人生脱線少年期

蜂鳥りり

episode1:憂鬱と期待のテロリズム


ーー2014年ブラジルW杯。開催国ブラジルがドイツに1-7で大敗したけど、その時のブラジル人のことを想像すると、すこしばかりは救われる。


坂本裕二の脚本で確かこんな台詞があった。救われる。あぁ、自分の憂鬱なんて、寝る前に消し忘れた電気を消しに起き上がるくらい、些細なもんだ。そう思える。一瞬だけ。


でもその一瞬が過ぎ去ると、やっぱり現実は現実で、挨拶もせずに図々しくも自分の心に覆いかぶさってくる。

「消えろよ、憂鬱」



ーー未来は神様のレシピで決まる。


伊坂幸太郎の作品で確かこんな台詞があった。救われる。あぁ、自分の憂鬱なんて、洗濯物を干し終えたと思ったらまだ靴下が一足残っていた時くらい、些細なもんだ。そう思える。一瞬だけ。


でもその一瞬が過ぎると、やっぱり家賃も光熱費も食費も、集合写真で中央に寝そべって面白くもないポーズをとる浮かれた男くらい、頼んでもいない存在感を放っている。

「消えてください、憂鬱」



ーー今が辛いならきっとそれは人生の11時台。頑張っていればいつか報われて、12時の鐘が鳴り響く。


西野亮廣の講演で確かこんな台詞があった。救われる。あぁ、自分の憂鬱なんて、シャワーから温水が出るまで裸で立ち往生している時くらい、些細なもんだ。そう思える。一瞬だけ。


でもその一瞬が過ぎると、やっぱりSNSで登場する僕の同級生は、平日の新宿駅に行き交う群集くらい、騒がしくて避けきれなくて、ぶつからないようにそっと目を逸らしてしまう。


「消えないんですね、憂鬱」


 


 


***


 


3年前


 


ーーーーもったいない。


家族も友人も、大して仲良くもない知り合いまでも、声を揃えてそう言った。


 


期待に応えられないことは割りと前から分かっていた。


けどその「期待」は、まっすぐだった。

まっすぐで、輝いていて、折れ曲がってはいけない、

まるでそれが消えたら誰かが不幸になるような。

まるでそれが消えたら誰かの努力が無駄になるような。

まるでそれが消えたら誰かの選択が間違いだったかのような。


期待に応えられない。

こう言えばよかったのに、それだけだったのに、そう言えなかった。

だから僕は、


ーー期待に応えるような人生は嫌だ。


とどのつまり、歯向かってしまった。


 


そしてどうやらそれは、そのやり方は、失敗だったらしい。


 


ーーもったいない。

合唱コンクールよりも声を揃えて、映画館よりも目線を揃えて、そう言っておけば、物知りで善人で他人思いな人間であるかのように、全員同じ判定を僕に下した。


慶應中退したんだ。脱線だね。終了だ。お疲れ様。



21歳の冬だった。

どうやら鳴り響いたのは鐘ではなく、耳をつんざくような試合終了のホイッスルで、点差がついている訳でもないのに、敗北が決まった。


敗北と決まった訳でもないのに、まるで僕の人生は脱線したようで、それを知らせるかのように電話越しで母が謝ってきた。


 

「ごめんな、子育て失敗してもうたわ」

どうも僕は21歳にもなって親に謝らせるようなことをしてしまったみたいだった。


こっちこそ、ごめん。

正直、一体何に謝っているのか分からなかった。


「いいんよ、子供の失敗は親の責任やから」

親の責任。責任を感じるくらいの失敗をしてしまった。

期待に応えてあげられる子供じゃなくて、ごめんなさい。


 

その後の会話はもうほとんど覚えてない。

ただ、最後に言われた、


「じゃあね」


この言葉の後味だけは、今もずっと覚えている。

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