第4話 f

ボルトのいた大広間から出て、廊下を歩く。時間が経つごとに少しずつ頭の中が整理されてきて、俺はジュールに真空放電管を盗られていたことを思い出した。

「そうだ、お前、俺から盗んだ真空放電管を返してくれよ」

斜め前を行くジュールに右手を突き出し話しかけると、彼がちらりと俺を見た。

「ああ、あれか。……別にしばらくこっちで預かっていてもいいだろう。どうせ全ての公式が元通りになるまであんたは元の世界に戻らないんだからな」

ジュールの言葉に「確かにそうだけどよ」と不満の色を顕にする。しかし、彼はどうやっても真空放電管を返してくれそうにはなかった。これ以上の説得は無駄だと潔く気づき、俺は大きくため息をつく。

「分かったよ。その代わり大事に扱ってくれよ。壊れたら困るからな」

そう言うとジュールがぴしゃりと答えた。

「そんなことは心配しなくていい。あんたは何も考えず、とにかく公式を元に戻してくれていればいい」

真空放電管を人質に取られている以上、今はこいつの言うことを聞くしかない。

(仕方ねえな……)

俺は再びはあとため息をついた。


少し廊下を歩くと、水色の長い髪をした綺麗な女が立っているのが見えてきた。

「ジュール様、おかえりなさいませ」

両手を前で重ね、恭しく頭を下げる。その声は透き通って美しく、上品なものだった。

「コンデンサ、こいつの身の回りの世話を頼む」

ジュールの言葉にコンデンサと呼ばれたその女が再び頭を下げた。

「かしこまりました」

計算され尽くしたかのように美しい動作だ。優しそうに瞳を閉じ微笑みを浮かべたコンデンサは、特に女にうつつを抜かしたことはない俺でも思わず見惚れてしまうほどの美貌を持っていた。

コンデンサの返事を聞くと、ジュールが回れ右をしてどこかに去っていった。彼の後ろ姿を目で追う俺のことを見てコンデンサが柔らかく微笑む。

「ようこそ、我が地方へ。救世主様」

そう言われてなんだかくすぐったさを感じる。同僚の教師が、常に気怠気な俺が救世主だなんて呼ばれていると知ったらさぞかし驚くことだろう。

「いや、まあ……」と頬を掻いているとコンデンサが再び口を開いた。

「わざわざ人間界から足を運んで下さり、心より感謝しております」

そう懇切丁寧に言われ思わず返事に困る。

「いや、いいよ」

出来る事ならそのお礼をボルトやジュールに言ってもらいたかったがしかたない。

「あんたは……コンデンサって言ったか?」

そう尋ねると彼女が頷いた。

「ええ。申し遅れました。私はこの城の給仕を取り仕切っております、コンデンサと申します。これからよろしくお願いいたします」

あまりにも丁寧な彼女に俺は思わず面食らう。こんなにも手厚い対応をうけたのは初めてかもしれない。

「さっそくお部屋に案内させていただきます。どうぞこちらへ」

そう言ってコンデンサが歩き出す。「おう」と俺は頷くと後に続いた。


コンデンサに俺の泊まる部屋だと案内されたその部屋は、下手なホテルよりも綺麗なところだった。部屋は広いし、床には手触りのいい絨毯が敷かれている。ベッドが二人分くらいの大きさであるし、トイレや風呂も完備されている。

(これはすごいな……)

西洋風の超高級ホテルにでも来たかのようだ。呆けたように部屋の中を見回す俺にコンデンサが慇懃に近づいた。

「救世主様、上着をお預かりします」

そう言って上着に触れようとする彼女に首を振る。

「いや、いいよ。これくらい自分で出来る。ありがとな」

面倒くさがりやな俺ではあるが、こんなにも待遇がよく身の回りの世話をされてしまうのはなんだか気が引ける。さすがに上着くらい自分でハンガーにかけよう。

コンデンサに気を回してもらったお礼を言うと彼女が優しげに微笑んだ。

「これくらい大したことはありません。私はこれにて失礼しますが、何かありましたらなんなりと私にお申し付けください」

「おう、ありがとよ」

そうお礼を言うとコンデンサがお辞儀をしゆっくりと部屋から出ていった。

扉が閉まったのを確認してから、ふわふわのベッドに背中から倒れ込む。そして、天井に取り付けられたシャンデリアを眺めた。

理科の国に来るまでも来てからもずっと走っていたため体がどっと疲れている。このまま寝てしまおうかとも思ったが、せっかく物理地方に来ているのだ。あちこち見て回らねば損というものだ。

珍しく俺の中で好奇心が面倒くささに勝った。

(この城の中を歩き回ってみることにするか)

そう思いベッドから体を起こすと扉の方に向かった。

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