幽霊になって、悪役令嬢の運命を変えてやる!

葡萄の実

第1話 わたしの運命

    今日は朝からお母さんと喧嘩した。

 どうして喧嘩したんだっけ?

 もう記憶も曖昧になっている。

 とにかく、最悪の朝だった。

 代わり映えのしない高校生活をどうにかやり過ごして、家路に着こうとした。

 そこで突発的に思ったのだ。


 『お母さんを困らせてやりたい』って。


 スカートをいつもの3倍くらい折り曲げて、制服も着崩して、わたしにできる精一杯の反抗期。

 居酒屋の赤い提灯や、いかがわしいお店のネオンが光る繁華街をあてもなくふらついた。

 ちょっと大人になれた気がして気分がいい。


 そんな時だった。

 突然、目の前にやってきた痩せぎすの男に包丁でお腹を刺された。

 周囲を歩いていた人たちは、わたしの真っ赤に染まる制服を見て悲鳴を上げる。

 刺されたわたしはというと、何が起こったのか全く理解していなかった。

 知らない男が、包丁でわたしを刺す。

 なんて?どういう意味?


 恐る恐る視線を下げると、真っ白なはずのブラウスが血で染まっていた。

 右のわき腹には包丁の持ち手が生えている。

 急に力の抜けた体と頭は思考を放棄していた。

 それなのに、熱湯に入れられているんじゃないかと思うほど熱さを感じる。

 わたしの周りに人が集まっているのが見えたけど、助けを呼ぶ声も出なかった。


 このまま死んじゃうんだろうなと思ったら、頭の中で知らない女の人の声がした。


「生きたいですか?」


 厳かな、神聖さすら感じるその声はわたしに問いかけた。

 必死に喉を動かして声を出そうとする。けれど、それが音になることはない。

「……わかりました。しかし、無条件でというわけにはいきません。あなたには、とある少女の運命を変えてほしいのです」

 ふわりと体が宙に浮いた気がした。目を開けると、血を流して倒れているわたしが見える。

「ゆ、幽体離脱!?」

 あたふたと慌てるわたしの手をそっと導く誰かの存在がある。

 わたしは直感で、さっきの声の人だと思った。

「少女の運命って!?わたしは何をすればいいの!」

「その少女と共に生活する。ただそれだけです。さあ、お行きなさい」

 力強く引っ張り上げられ、天へと放り投げられた。

「うわあ!!!」

 目を開けていられないほどの眩い光の中へ飛び込んだ。


◇◇◇◇◇


 ゆっくりと目を開ける。

 自分の体があることを確認してほっと息をついた。

 血は流れていないし、どこも痛くない。

 服は制服のままだった。

「ん……?」

 足が地面についていない。

 それどころか半透明になっている。

 というか宙に浮いている気が……。

「こ、これってわたしが幽霊になっちゃったってこと!?」

 思わず叫ぶと、うるさいと怒られた。

 口を両手で塞ぐと声のした方へ近付いてみる。

 それは天蓋のついた大きなベットで、真ん中がこんもりと膨れ上がっていた。


 もぞもぞと動いた毛布の中からゲームの中にしか存在しないような美少女が現れる。

 不機嫌な顔でも、わたしの何十倍も美人だ。

「うるさいわね……私の眠りを邪魔するんじゃないわよ」

 そう話す少女の声は、睡眠を邪魔されたことによる機嫌の悪さで刺々しい。

 少女の腰まで伸びたゆるふわな髪はプラチナブロンドに染まり、つやつやと輝いていた。

「うわぁ……すっごい綺麗な子。でも、性格悪そう」

 思わず正直に喋ってしまうと、少女がぎろりとこちらを睨んだ気がした。

「誰の性格が悪いですって?」

 息を止めたわたしは、そろそろと彼女の顔の向きと反対側へ移動する。

「ご、ごめんなさい。つい……」

 豪華なベットから下りた少女は、ふわふわと柔らかそうな薄いピンク色のネグリジェを着ていた。

 彼女は手櫛で髪を整えながらドレッサーの前に座る。

 これまた細かい細工の施された、一目で高級品とわかるもの。

 少女はお金持ちなのかと思った。

「謝るなんて素直なやつね。どこにいるの」

「あなたの後ろです……」

 ばっちり鏡に映る位置にいるはずなのに、鏡の中には少女しかいない。

 わたしは本当に幽霊になってしまったらしい。

「姿は見えないのに声は聞こえるのね……。そこから動くんじゃないわよ」

 立ち上がった少女は豪華な装飾がされたキャビネットに近付くと引き出しを開ける。

「確かここにしまったはず……あったわ」

 少女が取り出したのは、真ん中に線が入っているように見える黄色の宝石がついた指輪。

 それを左手の人差し指にはめる。


 顔を上げた少女と初めて目が合った。

 薄い青色の瞳は、夏の空のようだった。

「これであんたを見られるわ。どうやって私の部屋に侵入したのかしら?」

 つかつかと歩み寄ってくる少女から後ずさるも、すぐに壁に阻まれた。

 幽霊なのに壁を通り抜けることはできないらしい。

 威圧してくる少女に、わたしはぶんぶんと首を振った。

「違うんです!気がついたらこの部屋にいて……信じてください!」

「その服も見慣れないし……あんた、どこから来たの」

 少女は怒った顔も整っている。それゆえに恐ろしさが倍増しているのは気のせいだろうか。

 わたしは観念して、自分の身に起きたことを話すことになった。


◇◇◇◇◇


 ドレッサーの椅子に足を組んで座る少女はとても絵になる。

 怒っていなければもっとよかったのに。

「……死にそうになったあんたは、誰かもわからない声に従って、私の部屋に霊体として存在していた。そんなお伽話じみたものを信じろですって?」

「本当なんです!わたしだって霊体?……幽霊になったなんて信じたくありません!」

 正座はできないので、ぷかぷかと宙に浮かんでいるなんとも不格好な状態だ。

 じろりと睨まれて竦み上がる。

「嘘だったらただじゃおかないわよ」

 わたしはこくこくと必死で頷いた。

 あまり信じていないような表情の少女。

 それでもわたしはできる限りの事情を話した。

 あの声が言っていた少女は、きっと彼女のことだろう。

 なぜだかわからないが、絶対にそうだと確信があった。

「あの……幽霊を見ても驚かないんですね」

 わたしが恐る恐る尋ねると、少女は鼻を鳴らして腕を組んだ。

「この国には魔力と呼ばれる力が存在するわ。それは超常的な力を発生させることができるものなの。霊体くらいじゃ驚かないわよ」

 その時、扉がコンコンとノックされた。

「失礼いたします。お嬢様、朝食の時間でございます」

 ロングスカートにエプロン、そしてヘッドセットをつけた女性が頭を下げている。

 いわゆるメイドと呼ばれる人だろうか。 

 コスプレにしては手が込んでいるなと見ていた。

「すぐに行くわ」

「かしこまりました」

 一礼して部屋を出ていったメイドに、少女は『お嬢様』と呼ばれていた。

「あなたって何者……?」

「そういえば名乗ってなかったわね」

 少女は立ち上がると、貴族のするような礼をしてみせた。

「『ソフィー・ルイーズ・アデア』。アデア侯爵家の一人娘よ」

「侯爵……」

 薄々感じていることだった。

 わたしの言葉(日本語)が通じていたけれど、顔立ちはとても日本人とは思えない。

 そして、さっき彼女が言った『魔力』という単語。

 肌で感じる情報が、ここは何かが違うと叫んでいる。

 この世界はわたしが元いた世界とは違う場所だ。

 異世界に幽霊という状態で存在していることを、わたしはようやく理解した。


◇◇◇◇◇


 青い瞳の美少女、ソフィーはこの世界では侯爵の位を持つ家の娘。

 言葉の端々に貴族らしい高飛車な雰囲気がある。

 朝食を食べ終わった彼女からいろいろと話を聞くと、年齢は15歳だということがわかった。

 わたしよりも2歳年下。

 それなのに、この色気というか余裕さというか、醸し出される雰囲気の違いは何なのだろう。

 それに彼女の顔と名前に覚えがあるような、ないような。

 悩んでも答えは出なかった。

「霊体は空腹を感じないと聞いたことがあったけれど、どうやら事実みたいね」

 着替えているソフィーから目線を外しながらわたしはぷかぷかと宙に浮いていた。

 彼女が部屋を出て気付いたことだったが、およそ3メートル離れると自動的にそばへと移動する。

 壁があろうと関係なしに瞬間移動して驚いたものだ。

 わたしはソフィーから3メートル以上離れられない。

 その事実がますます『運命を変える』という条件の信憑性を高めていた。

「うん……お腹が全く減らないし、食べ物を見ても食べたいと思わない。ほんとに幽霊になっちゃった」

 はあとため息を吐いて言えば、彼女は真っ白なブラウスのボタンを止めて髪をばさりとはらった。

「気になるなら専門家を紹介してもいいわよ?」

「ありがとう。でも、もう少し様子を見てみようと思う」

 万が一、その専門家とやらに除霊でもされたら目も当てられない。

 彼女の運命を変えるその時までは我慢するしかないようだ。


 ソフィーは緑の刺繍が入ったネクタイを締めて、スカートをはき、ジャケットの上に真っ黒なローブを羽織る。

 まるで魔法使いのような格好に、わたしは首を傾げた。

「どこか行くの?」

「学校よ。勉学や法律、魔法について学ぶの。私が通うのはこのオルティア王国でも一番と言われているわ!」

 ソフィーの表情がキラリと輝く。

「魔法って素晴らしいものよ。この国は国民全員が魔力を持って生まれてくる。だけど、魔力を持っていても扱える者は限られるわ。私はアデア家の娘として、ふさわしい魔法士になるのが夢なの」

「夢か……あんまり考えたことなかったかも」

 高校生活でも将来のことを考えるのが嫌で、わたしは逃げていた。

 もちろん、夢なんてあるわけない。


 さっきも会ったメイドに見送られ、吹き抜けの玄関を出るとそこには2頭引きの天井付きの馬車が待っていた。

「馬だ……」

「驚くことかしら?」

 ふふふと笑ったソフィーと一緒に乗り込んで揺られること数分。

 たどり着いた建物を見たわたしは絶句した。

「……ここは、まさか。どうして」

 茶色のレンガで作られた校舎は、古さの中にすっと筋の通った凛々しさを感じる。

 校舎へと歩いていくソフィーを見て、わたしは電流が走ったように記憶が蘇った。


『王立魔法学校 シエルノート』


 オルティア王国でも一番の伝統を持ち、数多くの優秀な魔法士を輩出している名門校。

 知っている。

 わたしはここを見たことがある。

「異世界は異世界でも……ここはゲームの中だ」

 なんで気付かなかったんだろう。

 このゲームの悪役ポジジョン、主人公に邪魔をする女子生徒の名前。

 それがソフィー・ルイーズ・アデア。

 彼女は悪役令嬢だったのだ。

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