ファイル4 ミスターD前編
私は倉庫の中にあるスタッフルームに繋がる扉に手を伸ばした。その瞬間、身体がふらついて倒れそうになった。
今日は連勤5日目。しかも二日連続でぶっ通しだ。何時間労働だろうか?と言いたくなる。
新人二年目でやったぶっ通し連続7日に比べたらまだマシだ。あの頃は最終日には労働基準法が存在するかどうかについて頭の中で哲学してしまったが今日はひどく疲れているだけだ。
今、時刻は夕方、閉店時間までまだある。
フラフラしている身体に鞭打ってスタッフルームに入り、自分のロッカーに入っているあるものを取り出す。
ーーーー念の為、用意しておいて良かった。女王様!お願いします!
ファインファインオリジナルの栄養ドリンク、エールクィーン。通称女王様。朝鮮人参に特殊な処理を施した紅参を中心にオウギ、冬虫夏草、生姜など身体が元気になる植物生薬が配合されたものだ。やれ、鹿のゴールデンボールとか南の方に生息する蛇のエキスとかそういう狂暴そうな動物性生薬は含まれてない。ちなみに冬虫夏草は、キノコなので植物性生薬であると私は主張する。
ーーーーそういえば朝鮮半島は大災害で沈んだけど名前は残っているんだよな。確か地下で兵器開発の実験し過ぎで地盤がイカレて沈んだじゃないかと思う。
私は女王様の封を開け、一気に飲み干し、その勢いで口直しに新商品のリサイクルボトルのジュースも飲み干す。
ーーーーこれでなんとかなるはずだ。
私は、今日の予定が書いてある用紙を確認した。今日の業務前に気づかなかったが今改めてみると私に対して何かメッセージが書いてある。
『新商品、よろしくー!』
脳内であのお調子者の声が綺麗に再生された。疲れが酷過ぎて腸が煮えくりかえるしかない。
ーーーーあれか。まぁ仕事だから仕方ないか。
自分にそういい聞かせるとメッセージの内容を考えた。メッセージに書いていた新商品とはトランスリーの事だ。トランスリーとは医療用に使われていた痛み止めの配合剤にさらに胃薬を追加配合した注目の新商品だ。
おそらく整形の医者が使いまくったせいでがっつりデータが取れたのだろう。個人的には余り勧めて販売したくない商品だが、これも仕事だ。
私は店内に戻り作業を始める。医薬品カウンターの上に例のトランスリーの空箱が季節外れのお雛様のように飾られている。
ーーーーハデな演出だな。今は初夏だぞ。
見ているだけで頭が痛い。
医療用に使われていたのもあって一箱三回分、値段はかなりいい。下手なプロテインが買える金額だ。
ーーーーここは終わった後のことを考えるとしよう!
そうだ!明大ラーメンだ!明大ラーメンに行くぞ!
明大ラーメンとは私が住んでいるアパート(正確に言うと社宅である)の近くにあるラーメン屋である。
ここのラーメンは味噌豚骨のスープでチャーシューが半端なく厚い。しかも独特の味噌を中心としたタレの味がしっかり染み込んでおり、堪らない。卵も煮卵ではなく独特味噌ダレに漬けた漬け卵である。
今日、仕事終わった後、私を待っているのは独特のほんのり味噌の甘味が広がる味噌豚骨スープ、表面を埋め尽くす独特のタレを染み込ませた一口では食べれないぶ厚いチャーシュー。独特の味噌ダレを染み込ませたゆで卵は3つ乗っている。そしてワカメとメンマをたっぷりトッピング。サイドにはニラたっぷりの餃子。餃子は持って帰って一人でだらだら呑むのも悪くないなぁ・・・・
ーーーー食べ物の事を考えていたら、お腹すいてきた。このくらいにしておこう。そうしよう。
「すみません」
私はしばらく薬カウンターのところで作業していた。そして声をかけられたのだ。声をかけた人物はおそらく男性だ。この声は幾度なく聞いたことがある。
「はい。どうなさいましたか?」
私は声の主と向かい合い、彼の言葉に応えた。そして、改めて確認する。
ーーーーやっぱり。今日は疲れたから目の保養させていただこう。
私の目の前にいる男性・・・一応和泉さんの息子さんと同じ学年らしいから少年と言った方が正しいか。
短い黒髪の少年と言っても身長は私より高い。身体付きはガッチリしている。
・・・・こないだもプロテイン買っていたから鍛えていることには間違いないだろう。
目付きは悪いがその瞳の奥に優しさを秘めている。
ーーーーうーん。悪くない。ついつい私も後10年若ければとか思ってしまう。惚れられた女の子が羨ましいぞー!
それはとにかく仕事だ仕事。何を聞くつもりだろうか?いつも買い占めている紫雲膏はないぞ?緊急で必要なお客様の為にかくしてあるからな。
そういえば今日は珍しくかごを持ってない。どうしたんだ?
「これ、ください」
彼は指差して言った。指している方向には例の新商品のディスプレイがある。
「え?今、なんて言いました?」
私は聞き返した。
「この新商品の痛み止め、欲しいんですけど・・・」
彼は改めて応えた。
ーーーーダメだ。疲れが酷すぎるのだろうか?幻聴が聞こえる。
「確認ですがどなたが飲まれるのですか?」
「・・・オレです」
ーーーー今、なんて言った!!?
落ち着け。落ち着け。落ち着け、私!!
幻聴か?あぁ、幻聴に決まっている!!
私は固まったまま彼を見た。
ーーーーおいおい!こういう時は嘘でもいいからお父さんとかおばあちゃんとかが飲むって言ってくれよ!正直に言ってくれちゃってるから私の良心が揺さぶられるじゃないか!!!!
「・・・お客様、ポスターに書かれている注意事項読まれましたか?」
「読みました。書かないといけないやつでしょ?オレ、別にいいですよ」
ーーーーそういう問題じゃない!!!
「お客様、一つ申し上げてよろしいでしょうか?」
「はい」
「お客様が先日買われました新商品のプロテインと一緒の値段ですがよろしいでしょうか?」
私は落ち着いて言葉を放った。
「いいです。というか何で覚えてるの?」
彼は呆れ気味に返した。
ーーーー仕事だからだ!彼は会員様になってない。支払いは大抵現金。一回の買い物金額は少ないときでも私の日当の半分以上!(暇な時に計算した)
かなりの金額をお買い上げになられるお客様だ!また来てもらえるようにこそこそ努力しているのだ!悪いか!!
と言いたい気持ちを抑えた。
彼は黙った。私は薬の箱をいくつか取り出し、説明し始めた。
「こちらのピンクの錠剤の商品はいかがでしょうか?20錠入りでかなりお買い得になっております」
私は最高の笑顔で言い放つ。
「・・・・それ、効かなかったからいい」
ーーーーダメか。なら!
「こちらの緑色の箱の商品はいかがでしょうか?値段も新商品の3分の1で10錠入りでございます。辛いときは4錠まで増量可能です」
「・・・・それも効かなかった」
ーーーーあぁ!!もう!!!
「お客様、念のためですが年齢を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
ーーーーここで嘘をついてくれ!頼む!!
彼は少し考え込んだ。
「・・・こないだ、誕生日だったから、14だな。14です」
ーーーー終わった。今、君私服着ているよね?見た目だけなら大人って言っても通るよ?
なんでこういう時に正直になるわけ?いや、嘘ついてもいいんだよ。少なくとも私は怒らないよ。
と考えても仕方ない。こうなったら最終手段だ。
「ちょっと確認して参りますので少々お待ちください」
私はそう言い放つとスタッフルームにかけこんだ。
「サート子ちゃん、お疲れ~」
スタッフルームに滑り込むと幻聴が聞こえた。
「お疲れ様です」
私は幻聴に応えた。
周りを確認せずそのまま私のロッカーを開け、バッグに入っているデバイスを取り出そうとひたすらバッグの中を探していた。
「凄いよね~。いきなり新商品がほしいっていわれるんだよ。やっぱり持っているものが違うね」
幻聴はそのまま続ける。
ふと目をやるがやっぱり私は疲れているのだろう。幻覚が見える。
ーーーーそうだ。私が文句を言いたいあのお調子者が黒い上下の私服姿てスタッフルームの端末を弄っている。
「何、コントをしているわけ?素直に売ればいいじゃん」
「そういう問題ではありません・・・・って?」
私は今、目の前にいるのが幻覚ではないことに気付いた。
「店長、いつからいたんですか!?」
「うーん、ここには一時間くらい前から。正確にはもっと前から居たけど」
「何しにきたんです?」
「シフト作りにきたよ。後、いたずらを少々」
・・・・完全にオフなら殴ってたな、うん。
「店長、事態はわかっていますね?」
私は確認した。
「あぁ、いつものあいつだろ?普通に売っても問題ないんじゃない?俺なら普通に売るけど」
「ルールと言うよりなんと言うか・・・」
「つまりサート子ちゃんが納得できないわけね。そうだ。子どもの薬って何をもって適切か判断する?」
「年齢と体重です」
私はさらりと返した。
「それだよ!それ!」
「・・・・と言うと?」
「体重聞いて問題なければいいんだよ」
「なるほど」
ーーーーそういう事か。
それで自分を丸め込ませろと。
私は適当な小さい紙切れに数字を書き、それを握りしめて医薬品カウンターに向かった。
「大変お待たせしました」
医薬品カウンターの辺りでずっと待っていた彼は私の方を見つめた。
「お客様、念のため体重を確認したいですがよろしいでしょうか?」
「いいですよ。えーとこないだ測った時は・・・」
「いえ、今から見せるのより重いか軽いかで大丈夫です」
私は数字を書いた紙切れを彼に見せた。紙切れには60と書いてある。
「・・・それよりはあります」
ーーーーわかっていたが当然の結果だ。さしあたって問題はないだろう。
私は会計の処理をすると同時に台帳に記帳してもらうことにした。
「これ、自分の名前書くんですよね?」
彼は書きながら私に聞いた。
「念のため、保護者の名前でお願いします」
「え?自分の名前を書きかけたのに!?」
彼は少しため息をつくと
「・・・・親父どのの名前を書くのは嫌だな」
よほど嫌なのか言葉を漏らした。
「保護者のダイレクトIDで大丈夫です」
「わかりました!それなら!」
彼は意気揚々とペンを走らせた。
「何かごさいましたら、ご連絡ください」
「はーい」
彼は返事をすると商品を入れた紙袋をポケットに入れると店を出た。
私は台帳を片付けて、スタッフルームに向かった。
そこにはあのお調子者はいなかったが置き手紙はあった。
『サート子ちゃん、お疲れ~!!発注して帰るよ。今日頑張ったからご褒美に好きなジュース買ってあげるね』
とメモには書かれていた(しかも頭の中で綺麗に再生された)。
ーーーー有り難くいただくか。
私はメモに返事を書くと、閉店時間が近いので片付けを始めた。夜のバイトちゃんたちに指示を飛ばす。
そして、台帳を開き、書き加えるところを書き加えようとした。
台帳には妙な文字があった。いや、妙なものが目についたと言うべきだろう。妙なものとは筆記体でShinと書かれていた文字だった。
ーーーーさっきの男の子だな。えーと、シンくんか。この感じだとシンなんとかくんだろうな
そして閉店時間を迎えた。
続く
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