第34話 紅い剣 参



静まり返った武道館で草薙さんと乱入して来た男が木刀で対峙している。


2人の間にはピリピリとした緊張感が感じられた。


止めようとしていた先輩も勝負が始まってしまったのを知り口を噤んでいる。

観客達にもこの緊張感が伝わったようで静まり返っている。

私と桜子は手を取り合って草薙さんの無事を祈っている。


対峙している2人は防具を着けていなかった。

木刀で試合をする以上は剣道の防具などは役に立たないのかも知れない。

と言う事は打たれ所が悪かったら重症等では済まない。


「いぇい!」


先に動いたのは男の方だった。

勢いよく木刀を草薙さんに振り落とす。


カン


草薙さんは身をかわす事なく男の木刀を弾き返す。

男は矢継ぎ早に木刀を振り回して来る。

そのスピードは私達には目視できない程のものだった。


カンカンカン


草薙さんはその全てを弾き返している。

しかし、小柄で華奢な草薙さんと男では腕力に圧倒的な違いがある。

草薙さんの方が押されているように見えた。


草薙さんはジャンプして男から距離を取るとその場に右膝を立てて屈みこむ。

木刀を持った右手は左腰の辺りで横に構えている。

そして左手を前に差し出して目を閉じた。


「何だ、居合抜きのつもりか? ふざけやがって!」


男は上段に木刀を構えて草薙さんとの距離を一気に詰める。


次の瞬間。


草薙さんの姿が消えた。



バキィィィ



私達が次に見た光景。

男の眼前で一閃した木刀を高く掲げる草薙さんの姿。

そして男の木刀は真っ二つに折れていた。


静まり返っていた武道館に歓声が響き渡る。

私と桜子も飛び上がって草薙さんの無事を喜ぶ。

そんな中で先輩と剣道部のキャプテンは唖然とした様子だった。


「・・・まさか。木刀を折るなんて」


木刀を折られた男はその木刀を畳に叩きつけた。


「・・・虎徹なら。虎徹なら負けてなどいない」


「虎徹?」


草薙さんが訝し気に問い正す。


「まだ勝負は着いてはいない。この勝負、預かる」


そう言い残した男は風のように武道館から逃げ去った。


「草薙さん!」


私と桜子は草薙さんに抱き着いた。


「草薙さん、無事で良かったぁ」


目をウルウルさせる私とは対照的に桜子は草薙さんに聞く。


「あの男。後を追わなくて良いんですか?」


草薙さんは解れた亜麻色の髪をかき上げる。


「今は他にやる事がある。音美、一緒に来て。桜子、母さんの形見を」


「はい」


桜子は預かっていたお母さんの形見を草薙さんに渡す。

それを手に取った草薙さんは私の手を引いて剣道部のキャプテンの元へ歩み寄る。


「キャプテン」


草薙さんが声をかけてもまだキャプテンは呆然としている。


「キャプテン!」


草薙さんが少し大きな声で呼びかけるとキャプテンはビクッと身体を震わせた。

そして、ゆっくりと草薙さんの方を振り返る。

その目は驚愕に満ちていた。


「・・・草薙・・・君は本当に人間なのか・・」


「しっかりして下さい!キャプテン!」


叱責するような草薙さんの声でやっとキャプテンは我に返ったようだった。


「・・あ、あぁ。すまない。しかし草薙さん、君は」


「そんな事よりあの男にケガを負わされた人達は何処に?」


キャプテンの言葉を遮るように草薙さんが問う。


「あ、あぁ。救護室へ運んである。救急車を呼んであるからもうすぐ」


「今からアタシと音美で応急処置を行ないますので人払いをお願いします。それから警察が来たら「乱入者は逃亡した」とお伝え下さい。アタシの名前は出さないようにお願いします。これは観客の人達にも徹底して下さい」


「判りました」


キャプテンは救護室の方へ駆けて行った。


「これからやる事は判っているわね? 音美」


「もちろん」


私は胸元から長老さまのネックレスを取り出す。


「あたしも一緒に行かせてください」


桜子が草薙さんに頼み込む。

しばらく考え込んでいた草薙さんが桜子に答える。


「そうね。アナタにもアタシ達が力を使う所を見せておいた方が良いわね。これから戦力になって貰うかも知れないから」


「ありがとうございます!」


桜子が嬉しそうに笑顔を見せる。


「今回は特に危険は無いけどこれからは危険な目に合うかも知れない。アナタにその覚悟はある?」


草薙さんの問いに少し考えていた桜子は草薙さんの目を真っ直ぐに見つめて言った。


「あります」


先ほどの笑顔とは裏腹の真剣な表情だった。

その桜子を見て草薙さんは微笑んだ。


「本当に良い目をしてるわ。アタシからもお願いします。何かあった時にこの狸さんだけじゃ頼りないから」


「だから、狸って言うな!」


そこへキャプテンが駆け寄って来た。


「人払いをしました。今の救護室には怪我人しかいません」


「ありがとうございます。アタシ達が救護室にいる間は立ち入り禁止にして下さい」


そうキャプテンに言い残して草薙さんと私達は救護室に向かった。



救護室の中には5人の人が横たわっていた。

皆、うめき声を上げている。


「急がなきゃ。音美、手を繋いで。桜子はアタシ達から力を感じて」


私と草薙さんは手を繋ぐ。

桜子は少し離れて目を閉じた。

草薙さんはお母さんの形見を持った右手を掲げる。


「草薙の剣。弟橘の力を借りてこの場にいる者達を元の姿に戻せ」


草薙さんの右手が発光するのと同時に私のネックレスも光り出す。

「食人鬼事件」の時と同じような、いやそれよりも柔らかくて暖かい光りが周囲を照らす。

横たわっていた人達からうめき声や苦痛の表情が消えていく。


「よし。後は救急車に任せましょう。音美、大丈夫?」


「これくらいならヘッチャラよ。食人鬼の時には人を生き返らせたんだから」


心配そうに私を見ていた草薙さんの表情が緩む。

今は発光を止めたお母さんの形見を胸元に入れながら草薙さんは桜子にも声をかける。


「どうだった?」


「はい。何かとても暖かい力のようなものを感じました」


草薙さんは満足そうに頷く。


「今はそれで充分よ。さ、警察が来る前に退散しましょ」


私達は救護室を出て荷物を取りに更衣室へと向かう。

更衣室の前では1人の人が待っていた。

アドバイザーとして来て貰っていた3年生の先輩だった。


「先輩」


「話は外へ出てからしましょう。警察が来たら面倒なんでしょ。後の事はキャプテン達にお願いしておいたわ」


草薙さんと私達は先輩に頭を下げると更衣室の中へ入って行った。

遠くからパトカーのサイレンが近づいていた。




30分後。


私達と先輩は学校から少し離れた喫茶店にいた。

太陽は西の空に傾き辺りは夕方の赤色が濃くなりつつなっていた。


「・・あの男が言っていた虎徹ってやっぱり」


草薙さんはアイスティを前にして先輩と話し込んでいた。

私はクリームパフェを食べながら、桜子はホットコーヒーを前に大人しくしていた。

先輩はアイスコーヒーを一口飲んで話を続ける。


「そう、新選組組長の近藤勇が使っていたとされる日本刀ね。最も近藤勇のは贋作だったって言う説の方が多いけど。あの男が実家から持ち出したのは本物の虎徹よ」


「どうして、そう言い切れるんですか?」


桜子が質問する。


「この藩のお殿様から直々に拝領されたものだから。戦後に鑑定をして貰って本物だと判ったそうよ」


「そんな危ないモノを個人が所有してて良いんですか?」


私は素っ頓狂な声を出してしまった。


「ちゃんと刀剣所持の許可証は申請してあるし、普段は金庫の中に厳重に保管してあるわ。年に1度は金庫から出して手入れはしてるらしいけど」


「それは現在の当主さまからお聞きになったのですか?」


今度は草薙さんが質問する。


「聞いたのはわたしの父よ。同じ武家の家系としてお付き合いさせて頂いてるの。家の格としては向こうの方が遥かに上なんだけど。今の向こうの当主さまはさばけた方で「今の時代では家の格など関係ありません」と仰って、我が家とも懇意にして下さっているの。その当主さまがわたしの父によく愚痴を言ってらしたみたい。あの男の事で」


「愚痴、ですか」


草薙さんはアイスティを一口飲む。


「そう。アイツは強さだけを求めている。勝ちさえすれば良いと言う傲慢な考えだ。確かにアイツは強いが心の鍛錬が出来ていない、ってね」


「それで暴力事件を起こして退学。その当主であるお父様は嘆かれたでしょうね」


先輩はストローから口を離してフゥっと息を吐く。


「そうね。私の育て方が間違っていたのか、ってかなり落胆されていたらしいわ。それから傷害致死事件でしょ? 執行猶予はついたけど。それで勘当を申しつけて奥の部屋に閉じ込めたみたい。まぁ、座敷牢みたいなものかしらね」


「・・親としては複雑なお気持ちでしょうね。執行猶予の期間中に少しでも心を改めてくれたらと。でも、結果としては」


草薙さんは下を向いて口を噤んでしまう。


「虎徹を持って失踪してしまった。それから2件の殺傷事件が起きたでしょ?」


「えっ!あの事件もあの人なんですか?」


桜子が驚いたような声を出す。


「えぇ、間違いないわ。ニュースでは刃物で切り付けられた、って報道されてたけど。その当主さまは息子が失踪した時に虎徹を持ち出した事も警察には届け出ていたの。だから遺体の確認の時に同席させられたわ。その時に証言されたの。これは日本刀による殺害で間違いありません、って」


「そんな!」


今度は私が声を出してしまった。


「そんな・・自分の子供が人を殺した事を証言しなきゃならないなんて」


最後の方は涙声になってしまった。

草薙さんは私の肩にそっと手をかけてくれた。桜子はハンカチで私の目元を押さえてくれる。

もぉ、そんな事されたら余計に涙が出ちゃうよぉ。


私が落ち着くのを待って先輩が草薙さんに声をかける。


「どう思う? 貴女の率直な意見が聞きたいわ」


草薙さんは私から先輩へと顔を上げる。


「アタシが対峙したあの人からは人間以外の何かを感じました」


草薙さんがきっぱりと言う。


「・・・そう、やっぱりね。それで、これからどうするつもり?」


「ここからはアタシの管轄です。アタシが何とかします。先輩も危険ですからこれ以上の関わりはお辞め下さい」


草薙さんは少し語気を強めた。

先輩は何かを言おうとしたが言葉は発し無かった。

しばらくの沈黙の後、先輩は椅子から立ち上がった。


「そうね。これ以上はわたしが踏み込んではいけない領域ね。1つだけ言わせて貰えるなら、日本刀の破壊力を甘く見ないでって事かしら。貴女には釈迦に説法でしょうけど」


「いえ。ご忠告ありがとうございます。肝に銘じておきます。もう日も暮れたみたいですからお帰りの際は充分にお気をつけ下さい」


そう言って草薙さんも立ち上がり右手を差し出した。

先輩は草薙さんの右手を握りしめた。

すがるように、祈るように。いつまでも握りしめていた。





午後11時。


私と草薙さんは新中町の近くにある小さな公園で身を潜めていた。


勿論、あの男を待ち伏せする為だ。


一緒に行く、と言って聞かない桜子を説得するのに苦労した。

草薙さんは桜子に熱田神宮の長老さまのスマホの電話番号を教え、アタシ達に何かあったら連絡するように伝えた。長老さまには桜子の事も話しているそうだ。そして、これが今の桜子の出来る最大の使命でもある、と。

それ程に今回の敵は手強いのだ。


「ねぇ、草薙さん。アイツは本当に来るかしら?」


私は草薙さんに尋ねる。


「どうしてそう思うの?」


「だってアイツはこの近辺で2人の人を斬り殺したんでしょ? 同じ場所を選ぶなんて考えられないと思うけど」


私の問いに草薙さんはフッと笑った。


「アイツは今度の事を犯罪だとは思ってないわ。あくまでも自分がより強くなる為の修行だと思ってる。この場所は獲物を見つける為に都合の良い場所だとしか思って無い」


「そんな!人を殺すのが修行だなんて、マトモじゃ無い」


「だから、アイツからは人間以外の何かを感じたって言ったでしょ」


草薙さんは少し悲しそうな顔になった。


「アイツは強くなりたいと願った。その願いは狂気を孕む程のものだった。そこを何かにつけこまれたのよ。アイツの精神的な弱さも要因の1つだけど」


私が何か言おうとしたのを草薙さんが遮った。


「アイツが来た。貴女は此処に隠れてサポートをお願い」


「うん。草薙さんも気をつけて」


草薙さんは私に微笑みかけるとお母さんの形見を持って公園を出て行った。


「アタシは此処よ!」


草薙さんが叫ぶと闇の中から男が現れた。左手には虎徹を持っている。


「よくぞ現れた。預かった勝負の結末をつけようぞ」


「待ちなさい。こんな事が剣の修行と言えるの? 剣術の心得も無い人を斬っても上達なんてしない」


「お前は何を言っている」


男は不思議そうな顔をした。


「剣とは人を殺す為の道具。人を斬れば斬るほど強くなるのは自明の理」


「もう話し合いの余地は無さそうね」


草薙さんは右手を掲げた。


「草薙の剣。アイツの中にいる異形を滅せよ」


草薙さんの右手が発光して光の剣となる。


「ほう。草薙の剣とは面白い」


男も虎徹を鞘から抜き放った。


その時、私と草薙さんは見た。


虎徹の刀身が紅く染まっているのを。


それは人の血の色では無い。

もっと鮮やかで、もっと哀しい。

そんな紅い剣だった。


「参る!」


男は草薙さんをめがけて走り出す。

そのスピードは武道館の時の比では無い。

そのままの勢いで紅い剣を草薙さんに打ち下ろす。


ガキィィィン


草薙さんは光の剣で受け止めたがこれまで感じた事のない剣の圧力を受けて体勢が崩れる。


「くっ」


草薙さんは体勢を崩しながらも回り込み一撃を加える。

しかし草薙さんの光の剣はいとも簡単に紅い剣に弾き飛ばされる。

そして再び紅い剣が草薙さんに打ち下ろされる。


「ぐぉっ」


草薙さんは両手を使って何とか光の剣で受け止める。


「・・・これが日本刀の虎徹の力」


「そうだ」


男はギリギリと紅い剣で草薙さんを押さえつけようとする。

草薙さんは地面すれすれまで身体を屈め光の剣を下げ男の横に飛び出す。

しかし草薙さんの息はハァハァと荒い。


「そんな手品のような剣が虎徹に通じるものか」


「音美!」


草薙さんの声で弾かれたように私は叫ぶ。


「弟橘!草薙の剣の継承者に力を与えよ」



ブワッ



今までとは比べものにならない程に光の剣が輝きを増す。


「ふっ、そんな手品はもう通用しないと言った筈だ」


「てぇいっ」


草薙さんは男に走り込み光の剣を一閃させる。

片手でそれを受け止めようとした男の紅い剣が弾き飛ばされる。


「何だと?」


驚いた顔をした男に草薙さんは光の剣を振り下ろす。

男は紅い剣で受け止める。

もはや光の剣と紅い剣は全くの互角だった。


草薙さんの波状攻撃で男は防戦一方となった。

少しずつ男の体力が削られて行く。

たまらず距離を取った男はハァハァと荒い息を吐く。


「何故だ。何故、虎徹がそんなまやかしの剣に押されるのだ」


「これはまやかしでは無い」


草薙さんが静かに言う。


「これはアタシの音美の桜子の生命の力。だから」


草薙さんがクワッと目を見開く。


「生命を弄ぶアンタなんかに負けてらんないのよっ!」


「黙れぇぇぇ!」


男は叫びながら紅い剣を構えて草薙さんに向かって駆けだす。

草薙さんは武道館の時のように居合抜きの構えに入る。

2人の身体が交錯する。


次の瞬間。


男が仰向けに倒れた。

その横には光の剣を高く掲げた草薙さんの姿があった。


「草薙さーん」


私は草薙さんに駆け寄った。

そして、仰向けに倒れている男を見た。

男の手に握られた虎徹はもう紅い色を失っていた。


「死んじゃったの」


「気絶してるだけよ。コイツに憑りついてたモノは滅したわ」


そう言って草薙さんはその場に崩れ落ちた。


「草薙さん!」


「・・大丈夫。ただ今回はギリギリの勝負だったから・・少し休ませて」


そう言って草薙さんは目を閉じて静かな寝息を立て始めた。

私はそんな草薙さんを抱きしめた。

そして、薬草水を口移しで飲ませた。



いつの間にか空には月が出ていた。

月の光がこの現世を優しく照らしていた。






第15章 終わり




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る