第35話 帝都へ
結局レオン達と帝都へ向かうことになって、その準備が整うまでの間、ダイアナは慰問を続け、私は野営地のテントの中で過ごしていた。
そう、指示されたからだ。
またどこかへ逃げ出すのではないのかと、警戒されたのかもしれない。
余計なトラブルを起こしたくないし、もうこれ以上痛い目には遭いたくなかったから大人しく指示に従っていた。
調理場の仕事もできないから、ジーナさんには体調がまだすぐれないからと連絡してもらっている。
する事がなくて、不安を紛らわすためにも貸してもらった本を読んでいると、布一枚隔てた向こう側で何かが落ちる音が聞こえた。
「レオン?大丈夫ですか?」
今はレインさんもいなくて、見張りのレオンと二人っきりだ。
「は、はい」
パーテーション代わりの布をめくって声をかけると、直立不動となったレオンの姿があった。
「え、あの……どうしたのですか……?」
その態度に、驚く。
心なしか、レオンの顔は赤い。
「俺、あの、申し訳ありません。本当は、ダイアナ様と同じように貴女にも敬意を表明したいのですが、周りに不審に思われても貴女のためにはならないと」
レオンが初めて見せる狼狽えた姿に、私の方が戸惑う。
「それと、まだ動揺していて、本当にエルナト様なのだと、それが嬉しくて」
「普通に、今まで通りでお願いします。むしろレオンは高位貴族の生まれですよね?平民の私に……」
「レインに聞いたのでしょうか?俺はもう騎士の身分なので、貴女が気にしないで下さい」
レオンがどうしてそこまで喜んでくれるのかは理解できない。
敬うような態度をとられると、慣れていないからどうしたらいいのかわからなくなる。
それに、レオンにとってのエルナトは、敬意を示す相手だと言ってくれるのは嬉しいと思いたいけど、それを素直に喜んでいいのかどうなのか。
私には覚えがない。
それがとても悪い事のような気がして、
「私は、レオンの事を覚えていません。どこで会ったのでしょうか?」
傷付けるかもしれないとは思ったけど、知った振りをすることもできなくて伝えていた。
でもレオンに気にした様子はなかった。
「7歳の頃。大聖堂の中庭でです。覚えていませんか?」
「覚えていません。ごめんなさい」
「貴女が俺を覚えていなくても当然です。それが貴女にとっては特別な事ではなかったからです。貴女は貴族でも平民でも、誰に対しても分け隔てなく接していたから」
そうだったかな? と、あの頃の事を思い出してみると、確かに家族を喪って、御魂を見送りにきた方には声をかけていたと思う。
それが親を亡くした幼い子供なら余計に、自分の事のように思えていたから。
「すみません、俺は一度外に出ます。すぐそばにいますので、何か用事があれば言ってください」
レオンは顔を赤くしたまま、すごい速さでテントの外に出ていた。
その後も、二人っきりになった時のレオンの態度は変わらなかった。
どうすればいいのか迷っているうちに、野営地を出て帝都へ向かう日となっていた。
むしろその事を心配しなければならなかったのに。
ジーナさんとは丁寧に挨拶を済ませ、いつでも帰っておいでと見送ってもらった。
ここに来て、初めて寂しいと思えた別れだった。
帝都へと向かう豪華な馬車の中では、膝の上でモフーがくつろいだ姿を見せている反面、私の方はダイアナと一緒で居心地が悪かった。
ダイアナは19歳で、同じ年頃の女性と過ごした事がないから、何を話したらいいのか分からない。
馬車が動き出して外を眺めていると、声をかけてきたのはダイアナの方だった。
「シャーロットさん。帝都に着いて、何かしたいことはありますか?貴女にはもう、何の義務も責任もありません。一人の人として、やりたい事をしてほしいと願っています。その生活は、帝国が、私達が守ります」
聖女の微笑みを向けられる。
その言葉をどこまで信用していいのか分からないけど、やりたい事をさせてもらえるのなら、やってみたい事はあった。
「針子の……針子の仕事がしてみたいです。何の経験もないけど、幼い頃に、母が、私の持ち物に刺繍をしてくれて……」
「針子ですね。分かりました。先生に師事するのが良いと思います。良い方を知っています。刺繍のスキルが上達すれば贈り物にもできます」
何故かダイアナの方が張り切っていて、もうすでに色々と段取りを考えているようだった。
「それから、お洋服も作れたらいいですね。ドレスの作成はなかなか一人では難しいので、部分的な刺繍を施すなんてのもいいですね」
ダイアナの言葉は止まらない。
「楽しみです。まずは、贈り物への刺繍に挑戦してみましょう」
贈り物をする相手などいないと聞き流しながら、窓の外に視線を向けた。
ちょうど並走する、騎乗したレオンの姿が見える。
その姿は騎士そのもので、ここ数日の私の前でのまごついたものとは大きくかけ離れたものだ。
これからどうなるのか。
どんな生活が待っているのか。
レオンの背中を見つめながら、不安な思いしかなかった。
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