第3話 【アンジュ】

 ミクロン公国――大公の執務室


「公女殿下をグランフォリア王国の迷宮ダンジョン『まどわしの森』へとお送りしてまいりました」

 一人のエルフ族の文官――キース・フローレンスが対面のソファに座る私に向かってそう報告する。


「わざわざすまぬな、キースよ。お主には苦労を掛けてばかりだ」

 そしてそう話すのは私は――ブルネイ・ミクロン。

 ミクロン公国の大公……であるのだが、大公と言うには甚だ貧相な身なり。

 他国の下級貴族、下手をすると少し裕福な平民と変わらないほどだ。


「もったいなきお言葉。これも全てはミクロン公国のため。それにいま一番苦しんでいるのは民でございます。それに比べれば私の苦労など大したものではございません」


「うぬ。お主の言うとおりだ。なんとかこの状況を打開せねば……」

 ミクロン公国は冒険者の育成で他国に遅れを取っている。

 特にここ十数年はその傾向が顕著で、有望な人材はどんどんと他国に流失してしまう事態に。


 その影響で国全体がどんどんと貧しくなり、そしてさらに人材が流出するという負のスパイラルに陥っていたのだ。


 しかし、そんな状況を他国が見逃すはずもない。

 冒険者が少ないとは言え、迷宮ダンジョンは各地に存在している。

 迷宮ダンジョンから得られる恩恵は数知れず。

 特に高難易度の迷宮ダンジョンは希少価値が高く、保有している国も限られる。


 ミクロン公国もその一つであるのだが……だからこそ侵略の標的になってしまっている。

 南のグランフォリア王国に東のヒストリア教国、世界の覇権を争う二大国家。最初に動くとしたらこの二つのいずれかだろう。


 そしておそらくは数年のうちにそれは現実となる。

 状況はそれほどまでにひっ迫していた。


「しかし、グランフォリア王国へのスパイなどという危険な役を公女殿下お一人に託されてよろしかったのですか?」


「うぬ……。ワシも最初は反対したのだが、あの娘は言い出したら聞かない娘。――それにあの娘の意見は至極真っ当じゃった。この国にはスパイとして送れるほど信頼できる人材はごく少数、加えて国の役職で手一杯。それに四の五の言っている時間の余裕もない……ここはもうあの娘に掛けるしかなかったのだ」

 グランフォリア王国。それは他国の追随を許さないほどに冒険者育成に成功している国。

 しかし、その育成方法は一切が謎だ。

 その謎を知ることができれば、ミクロン公国は再興できるかもしれない。

 そんな一縷いちるの望みにすがるしかなかったのだ。


 そして私はこう続ける。

「本当はミクロン公国として公式に教導を受けられればいいのだが、冒険者は国にとって資源そのもの。即ち国力そのものだ。お願いされたからと言っておいそれと教えてはくれまいて。特にリカルド国王が王位を継承されてからは目先の利益を追い求めてばかりいると聞く。そんなやつに表立って弱みを見せれば、迷宮ダンジョンの権利だけを体よく奪われるのがオチだろう」


「おっしゃるとおりでございます」

 キースは静かに頷いた。


 とは言え、三百年もの間秘匿され続けてきた秘密だ。そう易々と見つけられはせんだろう……。本当につらい役目を押しつけてしまったと思う……だがこの国の未来がかかっておるのだ。頼んだぞ、我が娘よ……。


 ☆


 結局俺は、アンジュを連れてミズイガルム村へと帰還した。


 地上にある迷宮ダンジョンは夜間になると出現する魔物モンスターの危険度が少し増す。

 日暮れ前に村へ帰るよう促したのだが、「逃げるのに必死すぎて帰り道がわからなくなった」というので同行したのだ。


 ミズイガルム村は村といっても、迷宮ダンジョンに隣接した集落。

 日が暮れ、闇に包まれた村をランプの灯りが優しく照らす村のメインストリートには、宿屋、食事処、武器屋、道具屋など冒険者絡みの施設が並び立っている。

 その中にはもちろん冒険者ギルドもある。


 そして休憩がてら最初に訪れたのは――食事処『猫耳テト族のまかない』だった。

 メニュー表には肉料理から魚料理まで、多様な種類が揃えられている。


 どれにしようか迷ってしまうほどなのだが……アンジュは一向にメニュー表を手に取ろうとしない。

「どうした? 腹は減っていないのか?」


「……ええ。まだお腹が減っていなくて……」

 しかし、アンジュのお腹は正直で、「ぐぅー」と可愛い鳴き声をあげた。

 おそらく飯の良い匂いに反応してしまったのだろう。


 瞬間、アンジュは顔を真っ赤にし、

「あっ――こ、これは違くてっ」

 手をふるふるさせて否定する。


 そういえばアンジュは村への道中で、「冒険者になるためにミズイガルム村に来たばかり」と言っていたな。

 もしかすると金の不安があるのか?

 そう思い、

「金の心配ならしなくていいぞ。ブラックウルフから取れた牙の素材と魔石を売ればそれなりの額になる。元々はアンジュの見つけた魔物モンスターだから、その分け前としてここの食費は俺が持とう」

 ブラックウルフはより上位の迷宮ダンジョンではありふれた魔物モンスター。当然、その素材もありふれている。一匹程度の素材ではここの食事代すら賄えないだろう。

 ――だけどこうでも言わないと食べそうにないからな。


「――え? ほ、ほんとうですか!? 実は『まどわしの森』で手持ちを落としてしまって……」

 そう言いながら一気に瞳を輝かせるアンジュ。


 なんだやっぱり腹が減ってたんじゃないか。

「ああ。どれでも好きなものを頼んでくれ」

 ――なるべく安いもので頼むぞ。かっこいいことを言った手前、口には出せないがな……。


 そうして料理を注文して少し経ったとき、アンジュが突然謝りだした。

「そ、それと……す、すみませんでした! 魔導士のくせに魔力切れで戦えないなんて」

 ブラックウルフに襲われていた時には、アンジュの魔力は空になっていたのだという。


『まどわしの森』に出現する魔物モンスターの大半は、こちらから手を出さなければ襲ってこない非攻撃的パッシブ魔物モンスターだからよかったものの……迷宮ダンジョン潜入中に魔力を切らすのは、魔導士においては最大のタブー。

 魔力の切れた魔導士は非力な的になりかねないからだ。


 そうならないためにも、魔導士は自身の魔力量と使用できる魔法の回数をしっかりと見極めておく必要がある。

 まあ、そのあたりの見極めは駆け出しの冒険者には難しく、魔力の管理に失敗する魔導士も多いらしいのだけど。


「まあ気にするな――だけど反省はしろ。次に同じことをして、その時もまた無事でいれる保証はないと思ったほうがいい」

「は、はいです……」

 アンジュはシュンと肩を落とす。


 しまった、強く言い過ぎたか? 

 一五は違うであろう女の子相手に説教だなんて――。

 俺はとっさに話題を変えて、

「――それで今日の戦果はどれくらいだったんだ?」


 しかし、その話題もあまり良い選択ではなかったらしい。

 アンジュは歯切れ悪く、

「え、ええと……ホワイトラビット一体です……」


「――は!?」

 俺は思わず声を荒らげた。

 一体ってどういうことだ!?

 エルフ族といえば膨大な魔力をその身体に内包していることで有名なはず。


「――!?」

 大きな声にびくつくアンジュ。


「――ああ、すまない。少し驚いてしまってな……それでアンジュはエルフ族だろう? エルフ族の魔力ならホワイトラビット程度、数十体は狩れて当然のように思えるが何かあったのか?」


 するとアンジュは恥ずかしそうに、

「そ、その……魔物モンスターが怖くて魔法を連発していたらいつの間にか魔力が尽きていて……」


「――は? つまり一体に対してひたすら魔法を打ち込んでいたのか!?」

 いくら駆け出しの冒険者とはいえ、Eランク魔物モンスター相手にそれはオーバーキルもいいとこだ。

 魔力の管理ができていないとか、そういうレベルの話じゃない――。


 俺は思わず頭を抱えた。

 この子をこのまま放っておいたらまずい。

 俺の直感がそう告げている。


 しかしどうしたものか。


 そんなことを考えていたその時、アンジュは突拍子もないことを言い出した。

「あ、あの……出会ったばかりのヒュージさんにお願いすることではないのですが……ヒュージさんは冒険者にとてもお詳しいとお見受けしてお願いいたします……私に冒険者としてのノウハウを教えていただけませんでしょうか!?」


 そう話すアンジュの瞳は俺をまっすぐに見つめ、その瞳には少女とは思えないほどの凄みを感じる。

 そう、それはまるでグランフォリア王国の未来を熱く語っている時のラザリ―のような――。

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