第14話 【風吹草】

 一日、二日と狩りを続けるも、風の吹く気配がなかった。


 ――そしていつの間にか六日目の昼を迎えていた。


 この頃にはアンジュもかなり成長し、リザードマンとは悠々と渡り合えるほどになっていた。

 とは言っても、まだ最後の一押しが足りないようで、ソロで倒し切るまでには至っていないのではあるが……。


「しかし、そろそろ物資も尽きてきたな……」

 俺は【宝貴の箱ストレージコッファー】の中身を確認しながらそうつぶやく。


 俺は現地調達でも構わないのだが……そう思いながら隣に座るアンジュを一瞥いちべつした。


 俺の視線を感じ取ったのか、アンジュはすかさず反応。

「さすがに五日も野営じゃ飽きてきました。それに、お風呂も入りたいです……」

 アンジュは申し訳なさそうにそう話した。


 冒険者と言えど、アンジュは年頃の女の子。

 今まであまり意識していなかったが、もっと気を配るべきであったか……。


 それに、初めての野営でアンジュも疲れている……か。


 そう思い、俺は提案する。

「一度帰るか?」


 アンジュはそれまでの申し訳なさそうな表情から一転、笑顔で元気よく立ち上がる。

「ほ、本当ですか!!」


「ああ、だが一日だ。一日ゆっくりしたらまたすぐに戻る。クエストを破棄する訳ではないからな」

 ――まあこれで元気を出してくれるのなら、安いものだ。


「それでは早速野営を――」

 アンジュが野営を片付けようと動き出した瞬間だった。

 今まで無風だった峡谷に、ふわりと風が吹き抜ける。


 最初はそよ風程度の心地よいものだった。


 しかしそれはどんどんと強くなり、野営に張られた軍幕がバタバタと音を立てて暴れだすほどの強風に。


「え? これって??」

 アンジュはそう言いながらあたりを見渡す。


「――ああ、間違いない。待ち望んでいた風だ。どこかにホワイトラビットほどの大きさの葉が生えてくるはずだ」

 風吹草は風が止むと再び地中に潜ってしまう。急いで探さなければ――辺りを素早く見渡す。


 だが、目視できる範囲にはなさそうだ。


 瞬間、アンジュが声をあげた。

「先生! わずかですが……さっきまでなかったはずの魔力を感じます」


 風吹草はあおぐだけで風を巻き起こすことのできる、魔力を持った魔草。

 地表に現れたことで、アンジュの【魔力探知ディテクター】に引っかかったのだろう。


「――どこだ!?」


 アンジュは川の上流側を指差し、

「川沿いに……五〇メートル先です!」


 俺たちは急ぎ、アンジュの指差した場所へと向かう。


 するとそこには、ホワイトラビットよりも一回り大きな葉が一本、地面から力強く伸びていた。


「――これだ!」


 俺たちは風吹草の前で腰を下ろす。

 そして、風吹草を力一杯引き抜いた。


「これが……風吹草!」


「ああ。アンジュのおかげでスムーズに確保ができた。――ありがとう」

 俺はそう言うと、アンジュの頭にポンと手を置いた。


「――は、はい!」

 アンジュは少し恥ずかしそうにはにかんでいる。


「便利なものだから、この機会にいくつか確保しておきたいが……アンジュ、ほかに魔力の反応はあるか?」

宝貴の箱ストレージコッファー】に風吹草をしまいながら、アンジュにそう尋ねた。


「――ええと…………えっ……なにこれ……」

 しかし、アンジュの答えは要領を得ないものであった。

 それどころか、アンジュの顔がどんどんと青ざめていく。


「どうした? なにがあった?」


「そ、それが……ものすごく強い魔力反応が一つ。それと、人と思われる魔力反応がいくつか……だけど、人の反応が……どんどん減って……」


「なんだと?」

 風の吹き抜ける音に気を引かれて、今まで何も聞こえていなかったが……耳をすませると、何者かの叫び声と剣戟の音が確かに聞こえる。


 かすかに聞こえる程度の小さな音だが、間違いなく何者かが戦っているのがわかる。

 これは……さらに上流のほうからか。


 アンジュに俺の感覚と一致しているか確認しようとするも、アンジュは青ざめた顔で俯いたまま固まってしまっていた。


「アンジュ! しっかりしろ! 反応は上流の方向でいいか!?」


 アンジュは俺の檄により、わずかに平静を取り戻し、

「は、はい! じ、上流方向です!」


「まずは状況確認! 助けられそうなら助ける! 悲観するのはそれからにしろ!」


「――はい!!」

 アンジュは俺の言葉に答えるように、力強く立ち上がった。


 そして川沿いを上流へと進む。

 かすかにしか聞こえなかった叫び声と剣戟の音が、徐々にはっきりとしたものに変わる。


 この世のものとは思えないほど、低く重い叫び。

 それは大気を震わせて俺たちの下まで届く。


 ――これは、ただごとではないな。


 魔力を感知しているアンジュも、もちろんそれを察しているようだ。

 アンジュの表情は、いつもの穏やかな優しい顔とは比べ物にならないほど、硬く険しい。


 こんな時は緊張をほぐす言葉をかけてやるのが師のつとめなのであろうが、口下手な俺には上手い言葉が見つからない。


「――大丈夫だ。お前には俺がついている」

 いま俺に言えるのはこれだけしかなかった。

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