第18話 転生者と奴隷少女 3-4
サレナが毎日のようにやる気に溢れてしまっているため、想定を遥かに超える速さで勉強の方は進んでいった。どのくらいの速さかといえば、少しでも魔法の練習時間を削るためとはいえ一日で想定七日の量が吹き飛んだ時には、当初の自分がどれだけサレナという少女の地頭とやる気を侮っていたのか、過去に戻って自分に一言文句を言いたと思うほどだ。
つまり、現時点でログが教えられることは早々に尽きかけていったというわけである。
だから日常生活どころか、考古学や神話伝承学などのその道に進まない限りまったく使わない知識である、今の帝国で使われる公用語の語源となった“古い言葉”を教えるに至ったのは仕方のないことだ。
問題があるとすれば、普通の子供なら眠くて覚えていられないだろうこの手の話にサレナが異様に食いついてしまった事だろう。
「ログ先生、一つ聞いてもいいですか?」
「先生はやめろ。それでなんだ?」
「私の名前、サレナは“ちび”とか“臆病”って意味だってよく村の皆にバカにされていたのですが、ながれものさんは何故か『素敵な名前だね。』って言ったんです。それが不思議で。」
「サレナ、そういやそういった意味合いもあったか。」
「違う意味があるのですか?」
「違う意味というか、まず綴りが違うんだ。」
ログはそう言いつつ適当な紙に二つの単語を並べて書く。
「自分がどっちの綴りか分かるか?」
「分かりません。私は読み書きを教えてもらえなかったので……。」
「バカにしていた連中が言っていた意味の方はこっち。おそらく村に住んでいた連中の多くはお前の名前をこっちの意味で認識していたんだろうな。」
そもそも“サレナ”と聞いてこっちを思い浮かべない者の方が少ないだろう。
一方で、ともう一つの単語を指す。
「ながれものさん、とやらはこっちの意味で受け取ったんだろう。語源となったのは古い言葉で“サレニア”というもので同じだが、より意味がサレニアに近いのはこっちの方だな。“ちび”とかの意味は長い時の流れの中で認識に齟齬が生まれたり、字の下手な奴らのせいで綴りが変化したものだ。」
「サレニア……。」
「サレニアは古くからある伝承に登場する英雄の名前だ。」
クリュスによると七千年ほど前に起きた実際の出来事が脚色された話らしいが、流石に真偽が分からないのであくまで伝承と教える。
「まあ、そういうわけで――。」
「聞きたいです!」
「……何を?」
「伝承!」
魔法の時以上に目を爛々と輝かせ、気分が高揚しているのかほんの顔が赤くなっている。
部屋の温度が上がったのではないかと思うような溢れ出す熱は引く気配がなく、「いや、また今度――」などと言ってみても「今聞きたいです!」と一点張り。譲る気がない。
なるほど、ながれものさんとやらも、この熱量に押されて様々な話をせざるを得なかったのだろう。その結果として沢山の言葉や意味を覚えたのは良い事ではあったが、それらを教えながら物語るなど苦労のほどは計り知れない。
ある種の尊敬と同情を抱きつつ、どうしてこの話を話しておかなかったのかと恨む。
「分かった、話す。話すからとりあえず落ち着け。」
立ち上がって鼻と鼻が触れ合いそうなほど詰め寄ってきていたサレナはすんなり座る。
聞く準備は万端、といった風な表情だ。
「言っとくが俺も正確に覚えているわけじゃない。変な場所があっても笑うなよ?」
「はい!」
「元気が宜しいことで。」
溜息一つ、咳払い一つ。
ログは遥か北の地で伝わる古い古い話を語った。
* * * * *
この世界にまだ多くの神々がおり、魔物たちも今よりずっと強く、戦いと嘆きの声が溢れていたころの物語。
ある北の山には巨人と呼ばれる、背丈が森の木々を超える巨大な体を持つ人々が暮らしていた。
彼らは不思議な力こそなかったが、その巨体と圧倒的な腕力で周辺に敵はおらず平穏な毎日を送っていたという。
ある時、そんな巨人たちの中から一人の小さな者、小人が生まれた。
巨人たちの親指ほどしかない体は成長してもなお変わらず、巨人たちは彼を自分たちの言葉で小さな者“ニア”と呼んでいたそうだ。
ニアは体が小さい事もあり、他の巨人たちと違って魔物を怖がって狩りに参加してもいつも後ろの方に隠れていた。何しろ自分の身の丈十倍を軽く超える魔物たちなのだ、恐ろしいのは当然の事だっただろう。
しかし巨人たちはそう考えず、いつしか臆病者を表す“サレ”を付けて“サレニア”、小さな臆病者と呼ぶようになった。
ある時、恐ろしい魔物が嵐の止まない死の海を越えてやって来た。
魔物は巨人たちの前に現れると自分に『服従しろ。』と迫ったという。当然ながら誇り高い巨人たちは誇りを踏みにじられて怒り魔物を戦って、そしてあっけなく敗れた。
魔物の圧倒的な力を恐れ逃げ出そうとする巨人たちも現れたが、その大きな体では簡単に見つかってしまい、連れ戻されるか殺されるかしてしまった。
唯一、体の小さなサレニアだけは魔物に気が疲れず外に逃げることが出来た。
サレニアは言った。
『必ず皆を救いに戻ってくる。』と。
決意を胸に彼は助けを求め世界中を旅した。
ある時は帰った者のいない谷を、ある時は一度触れればたちまちに死に至る毒の沼を、ある時は時間の流れに忘れ去られた山を、ある時は天に浮かぶ滅びた都を――。
多くの危機を経験し、多くの苦難を乗り切り、多くの者たちを救い続けたサレニアは長きに渡る旅の末にとうとう故郷へ戻った。
相対するは世界の果てより来たりし強大な魔物、しかし最早“彼ら”の敵ではなかった。
* * * * *
「一説によると、この後にサレニアを王とする理想郷“ファンタズマ”が建国されたという話もあるが、これは完全に眉唾ものだな。だが少なくともサレニアは実在したと考えられている。何しろ世界中に同一人物と思われる旅する小人の英雄譚が膨大にあるからな。いくつかはお前も聞いたことがあるかもしれないぞ。」
総数百にも上る英雄譚の中から有名なものを例に挙げて見れば、サレナは驚いた顔をする。
それぞれがかなり離れた土地に伝わる伝承で言葉まで違うのだから、繋がりなど意識していても分かるまい。
「そういうわけで、サレナには“小さな勇者”“真に強き者”という意味がある。綴りが決まっていないなら、こっちの方を名乗るようにすると良いんじゃないか?」
「サレナ……勇者……なんだか荷が重い気がします。」
「名前なんてのは基本そういうもんだ。名付けの親が願いを込めているわけだからな、それが良い意味なら重いのは当然だ。」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。」
嬉しそうに、少し照れ臭そうにサレナは控えめな笑顔を浮かべる。
満足して貰えたようでログはホッとしつつ、外に視線を向ければ既に良い頃合い。
サレナに名前を書けるように練習しておけと言い残して、夕食の準備に奥の部屋へと向かった。
今日は遥か北方の山里に伝わる、少し変わった料理でも出してやるか。
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