第60話

 気が付くと、深夜二時を過ぎていた。

 母親の家には、Wi-Fiが通じていた。タブレットで、ネット対局を指すことができる。帰宅してから、ずっと指していた。何局も、何十局も。

 まったく楽しくはなかった。レーティングも上がらなかった。それでも、指さずにはいられなかった。画面を叩いて、駒を打ち付けた。

 太陽は初めて、強くなれないことに焦っていた。指せば指すほど伸びる時期が、終わったのだ。壁がそびえ立っていた。その壁を乗り越えたいのかどうか、そこから自問しなければならなかった。

 疲れ果てたころ、タブレットの充電も切れた。床に寝転んで、天井を見上げる。

 涙が、首筋へと流れた。

 強くなりたいと、太陽は思った。



「強くなっていてほしい」

 金本は言った。

「太陽くん、でしたっけ」

「纐纈太陽。賢そうな子だった」

 朝九時。将棋基地にはまだ、二人しかいなかった。これから、人々を迎える準備が始まる。

「百合草先生に習っているんでしたっけ」

「ああ。でも、今はわからない」

「会いたいですか」

「……わからない。正直、彼にはあそこから抜け出してほしい。俺みたいな人間がいた場所じゃなくて」

「でも、そこで出会わなかったら、太陽くんは将棋に目覚めなかったかもしれないんですよね」

「先生の前でこう言うのは何だけど……出会った方がよかったのかどうか」

 金本は、一度唇を噛んだ。

「なんか……私が言っていいのかわからないんですけど……月子さんに、聞きに行くのがいいんじゃないですか」

「えっ」

「将棋の世界のことを聞ける娘がいるんですから。あの、駄目だったらごめんなさい」

「いや、うん。そうだな。そうなんだろうな」

 金本は、頷いたり首を振ったりを繰り返した。

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