第2話 z
最初は森に囲まれた静かな場所にいたものの、男を追っているうちに賑やかな場所に出た。道の両側に並ぶ店の間隔がだんだん狭くなっきて、それに比例するように人通りが多くなってくる。
(ここは一体どこなんだ?)
男を見失わないようにしながら辺りを探る。町並みを見た感じ日本ではなさそうだ。西欧諸国の町並みを彷彿とさせる。
段々走るのに疲れてきて、俺はとうとう足を止めた。こそ泥を追いかけたい気持ちは強いが、体がそれについていかない。
(俺も年をとったな……)
そうしみじみと思ってため息をついた。
呼吸を整えながら、綺麗に舗装された石畳の上をゆっくりと歩く。十字路近くにあった立て看板を見ようとそれに近づいた。
そこには大きくマップが貼り付けられており、大きな文字で『ようこそ理科の国の首都、物理地方電磁気学区へ!』と書かれていた。
(理科の国?物理地方?電磁気学区?)
聞き慣れない単語を脳内で復唱する。なんだそりゃと首を傾げて、同僚の数学教師がかつて数学の国に行ったとの話をしていたのを思い出した。そのときは
(また数学バカが変な話をしているな)と本気にしていなかったものだが。
(ここが理科の国?本当なのか?)
そう思い顎に指を添えて考え込む。すると目の端で何か黒いものが動いたのが見えた。振り向くとさっきのこそ泥が俺との間に少し距離をとって立っていた。そいつは俺とは反対に汗一つかかず、涼しい顔をしていた。
(あいつ、無駄な体力を使わないように最低限しか逃げていないみたいだな)
そこそこ頭が回る相手らしい。憎たらしく思って男を睨みつけて、ふと疑問に思った。
追いかけてくる相手をわざわざ待つなんて妙なこそ泥だ。どうやら奴は、俺のことをまきたいわけではないらしい。
(もしかして、俺をどこかに連れて行こうとしているのか?)
そう考えて首を振った。あの男と俺は赤の他人だ。奴にそんなことをする理由などない。
俺は少し体力を回復させると、そいつの方に一歩踏み出した。俺がまだ走る元気があるのを確認すると、男が俺に背を向け、再び走り出した。
(上等だ、地の果てまで追いかけてやる)
売られた喧嘩は買うまでだ。俺は汗を拭うと男の後を追った。
そいつを追ってしばらく走っていると、西洋風の大きなお城が見えてきた。高い鉄柵に隔てられ、綺麗に手入れされた庭に囲まれたその城は、きらびやかでとても華やかなものだった。
(なんだ、こりゃ……。理科の国にはこんなものがあるのか?)
走りながら呆けたようにそれを見ていると、前を走っていたこそ泥が急に立ち止まった。しめたと思って近づいた瞬間に男は鉄柵を軽々と乗り越えて、城の敷地内にとび降りた。そしてそのまま建物の方に走っていってしまった。
(あいつ、城の中に……!)
俺も足を止め、柵を見上げる。俺の背丈の二倍から三倍ほどある高い柵だ。これをあんなに軽々しく乗り越えられるなど、相手は只者ではなさそうだ。
柵を掴むが、流石に俺には乗り越えられそうになかった。高校生の頃なら出来たかもしれないが、体力の落ちた今では難しい話だ。
(くそ……。どうにかしてこの城内に入らねえと)
全く、鞄を取りに行っただけだというのにとんでもない面倒ごとに巻き込まれたものだ。俺は舌打ちをするとその柵に沿って歩き出した。
城はかなり広大な敷地を有しているようで、歩いても歩いても鉄柵が続いていた。まるで狐に化かされて同じところを堂々巡りをしているかのような感覚に襲われる。
単調な景色に飽きが来ていたとき、やっと右にあった柵が途切れて大きな門が見えてきた。上まで見ようとすると首が痛くなってしまうほどだ。
その門の前に金髪でこれまた髪を後ろで一つにまとめた男が立っていた。そいつは白いマントを羽織り、まるで騎士のように剣を腰にさしていた。
その男は腰の曲がった年老いた老婆と何かを話していた。それを遠巻きに眺める。
「それで、王妃様……アンペア様のご様態はどうなのですか?」
心配そうに尋ねるその老婆に男が明るく笑いかけた。
「まだベッドで横になっておいでですが、全くもって心配はいりません。すぐにでも元気になられますよ」
そうは言うが、老婆は「それならいいのですが……」といまだ心配そうな顔をしていた。
何の話をしているのか俺にはさっぱり分からない。会話の途中でアンペアという言葉を聞いたような気もしたが、俺にはちんぷんかんぷんだった。
城へと入れる門は開け放たれている。とにかく、あそこから中に入ってあのこそ泥を捕まえなければならない。
俺は老婆が門番の男から離れるのを見届けると、こっそりと城の敷地に忍びこもうとして、彼に見つからないよう後ろからそっと近づいた。しかし、あともう少しで門をくぐれるというところで男がこちらを振り返った。
「……お客さん、入るならもっと堂々と入ってきて下さいよ」
そう言って男が俺を見て笑う。眠たげな顔をしているが、意外と気配には敏感らしい。俺は見つかったことに内心舌打ちをしながら男に声をかけた。
「この城の中に俺の持ち物を盗んだこそ泥が逃げて行ったんだ。そいつを捕まえたいからここを通してくれ」
そう不躾に言うとそいつが困ったような顔をした。
「こそ泥?……そんな輩はここを通っていないよ。来ても俺が絶対に通さないしね。残念だけどその理由じゃここは通せないな」
「門を通っていったんじゃない。そいつは柵を乗り越えていったんだ」
そう言って鉄柵を指さす。男がそれを見上げ、首をひねった。
「……ここを乗り越える?そんなこと出来るはずがないよ」
話の進まない男に対して、走って疲れたのもありイライラしながら俺は言い返す。
「出来るはずがなくてもやったやつはいるんだよ。いいからそこを通せ」
そう凄むように言うと男が俺をなだめるように笑った。
「まあまあ、そんなカッカしないで」
カッカするなと言われても無理な話だ。俺がまだその男を睨みつけていると、そいつはへらりとした顔をやめ、少し声を低くした。
「……そんなにイライラしているなら、一度冷静になってみる?」
そう言い、腰にあった剣に手を伸ばす。
「なんだ?それで俺を脅すつもりか?」
剣相手に素手で勝てるはずもないが、ここで引き下がるわけにはいかない。生徒たちが実験をするのを楽しみに待っているのだ。なんとしてでも真空放電管を取り戻さなければならない。
「俺だって出来れば剣は抜きたくないよ。戦うのはあまり好きじゃなくてね。……君が早く立ち去ってくれればいいんだけど」
努めて穏やかに言うそいつの言葉に俺は応じなかった。そんな俺を見て、男の呑気そうな瞳が少し険しさを帯びた。一見なよなよした優男のように見えるが、剣を抜こうとするその格好だけは中々様になっているものだ。
男が俺から視線を外さずに剣の柄を握ったと同時に
「やめろ、抵抗」と後ろから声がした。門番の男がその姿勢のまま振り返る。
「……ジュール様」
男の後ろから現れたジュールと呼ばれた奴の顔を見て俺ははっとした。そいつが、俺から真空放電管を盗んでいったこそ泥と全く同じ顔をしていたからだ。
(他人の空似にしては似すぎてるな。まさか、こいつがあのこそ泥か?)
しかし、今の男は先程までのカジュアルな格好ではなく、どこかの国の王子のような高貴で気品のある格好をしていた。顔もどことなくこそ泥よりもキリッとしているように見える。
首をひねる俺のそばまでジュールがやってくる。そいつをまじまじと見て、俺は口を開いた。
「お前、さっきのこそ泥だよな?」
そう疑わしげに尋ねるが、ジュールは何も反応を返さなかった。今そいつが真空放電管を持っていないため、決め手に欠ける。
「……えーっと、ジュール様。これは一体どういうことでしょうか?」
門番の男が姿勢を元に戻し、面食らったように俺とジュールを見比べる。ジュールが俺を冷めた瞳で見つめた。
「そいつは俺が呼んだ客だ」
そう言ってから俺に対して顎でしゃくった。
「ついてこい」
俺の返事も待たずに歩き出す。何がなんだかさっぱり分からないが、とにかく今はついていくしかなさそうだった。
俺はジュールの後を追って歩き出した。
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