雑記置場

水城洋臣

創作論全般

歴史小説の主人公について

 まだここカクヨムに来て数日、未だに一作目の序盤執筆中という状況で言うような話ではないのだけれど、ここに来る以前にもチラホラ書いていた事も含めての総括として。


 結論から言うと、どうにも自分は有名な人物を主人公にするのが苦手である。


 中国史でお馴染の紀伝体形式で言うなら、伝が立てられているレベルの有名人は避けてしまう傾向にある。

 そういう人物を主人公にするのが普通だとは思うし、そうやって書いてる人を否定するつもりもない。いやむしろ尊敬する。


 ただ自分で書くと、どうしても自分の中のイメージが脱線していくと言うか、コレジャナイ感が強くなると言うか、実在人物と同じ名前をした別人という意識がどんどん膨らんでしまい、スポット出演ならまだしも、主人公としてずっと付き合う事が作者として困難になってくる。


 しかも有名どころの人物だと、他の書き手さんとカブる事もありうるので、そんなモンを見かけたら、読み比べる前に心が折れる。


 とまぁ、そんな精神衛生上の都合も加味して、主人公は「史実の人物と関わったけど歴史に名が残らなかった架空の人物」か「名前は残ってるけど、ほぼ名前だけで事績も人物像も分からない」ってレベルの人を選んでしまう。


 現在カクヨムで執筆中の『西涼女侠伝』も正にそんな「正史に名前だけしか残ってない」という人物なので、逆に味付けし放題なわけですな。

 『西涼女侠伝』を建安年間(三國志)に設定した理由に関しては、それはそれで話が長くなるので別な機会にするとして…。



 有名人物を避けるという点で鑑みると、初めて読んだ武侠小説である、金庸先生の『碧血剣』に影響されまくっているのも大きい。


 『碧血剣』は、明末~清初の時代を舞台に、明の将軍であった袁崇煥えんすうかんの遺児、袁承志えんしょうしが主人公である。

 袁崇煥は明末の有名な実在人物であるが、袁承志は架空の人物である。


 しかし歴史上存在しないがゆえに「名高い剣士として各地を旅する」という冒険活劇が可能であり、それでいて史実の人物の遺児という設定なので、父と繋がる史実の人間関係を構築した状態で物語を導入できる。


 その結果、物語が進むと、明の崇禎帝すうていてい、順の李自成りじせい、清のホンタイジと、時代を動かした三人のトップ全員と対面し会話をする。

 時代が動く瞬間をその目で見届けていながら、どこにも仕えていない事で「主人公は歴史に名が残っていない」という整合性も出る。


 何ともダイナミックな切り口で、ぶっちゃけ明末清初の歴史は『碧血剣』で覚えたと言っていい。(幕末は『るろうに剣心』から…みたいな話)


 それでいて、そうした史実の事件の合間に、今は亡き最強の剣士・金蛇郎君きんじゃろうくん(もちろん架空の人物)の足跡を辿り、宝剣、財宝、奥義書を探していく冒険活劇が主体であり、武侠小説の体裁は全く崩れていない。


 こんな話が書きたいと最も思わせてくれた『碧血剣』のスタイルが、自分の発想に多大な影響を及ぼしている事はまず間違いない。

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