第566話 もらってくれますか?

「あ、メール」と、友里恵はケータイを取り出す。

車内ではサイレントにしているのはさすが。

職業柄、と言うか。



立ち止まって、10号車のデッキ。



友里恵はメールを読む「へー、タマちゃん、クルマ変えたんだ」



由香は「タマちゃんのクルマって・・・あの、旧いトヨタでしょ」


友里恵は頷き、にこにこ「ミントのラパンにしたんだって」



菜由は友里恵に「メール、誰?」



友里恵は「千秋」




愛紗は、なんとなく「そうなの・・・」



愛紗の中のイメージだと・・・知的、物静か、堅実。


だけど・・そういう人が、若い女の子が乗るような

フレンチ・ミントのラパン、に乗るのは、やや意外・・・と言うか


イメージがすこし崩れた(笑)




でも、それは愛紗の誤解で・・・・・

元々の深町はクルマ趣味の人である。


イタリアン・レッドのCR-Xを二台乗り継いだり、ロータス7のレプリカを

新車で買ったり。



750ccのバイクに乗り・・・そう、千秋の知っている若い頃の。


その頃の彼を、愛紗は知らない。


・・・と言うか、愛紗が投影したい「イメージ」を


彼の姿に合わせていただけなのかもしれない。



その偶像の根源・・・・それが「愛しい」イメージなのだろう。


往々にして、それはいつかは崩れるものだ。



友里恵は「あのオートバイも売っちゃったんだって」



由香は「ああ、あの・・・ヤマハでしょ。友里恵も乗せてもらった」



友里恵は頷く。「でも、それは買い替えなんだって。新しいバイクにするらしい。

なんか淋しくなっちゃうなー。あのバイクがなくなっちゃうの」



友里恵も由香も、そのバイクは知っていて・・・旧いトヨタもよく知っている。

乗せてもらったこともある。



そういう思い出があると・・・・淋しく思うのだろう。




愛紗の思っていた彼のイメージは、

旧いものを大切に、いつまでも使い続ける堅実な人で・・・。


年老いたお母さんにも優しく。



私財を気に掛けず、お母さんの願いで

庭付き一戸建てを買ってあげる。


その為かどうか・・・・自身は婚姻もせずに

仕事一筋・・・・。



バス・ドライバーも「鉄道員に準じた」仕事だから

志望した。



そういう・・・すこし変わっているけれど「志」のある人。




そういうイメージ、愛紗の中のそのイメージは


どこから来たのか?



わからないけれど・・・それは愛紗自身にも。





ふと、愛紗は白昼夢を見た。


一瞬。



愛紗の持っている、ダイハツ・ココアを

大岡山営業所のバス・プールで


深町に差し出して「貰ってくれますか?」



愛紗は、バス・ドライバーの制服を着ている。

深町も。



鉄道員になる愛紗は、クルマをもっては行けないので


旧いトヨタを直しながら乗っている深町にあげよう。



そう、心のどこかで愛紗は思っていたのかもしれない。



深町は一瞬たじろぎ「いや・・・・貰うと言っても・・・・・いきなり・・・・キミを?」




そう誤解した深町は、ユーモラスだった。

若者のようだった。




愛紗は、笑った。そんな深町を見た事は、無かったし・・・


自身を「女の子」としてみてくれたのかな、と

それが嬉しかったのだったり。



事務所から遠いバス・プールで

昼下がり。



お互い、担当のバスのそば・・・。





友里恵が覗き込む「オトメちゃん?どしたの?」




愛紗は我に還る。「あ、ごめんなさい。ちょっとファンタジー」




菜由は「考え事?」と、少し訝しげに。



愛紗は「ううん、なんでもないの・・・」と、気恥ずかしい夢のことは

誰にも告げられない。(^^;



そう思って「さ、いこっか。自分のお部屋」



ブロンズ・ガラスの10号車のデッキドアが開いた。



SOLO

COMPARTMENT CAR



そんな、金文字の仕切りドアが空気・スライドで


がらがら・・・と開いた。




菜由だけが、その愛紗の変わりように気づいた。



みんなが・・・すこしづつ。どこか。


変わっていく。



過ぎ去ってしまった日々は愛しい。でも、もう戻れない。


それゆえ、美しい。



18歳の愛紗も・・・菜由も。

友里恵も、由香も。



そんなふうに、時間を積み重ねていくのだろう。

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