は頭を掻いてから口を開いた。

「まあ、俺も勉強はあんまり好きな方じゃなかったから、お前の気持ちはよく分かる。でもな、全く勉強しないってのはやっぱり駄目だ。とりあえず、嫌でもなんでもまず机には座れ。最初は五分だけでもいい。全く机に向かわない習慣は捨てろ」

そう言うとジュールが無感情な目で俺を見た。俺はその瞳をじっと見つめる。

「典型的なことを言うが、勉強ってのはやらないよりはやったほうがいい。特に、この国なら理科の知識は絶対に役に立つはずだ。お前がこの国の王になるんだったらなおさらな」

そう言うとジュールが鼻で笑った。

「ふん。教師ってのは説教が得意だな」

「……」

黙って彼のことを見つめるとジュールがレイピアを腰にさし、俺の横を通り過ぎて城の方に向かって歩いていった。

ジュールの後ろ姿を見て抵抗が小さくため息をついた。

「ジュール様はいつもあんな感じでね。コンデンサもオーム様も手を焼いているんだ」

抵抗が体についた砂を払う。

「あんたもずっと手合わせに付き合わされて大変だな」

そう言うと抵抗が笑った。

「まあね。おかげでサボる暇もないよ」

そう言って肩をすくめる抵抗を見て俺もちょっと笑った。

「そういや、エミッタを見てないか?トランジスタの大事にしている人形の一つなんだが」

「エミッタ?……ああ、あの赤い服の人形ね」

抵抗が納得したように言った。

「見てないなあ。エミッタがどうかしたの?」

事の顛末を話すと彼が困ったように眉を下げて腕を組んだ。

「そっか、それは早く見つけてあげないとね。あのままじゃトランジスタは何も仕事が出来ないよ」

「そうか……。まあいい、今度は中庭にでも行ってみるよ」

そう言い歩き出そうとする俺を抵抗が呼び止めた。

「そうだ、コンデンサに聞いてみたらどうかな?彼女はこの城で起きたことは大体把握しているからさ」

「分かった、探してみる」

抵抗の言葉に俺は頷くと、お礼を言い城の方に向かった。

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