僕は彼女を見ていません。

なんぶ

僕は彼女を見ていません。

「それは本当ですか? あの時、あの現場で確実に彼女を見ていたはずです。もし彼女を庇っている場合、あなたが付喪神であるとはいえ、相応の罪を背負う可能性がありますよ」

だから、もう一度僕のメモリーを確認してください。彼女の姿は映っていないはずです。

「”映っていない”のが問題なんです。犯行時刻の午前1時45分から2時30分まで、あなたのメモリーが故意に削除された痕跡がある。これはあなたが彼女を庇っている事に他ならないのでは?」

僕には彼女の事が分かりません。

「……堂々巡りも良いところですね」


「管理人さん、あのカメラは処分した方がいい」

「そんな、あの方は私の祖父の代からしっかりと勤めてくれたんです」

「だけど今回、自分で自分のデータを消して、人殺しの女を庇ってる。監視カメラ自身が見ていたものを消すなんて、もはや今後信用できないのでは?」

「…………実は娘夫婦にも同じことを言われたのです」

監視カメラの付喪神は、ぼんやりとした様子でパイプ椅子に座っていた。



付喪神が普通にいる国ニッポン。

彼は130年に渡ってある小道の監視カメラを勤めていた。付喪神としての姿を得てからは、道ゆく子供に手を振ってやったり、荷物の多いお年寄りを手伝ってやったり、それはそれは好青年だった。

小道をキョロキョロしながら歩く女性がいた。

「迷子ですか? この辺は道が分かりづらいんで、僕が案内しましょうか?」

突然の声に驚いて顔を上げる。

「ひっ……浮いてる……幽霊!?」

「よく言われます。あなた出身は都会? 付喪神って見たことない?」

「社会の教科書で……本当にいるんですね」

しっかりとまとめられた三つ編みが、厚ぼったいメガネが、不似合いな大きいスーツケースが、そして小さなえくぼが、本当に可愛らしい人だった。こんな思いは70年ぶりだった。


監視カメラだからいくら見ていても怪しまれない。自分のこの存在がありがたかった。


車が遠くから飛ばしてきたら大きな声を出して守った。

雨の日は不器用そうな彼女が水溜りに突っ込まないように声をかけた。

浮かない顔をしていた日は呼び止めてなんてことのないバカ話をした。

買い物袋が重そうな時は「休憩したら?」なんて声をかけて話し込んだ。




嵐の夜。




彼女は知らない男の人と歩いてきて、男の人はひどく怒って大声を出して、彼女に向かって拳を振り上げた。付喪神はものに触れられても人に触れることはできないから、監視カメラの僕は文字通り見ていることしかできなかった。

もみくちゃになる2人。

男の背中に銀色のツノが生えた。

そして、彼女だけが立ち上がった。


髪はめちゃくちゃになっていて、雨で濡れていた。

真っ白なシャツは雨と血で汚く染まっていた。

右手に包丁を光らせた彼女は、メガネを落ち着いて拾って僕を見た。

雷光。


あぁ、なんて綺麗な人なんだろう。

と、思ってしまった。


彼女は何も言わず、無表情でそのまま小道の向こうへ行ってしまった。

彼女は人殺しになった。

僕は監視カメラだった。


このままじゃ、彼女が。

雷は止んでいた。

僕は彼女が映っていたデータを全て出して、削除することにした。

僕が見なかったことにすれば。

僕が忘れたことにすれば。

僕が知らないことにすれば。

僕が彼女と出会わなければ。




「管理人さん、あのカメラは処分した方がいい」

「そんな、あの方は私の祖父の代からしっかりと勤めてくれたんです」

「だけど今回、自分で自分のデータを消して、人殺しの女を庇ってる。監視カメラ自身が見ていたものを消すなんて、もはや今後信用できないのでは?」

「…………実は娘夫婦にも同じことを言われたのです」

「すみません、失礼します。容疑の女なんですが、監視の目を盗んで首を吊ったと」

「何だって!?」





時間が流れて、どこまでも広がるゴミ山にて。

「どうして私なんかを庇ったのですか」

「? すみませんが、僕はあなたを知りません。あなたは僕を知っているのですか?」

「はい」

付喪神処分用のお経の声が近づいてくる。

「だって、こんなに私を好いてくれた人は、生前は1人もいませんでしたから」


大音量のお経が、ふたつの付喪神の身体を震わせた。


ただのボロボロの監視カメラと、欠けた包丁の成れの果ては、寄り添うようにしてそこにあった。

ものの焼けた煙が、遠くで上がり始めていた。

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僕は彼女を見ていません。 なんぶ @nanb_desu

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