カエルに睨まれた人間

蛾次郎

第1話


 10月半ばを過ぎた頃、野生生物専門サイトのライターをしている剛は同行した専属の男性カメラマンと2人で野生生物の取材と撮影をするため或る密林地帯に向かった。

2週間ほどの滞在で目的の野生生物を撮影し、その様子を記事にしようという目算である。初日は夕頃まで目的の野生生物を発見するに至らず、2人は深夜の撮影に備えテントを張り始めていた。

その時である。

「はぁ痛っ!!!」

カメラマンがくるぶしの辺りを手で押さえながら苦悶の表情を浮かべそのまま倒れたのだ。

剛はカメラマンの横を豹柄のヘビがスルスルっと茂みの中へ入って行くのを目撃した。

剛は激痛でもんどり打つカメラマンの足を咄嗟に持ちブーツを脱がせパンツの裾を捲り、噛まれたくるぶしの傷口に吸い付いて毒を吐き出す応急処置を始めた。

「んぐはあっ!ふんあああああ!!!」

カメラマンは、もがき苦しみながら身体をバタつかせ痙攣を起こし始めた。

剛はその様を冷静に見ながら、くるぶしの傷から滲む血を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返した。

しかしカメラマンの状態は一向に回復する気配を見せず次第に彼の足が冷たくなっていく感触が剛の手を伝った。呼吸もどんどん浅くなっていくのが見てとれた。

冷静だった剛の脳内に「死」の文字がよぎり焦燥の汗が額から流れ出した。

剛は一旦、足元に置いたリュックからペットボトルの水で口をゆすいだ。

その際ふと自分の太腿に1匹の赤い小さなカエルが止まっている事に気づいた。

「オニアカガエルだ…」 

剛は驚いた顔で呟いた。

オニアカガエル。

この体長約4cmの小さく赤いカエルが皮膚から出す分泌物は凡ゆるヘビの毒を中和させる効力を持つと言われている。日本南部の密林地帯に生息する日本の固有種であり、近年、約40匹程しか生存しない絶滅危惧種に指定されている。

剛はこのオニアカガエルの真っ赤な体色から眩い御光が放たれているように見えた。

しかしすぐにこのカエルの重大な盲点に気づき、その御光は一瞬で消え去った。

 

重大な盲点。それはこのカエルが血清を持つタイプと猛毒を持つタイプの2種類に分かれているという事だった。

まるで赤と青の導線どちらを切れば良いのか分からない時限爆弾のようなリスクを抱えているのである。

更にこの密林地帯がオニアカガエルの生息する日本南部の密林地帯ではなく、日本の極北に位置する密林地帯であるという事も剛の不安を一層大きなものにした。絶滅危惧種のオニアカガエルが日本の北部に生息しているという事例は剛の脳内にある膨大な知識や情報を辿っても全く記憶に無く、その稀有な事例が過去にあったかをスマホで調べようにも、この一帯に電波が届くエリアが無いのでどうにもならない。

そもそもこんな絶妙なタイミングで血清を持つ絶滅危惧種が自分の膝に乗っているのも信じがたい状況だ。

もしもこのカエルが毒を持つタイプだった場合、自分はカメラマンに毒を擦り込んでトドメを刺した殺人犯になってしまうのではないか?それどころか南部にしか居ないはずのオニアカガエルを自分が持ち込んだのでは?という疑いが掛かり、その疑いが晴れなかった場合、相当な重罪で裁かれるのではないか?そうなると毒ヘビすらも自分が仕掛けたのではないか?という更なる疑惑も…

剛の思考回路はどんどん負のスパイラルに突入していった。

しかし急激に青ざめていくカメラマンの顔を見て剛は脳内を襲う妄想から覚め我に帰った。

「もうどうにでもなれ!」

そう叫ぶと剛は腹を括った。

登山用のグローブを素早く装着し、膝の上に乗っているオニアカガエルをサッと優しく掴んだ後、皮膚からポツポツと浮き出た分泌物をカメラマンの傷口にそのまま擦り込んだ。

「一か八かで一と出ろ!!」

剛は叫びながら、このカエルが血清を持つタイプであることを祈った。

 

処置を施してから数分が経った頃、何の反応も無かったカメラマンの腹部がゆっくり上下に動き出し呼吸音が聴こえて来るのが分かった。そこからすぐに呼吸音は深く大きくなっていった。

剛は昂ぶっていくテンションを抑えながら、尚も分泌物をカメラマンの傷口に擦り込み続けた。

そして30分ほどが経過した頃ついぞカメラマンの意識が戻り始めた。

「おい?大丈夫か?」

目を開いたカメラマンに剛は優しく話しかけた。

「はあ…い、生きてる…んすか?俺」

まだ朧げな表情だが、カメラマンの容態は悪く無いようだ。それから数分が経過するとカメラマンの体調は完全に回復した。

2人は穏やかな雰囲気で話し始めた。

「身体が冷たくなった時は完全に終わったと思ったよ」

「僕が噛まれたのはマムシですかね?」

「いや豹柄みたいなヘビだったな。あれ何てヘビだっけ?名前ド忘れしたな」

「豹柄かあ…」

「まあいい。これが命の恩人だ」

剛は手の中で優しく包んでいたオニアカガエルをカメラマンに見せた。

「これって…オニアカガエルっすか!?」

「ああ、信じられないだろ?膝にピョコンと乗ってたんだぜ?」

カメラマンはすかさず体を起こし、あらゆる角度から恩人を撮りまくった。

オニアカガエルは撮られている事を意識してるかのように剛の手から飛び出すことなく自然な佇まいで遠くを見ていた。

剛の賭けは見事に「一」が出たのだった。

 

 

それから数ヶ月が経ったある日、剛が自宅でくつろいでいると、スマホにカメラマンから着信が来た。カメラマンが剛に話した内容はこうだ。 

 

こないだ密林地帯で撮影したオニアカガエルの写真を両生類の専門家に見せた所、体の特徴からこれはオニアカガエルでは無く、アマゾンに生息するアマゾンアカアマガエルだと断定された。このカエルの分泌成分がヘビの毒の血清になったのは、おそらく自分を噛んだ豹柄の毒ヘビが絶滅危惧種に指定されているニホンヒョウモンヤドクヘビである可能性が高い。何故ならそのヘビの毒を中和させる事が唯一可能なカエルがアマゾンアカアマガエルだからであるとの事だった。

 

剛はカメラマンの報告を只々聞いて通話を終えた後、腑に落ちない点を手元にある資料やネットで調べた。

ニホンヒョウモンヤドクヘビの毒がアマゾンアカアマガエルの分泌物でしか中和されないという研究結果は過去の実験で3度行われ完全に立証されている事は知っていたが、何故日本の極北にアマゾンのカエルが出現したのか、何故この2匹が偶然にも同じエリアに出現したのかなどの疑問を様々な角度から調べたが、有力な情報を見つけ出すことは出来なかった。

それならばと剛は、再び現地へ行き自らの手で実態を探ろうと考えた。翌日、剛が運営サイトの上層部にその計画を話すと快く了承してくれた。嬉しい事に死の淵を彷徨ったカメラマンも同行してくれることを約束してくれた。

 

それから数日後、2人は通信機材を整え早速現地に渡りニホンヒョウモンヤドクヘビとアマゾンアカアマガエルの生態を追う取材を行った。そして毎日近況を書いた記事と写真をサイトに上げた。すると数週間でネットユーザー達から話題となり、1日数百万ものアクセス数を稼ぐ大人気サイトとなった。それを機に大手企業のスポンサーが付き、取材に必要な機材も更に充実するようになった。

これにより記事や写真だけでなく24時間体制で密林の映像を撮影出来る赤外線機能を搭載したカメラでの動画配信も可能になった。調査を手伝う専門スタッフも数十名集まるようになり気が付けば取材は半年が経過した。

結果的に二ホンヒョウモンヤドクヘビの生態や現在の実数などに関しての調査には成功したが、アマゾンアカアマガエルを再び発見することは出来ずに一旦取材を終えた。

一番の収穫は剛がこの半年間、毎日サイトに寄稿したルポをまとめた書籍がベストセラーになった事だ。

しかし剛は、その書籍に載せられた写真がカメラマンの撮影したものではなく出版社の判断により赤外線カメラで撮り続けた固定カメラの動画から切り取った画像だけだったため、カメラマンに報酬が入らない事が気になっていた。

 

書籍が20万部を突破した頃、カメラマンから剛のスマホに着信が来た。

彼が話した内容は、アマゾンアカアマガエルも毒ヘビも元々あの場所にはおらず、逸話や美談を書籍にするため剛が入手して自分がその被害を被ったのでは無いか?というあらぬ憶測だった。

剛は真っ向から否定したが、カメラマンも折れず、そもそも緊急事態とはいえ、毒か血清どちらかも分からないアマゾンアカアマガエルの分泌液を擦り込む行為自体如何なものか?と言われると反論に窮してしまった。

カメラマンは最後に週刊誌への告発を匂わせ電話を切った。

 

やはりカメラマンは報酬に不満がある。そう察した剛は近々出版社にこの件を伝えなければと思っていた…が、その矢先、運営サイトの社員から剛のスマホに不測の事態が起こったという連絡が来た。何でもカメラマンが出版社に乗り込み書籍に自分の写真を載せなかった事に不満をぶちまけたらしい。それが原因で出版社から運営サイトにクレームが入りサイト側はカメラマンを即刻契約解除したという。まさか言い掛かりの電話をした直後に出版社に乗り込むとは思いもしなかった剛は、すぐさま運営サイトのオフィスへ出向き、上層部にカメラマンの契約解除の撤回と納得のいく報酬を渡すように持ち掛けた。上層部も功労者である剛の懇願を渋々飲んだ。

自暴自棄になっていたカメラマンはそれを知り、再度、剛に電話で泣きながら謝罪と感謝の言葉を告げた。


カメラマンのクーデターは1日で終結した。

 

数ヶ月後、再び密林地帯へ潜入し、今度こそアマゾンアカアマガエルを発見しようという動画配信企画の第2弾が開始された。

今回、密林地帯に潜入取材をするのは、あのカメラマンと剛を信望している新米ライターの2人だ。

動画配信は高級マンションの1室で葉巻を燻らせながらくつろいでいる剛の専用シアタールームだけで流れていた。

早速、新米ライターがリュックに忍ばせていたオニアカガエルを取り出した。

「さあ、どっちのカエルだ?」

剛は、そう言うと凄惨な事態を期待し胸が躍った。

剛は、血清を持つタイプから毒を持つタイプへと変化を遂げていた。


(おわり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カエルに睨まれた人間 蛾次郎 @daisuke-m

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ