第11話 転生者と奴隷少女 1-3

 広場の噴水は七色の虹を作り出し、ギルドの接する大通りには武具やら魔具やらの店が酒屋に負けない勢いで立ち並ぶ。鍛冶場は安全性のために比較的中心から離れた位置に密集し、だいたい何処の道に入っても路上で何かしらの売り物を並べる人の姿が目に映った。

 八百屋に並ぶ野菜は新鮮そのもの、肉屋の前では時折血抜きを終えた肉塊の解体ショーが行われ、盛り上がりの向かい側には発酵させた食材を並べた奇妙な臭いのする店。それらの臭いがすっかり届かなくなるほど遠くまでくれば庶民らしい可もなく不可もない品質の生地で作られた簡素な衣服や布が並べられ、時折その辺で雇ったのだろう者が店主のセンスが光る奇抜な恰好で衣装宣伝役兼呼び込みを行っている。

 「アッチが住宅街だね。それで向こうに見える大きな門の向こう側は、貴族街って呼ばれている区画だよ。」

 ニナナはその辺で買った串肉を食べながらシュウにそう教えた。

 「貴族街と言っても実際はお金を持っているだけのムカつく成金とか、爵位を買っただけの頭が貧相な似非貴族とか、貴族階級にあっても領地も功績と呼べる実績も持っていない自己評価だけの人達が主だ。ああ、あと偉い両親や兄弟から半ば追い出されて仕方なく来ている人も偶にいるかな。」

 「中々世知辛いですね。貴族にありながら、貴族として持っているものが全然ないなんて。」

 「でも喧嘩したら基本的には爵位持ちが優先されるし、コネだって広く持っているから争いごとは起こさないのが得策だぜ。レボノ君は公正で厳格な人だけど、流石にその周囲にいる誰もが同じなわけじゃないからね。」

 世の中、結局は金持ちと権力者が優位なのは変わらない。

 故に面倒な事にならないよう関わらないのが一番なのである、というのがログの持論だ。

 一枚目の壁の中で見るべきものは一通り見回った後、広場で噴水の縁に腰を下ろしながら四人は一息ついた。

 想像以上に様変わりした町。それほど長期に渡って見て回らなかったわけでは無いと思っていたが、思ったよりも遥かに時の流れというのは早いものらしい。おかげでそんな年でもないのに古い時代に取り残された老人の気分だ。

 一方で何もかもが新しいシュウにとっては、興味深い事ばかりで童心に戻る思いだっただろう。

 せっかくだから、記念に何か適当なガラクタの一つでも買って帰ろうか。

 そう思った矢先だった。

 「…………アレは……なんですか?」

 それは信じられないものを見た顔。

 顔色は急に悪くなり、目をいっぱいに見開く。口も閉じるのを忘れたようにポッカリだ。震える声と指の示す先には、この国で暮らしている者たちにとって日常茶飯事な光景があった。

 「ああ、アレか。あれは――。」

 

 ――奴隷だ。


 人間と何処か違う特徴を持つ異種族の“人”。

翼を持つ者、獣の耳を持つ者、尻尾を持つ者、鱗を持つ者、角を持つ者、鋭い牙、人ならざる目、長く鋭利な爪、異色の肌――。

 それら異端な姿を持つ年も特徴も様々な人型の生き物たちは等しく肩に焼印の痕がある。

 どうにも間が悪い。これはあまり見せたくなかった“悪い方の売買風景”だ。

 彼らを“持っている”商人が適当な口上を語り、見るからにまともな境遇でない姿で見世物にされている彼らを欲する連中が手を上げて買い上げていく。買ったそばから暴力をふるう者もいれば、何処か別な場所に転売するため別な檻に押し込む者もいる。この場では何をせずとも、人目の無くなったところで何をするつもりか分からない奴だって多い。

 「貴族街の方では日常的に見る光景だ。この辺でやっているのは珍しいが、無いわけじゃない。だいたいは貴族街の連中じゃ手を出さないような“質の悪い”奴が回ってくるだけ――。」

 「そういうことじゃありません! アレを見てなんとも思わないのですか?!」

 記憶を持たない者であればこそ、当然の反応だ。

 しかしこの程度は慣れなければこの町どころか大半の国でやっていけない。

 だから「思わん。」と冷たくログは答えた。

 「そんな……見損ないましたよ。」

 「シュウ君、君は何か根本的に勘違いをしていないかい?」

 「どういうことですかニアさん。」

 「あそこにいるのは私達“人”とは違うディクルスっていう者たちだよ。どちらかと言えば物に近い存在なんだ。」

 「……何を言っているんですか? 奴隷だからですか!」

 「違うよ。彼らは何者でもないんだ。そんな彼らが今はたまたま奴隷と言う存在になっているというだけの話なんだよ。」

 理解できないと言うようにシュウは首を振る。

 「ニナ、それは説明になってないぞ。」

 仕方なく解説のためにログは口を開いた。

 「まず、この世界で“人”と呼ばれる連中に共通するものは何か。分かるか?」

 「……人の姿をしている事です。」

 「違う。人であることを認める“強大な後ろ盾がある事”だ。つまり姿も形も出生の経緯すら、何も“人”である事と関係ないんだよ。」

 人間であれば人間の、翼人であれば翼人の、それぞれの国家や権力者や絶対的な存在が保護している。この世界における“人”の定義に当てはまる者はそういう存在だけなのだ。

 「基本的にどんな環境で生まれようが、国家なんかは同族を保護する決まりがある。だからキッチリ“人”として扱わなければいけないんだが、“ディクルス”はそんな同族を持たない特殊な生い立ちだ。だから誰も“人”であることを保証せず、その結果として“人”として扱わなくても良くなる。」

 「ディクルスは親の分からない混血種の事を指す。人間だったり獣人だったり翼人だったり、そう言った人たちが何者かに“襲われてしまい”望まれぬ命として何処かに生み捨てられた存在だ。誰からも存在を認められず、奇跡的に赤子から成長したとしても“人”としての権利は何一つとして持ち合わせていない。法的な透明人間とでも言えばいいのかな。」

 「それで法的に存在しないから、どんな風に扱っても咎める奴は一人としていない。その辺に転がっている石ころのように、手に取ったやつが所有権を主張すれば即座に無条件で認められる。当然だが、手に取った石ころをどんな扱いしようと自由なわけだ。」

 そう。実験動物にしても、奴隷として売り払っても、八つ当たりの憂さ晴らしに使い捨てても、慰みものにして更に不幸な命を増やしても――。

 「むしろ奴隷になるのは一つのチャンスでもある。幸運に恵まれて居れば“人のように”扱ってくれる奴もいなくはないからな。」

 もっともそれは貴族街での話であり、こういう場所で行われる売買で幸せを欠片でもつかみ取った者は風の噂にすら聞いたことが無い。つまりシュウを落ち着かせるための気休めだ。

 一通りの話を聞き終えてシュウは俯いたまま。

 シュウはとてもまともな感性を持っているようだ。だからこそこのドロドロとした世界を目の当たりにして怒り、困惑し、納得できないでいる。

 重い沈黙、上げたシュウの顔は良くない決意の色が浮かんでいた。

 「どうするつもりだ?」

 一歩踏み出したところでログは威圧するような低い声で尋ねる。

 「……助けます。」

 「どうやってだ?」

 「皆さんに言うんです。こんなのは間違っているって……。」

 「俺とニナすら納得させられていないのに。意味があるのか?」

 「でも、こんなのは間違っているんです! それなのに黙って見ている事なんて……。」

 「その心意気は買うが、不可能なものは不可能だ。無理に売買を止めさせようとすれば営業妨害でお前の方が捕まって裁かれることになるぜ。そんなことになれば場合によっちゃギルドは小僧を切らざるを得ないし、小僧だって苦労してなったんだから困るだろ?」

 シュウは言葉に詰まり黙り込む。

 当然だろう。

 クリュスから見せてもらった映像からして命の橋を綱渡りしてもぎ取った勝利だ。そう易々と投げ捨てて、更に犯罪者の汚名まで着る決心など簡単にできるはずもない。

 「気にするな。そして恥じるな。お前のその反応は普通のものだ。誰だって自分が得たものを、特にかかった苦労の大きいものを失うのは耐えがたい恐怖だからな。だから踏み出せない自分を責める必要はどこにも無い。」

 何の意味があるのか、まったく無意味な慰めの言葉だ。

一つとして現状を解決しない言葉だ。

 しかし他にかけられる言葉などログは持ち合わせていない。

 一国を統べる王でもなければ、有力な地位にある大臣でもない。世界を敵に回してすら戦える魔王でもなければ、人々から厚く信頼を得ている英雄でもない。

 ログはただの一般人だ。

 情けない事に、ただの一般人には目の前の青年が強行に出ないよう諫めるのが精一杯だった。

 「さ、気分を変えるのに美味いものでも食っていこうぜ。」

 「お? ログさんの奢りですか? やったぜ!」

 「お前は自分で出せ。」

 「えーー。」

 嫌な光景とは真逆の方へ歩き出し、こっそり振り返ってシュウが付いてきている事を確認する。

 俯いた酷く落ち込んだ顔、そうそう簡単に気持ちを切り替えられるわけもない。

 まったく、最後の最後でとんだ一日になってしまったものだ。

 暗い気持ちが乗り移ったのか思わず溜息が漏れた。

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