不思議な事に依存する僕ら

鮫中チョコレート

第1話 虹の先の白黒の少年

 窓をトントンと叩く音が続いていた。その音は騒がしい教室の熱気を冷ましているかのように聞こえる。伏せていた頭を上げて外を見上げると灰色の厚い雲が広がっていてどんよりと世界の色をくすませていた。校庭を見下ろすと水溜まりに水が跳ねていた。寝ている間に雨が降ったのだ、と理解した。ふわふわしていた意識をとりもどすと目の前には寝ぼけ眼の自分の顔がうつっていた。

「にじくまちゃん、帰ろう。」

 僕に向けられた声に顔を向けると鞄を持った少年が優しく微笑んでいた。

子供の頃のあだ名で呼ぶのは恥ずかしいからやめろって言ってるのに。でも雨の音が大きいからたぶん誰にも聞かれてないだろう。

(懐かしいな。)


 六歳の時、一度出会った少年の謎解きに夢中になっていた。

「空の青が灰色、空気に形がつくときにオレンジ色の道が僕の家まで出来るんだ。」

 と、絵画教室の先生に言っていた会話をつい聞いてしまったのだ。小さな頃から、といっても当時も六歳だから小さいけど、もっと小さな時から謎解きが好きだった。子供はみんな好奇心旺盛だそうだけど、倍の倍くらいは好奇心が旺盛な子供だった。その話を聞いてから度々その少年の謎解きにやっきになっているのだ。


 その謎が解けた日、その日は十月の雨が強い日だった。

「今日は雨だから絵画教室にはカッパを着て傘をさして行きなさいね。車は出せないから一人で行ってきてね。」

 待ちわびていた時が来た。いつもだったら車でお出迎えされていたが今日は違った。でもいい。というかそれがいい。僕は雨が大好きだ。お気に入りの傘をさしてカッパを着て行ける。それになにより、空気が冷たくてまるで触れるかのようにヒリヒリと手のひらに感じとることができるからだ。ということを友達に話すとわからない顔をされてしまう。

 外に出るとひどく雨が降っていた。お気に入りの虹色の傘に雨が重くのし掛かるようだ。謎解きのために早く出てきたのに、歩くのも大変でそれどころじゃなくなりそうだ。


 絵画教室までの道のりに駄菓子屋がある。大好きなおばちゃんがいてこっそり飴玉をくれる時がある。それはなにかのご褒美だったりするがおばちゃんの気分にもよる。お店の前にはガチャガチャがたくさん並んでいて、引き戸をガラガラと横にあけると小さい部屋のなかにたくさんのキラキラ輝くカラフルなお菓子がところ狭しと並んでいる。今日はおばちゃんがいなかった。

「おばちゃん、こんにちはー。」

 店の奥に届くように大きな声で挨拶すると物音がした。お菓子がならんだ奥からお煎餅のような顔をした丸いおばちゃんが顔を出してきた。

「あらあらこんにちは。こんな雨のなかよく来たねぇ。」

 持っていたタオルで僕の黄色いカッパをふいてくれた。

「外に出たらまたぬれちゃうからいらないよ。」

「濡れている子を放っとけないだろう。」

 ガシガシと音が出るくらいタオルでふいてくれる。いたい。

「おばちゃん。いいことを教えてあげるよ。」

「んん、なんだい。」

「カッパは雨がふった時にしかでてこれない服なんだ。だから雨がたくさんついてるほうがカッパはうれしいんだよ。」

 おばちゃんはぴた、とカッパをふく手をとめた。

「おやおや、まあまあ、それは悪いことをしたね。ふふふ」

 お煎餅の顔をくしゃくしゃにした笑顔を見せて、店の奥に行ってしまった。

 おばちゃんは世話焼きだからすごく構ってくれるけど、マイペースだから突然別のことをやりだしたりする。僕もそろそろ行くかな、なんて思いながらカッパを整えて引き戸に手をかけて気づいた。

「って違うよ!おばちゃん、僕買い物しにきたんだよ!」

 大きな声を出して振り向くとそこには店の奥に戻っていたおばちゃんが居た。

「あらそうだったの。何が欲しいんだ?」

 うしろにいるの全然気がつかなかった。手を両手でおにぎりをにぎるようにしてるのはなんでだろう。飴でも握ってるのかな。

「飴が食べたい。」

 もともと飴が食べたかったんだけど、手の形からもえいきょうされたと思う。

「あらちょうどよかった。」

 差し出したおばちゃんの手のひらの上にはムラサキとオレンジの飴玉がキラキラした透けたビニールに包まれて乗っていた。当たりだ。

 僕はオレンジ色が特別大好きだ。

「そう。こういうの食べたかった、ありがとう。いくら?」

「いいよ。さっきはワルいことしちゃったからね。いつも来てくれるし、今日はおばちゃんの奢りだよ。」

「いいの?ありがとう!」


 ピシャッと駄菓子屋の戸を閉めた。今日はおばちゃんの機嫌のいい日だったみたいだ。飴をふたつもくれた。お気に入りのカッパのポケットに入れた。傘を広げてまた雨のなかへ歩きだした。ばしゃばじゃと水溜まりのなかを歩きすすんだ。水溜まりが途絶えては次の水溜まりを探してそこを歩くようにした。雨の日は水溜まりを追いかけると何故か絵画教室にたどり着けるのだ。いや、何故かもない。駄菓子屋から絵画教室は一本道なのだ。このまま追っていけばいつものようにたどり着ける。

 あ、違う。今日の目的はオレンジ色の道を探すことだった。我に返り辺りを見回すと、数メートル先には絵画教室が見えていた。今日も見つけられなかったのか。と思って絵画教室に駆け足で向かう。絵画教室は一見普通の家なのでわかりづらいが、表札の上にわくわくお絵描き教室、と動物のイラストで囲ったプレートが下がっているのだ。

「また見つけられなかったけど、着いちゃったからしょうがないよな。」

 僕は絵画教室が謎解きと同じくらい好きだから仕方ない。はやく先生と絵が描きたい。そうだ、今日は雨だし雨の描き方でも研究しようかなと思ってふと絵画教室の先の道を見ると、その道の両脇がオレンジ色で彩られていた。

 雨がふると灰色で厚い雲が青色の空を覆い隠して、緑色の木々も彩度を低くした絵の具を混ぜたようになって、景色を暗いグラス越しに見ているような視界になる。といつも思っていた。それが今日は視線の先にオレンジ色に彩られた道が見える。灰色のキャンバスに映えたその色は、大好きな絵画教室よりも好奇心を刺激してすっかりその事しか考えられなくなってしまっていた。


 オレンジ色の示す道をただひたすらに歩いていた。夢中でよく見ていなかったけど、これは生け垣の花が雨で道に落ちているようだとなんとなく気付きだした頃にはすっかり雨は止んでいた。絵画教室をそれてからどれくらい時間がたったのだろう。振り返ると道がいくつか別れていた。一本のオレンジ色の道を進んできたつもりだったけれど、どうやら他にも道があったようだ。

「どうしよう、帰り道がわからなくなっちゃった」

 家は並んでいるけれど、人が他に歩いておらず目印になるようなものも見当たらなかった。ここから動いて余計にわからなくなるのも嫌だけど、ずっとここにいてもしょうがない。どうして僕は道を覚えておかなかったんだ。

 気持ちがだんだんと不安定になっていき、気づけば涙が流れていた。泣いている場合じゃないのにと思えば思うほど我慢が出来なくなっていった。さっきまで降っていた雨のようにポタポタと雨ガッパの上に涙が落ちていった。その流れる様子を指で追いかける、そして気づいた。


 雨やんだから傘閉じていいのか。


 傘を閉じようと見上げると、空には虹色の橋がかかっていた。

「虹だ」

 その虹はまるで先に続くオレンジの道の先にあるように空にかかっていた。その光景に泣いていたことも、傘を閉じることもすっかり忘れて虹に向かって走り出していた。

 虹を見たのが初めてだった。


 そして虹を追いかけてオレンジの道を進んで、行き着いた先には大きな門が目の前にたたずんでいた。なんとなくだけど、あの子の家なんじゃないか、という確信があった。インターホンを押してみる。

「あら、どちら様でしょうか」

 女の人の声がした。

「僕は絵画教室のお友達です。会いに来ました」

 名前、知らないんだった。これで出てきてくれるといいけど、とすこし不安なまま返答を待った。

 すると大きな音を鳴らしながら門が勝手に開いた。

「お、お邪魔します」

 とりあえず中に進んでみた。門の外からでも玄関の扉のようなところは見えていたのでそこに向かうと、またも勝手に扉が開いて、今度は中から白黒の子供が出てきた。

「君、どうして」

 とても驚いたような顔をしている。絵画教室で先生と話してた子供だった。子供と言っても僕より背は高いが、同い年くらいだと思う。

「絵画教室で先生に出してた謎を解いたらここにたどり着いたんだよ」

「そんなことで、君泣いてるじゃないか」

 ポケットから黒いハンカチを出して僕の目元を拭った。いたい。駄菓子屋のおばちゃんのようだ。

「昔の話だから大丈夫だよ。そんなことよりも、面白い謎解きをどうもありがとう」

 駄菓子屋のおばちゃんで思い出したので、ポケットに入っていた飴をひとつ握って取り出した。ムラサキ色の飴だった。

「これ、あげる」

「なに、これは」

 その子供は受け取ると不思議そうに眺めた。

「謎面白かったからお礼にあげるってこと」

 答えてもまだ不思議そうな顔は変わらなかった。そして、悩んでから口を開いた。

「違うよ、僕はこれがなんなのかがわからないんだ」

 僕はすごく驚いてしまった。飴を知らない子供がいるなんて。

 ポケットを再び漁り、残っているもうひとつの飴を取り出した。

 オレンジ色の飴だった。

「あのオレンジ色の道、すごく綺麗だったよ。僕オレンジ大好きなんだ」

 思い出したように話し始めてしまった。話が飛ぶクセがある。

「これがなにかはわからないけど、なんで君がオレンジ色が好きなのかはわかるよ」

 不思議そうな顔から一転して謎解きを話していた時の顔を見せた。

「赤と黄色を混ぜて初めて作った色がオレンジだったから、でしょ」

 探偵のようにびしっとずばり言い当てられて声もでなかった。

 まさにそう。絵画教室で初めて絵の具に触って、混ぜて作った色がオレンジ色だった。その時から僕はオレンジ色が大好きだった。

「まあ、絵画教室の先生が教えてくれたんだけどね」

「いんちきじゃんか」

 ちょっとイントネーションが間違っているのは初めて使う言葉だからだ。

「ひねくれた言葉を使うね」

 同じ子供なのになんとなく上から見られているようで落ち着かなかった。というか名前も知らないのにそんなことを知られているなんて、一方的だ。

「いんちきって呼ぶことにする」

「やめてよ、僕が悪者みたいだ」

「だって、名前わからないし」

「ああ、そうなんだ。僕の名前は城崎黒臣っていうんだ」

「くろみ」

「くろおみね。僕は君の名前を知っているよ」

「まただ。いんちきだ」

「違うよ、これは今日君を見て推理してるからインチキじゃない」

 くろみが指差したのは指したままの傘だった。

「え」

 もしかして気づいてるのかな、とドキドキした。僕の今日の格好はたしかに至るところに名前が書いてある。幼稚園の決まりでなくさないようにって。

「黄色いカッパに赤い長靴に虹色の傘をさしてる。傘に描いてあるキャラクターと全くおんなじだ。にじくまちゃん、でしょう」

 正解だった。至るところにかいてある名前はあさのあさひっていう僕の名前だ。にじくまちゃんの格好をしてたくさん出掛けてきたけれど、この僕の謎を初めて解いたのはくろおみがはじめてだった。

「飴は知らないのににじくまちゃんは知ってるんだね」

「まあ、僕も好きなキャラクターだからね」

「正解だけど名前じゃないじゃん」

「浅野朝陽くんっていう事も知ってるよ」

 至るところに書いてあるあさのあさひを次々と指差す。

「あたりまえじゃん」

「元々絵画教室の先生からも聞いてたよ」

「またいんちきじゃん」

「まあ、そうなるね」

「ふこうへいだ」

「そんなことないよ」

 手のひらの上のムラサキの飴に視線を向けた。

「今度は君が僕の知らないことを教えてくれれば、公平になるんじゃないかな」

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