第28話 免罪符
斎庭リエが
彼が本当に警察に連絡したのかは怪しいところではあるが、余計な詮索はしないでおく。
僕たちと合流したから彼女は脱出できたわけで、片棒を担いだ身として船越に対して若干の心苦しさを感じている。
けれど邪魔が入らずに取材できるのはありがたいことだった。
いや、厳密に邪魔が入っていないかと問われたらイエスと答えられないのが悩みではあったが……
「まだ人格チェンジはしないんですか?」
「しないわ。それに意識してできるわけじゃない」
「自分が自分じゃなくなるってどんな感じ何ですかね?」
「スッと身体から抜け出して、自分で自分の背中を見ている感じ」
「なるほど。幽体離脱に似ているというわけですね」
「違うと思う」
こんな感じで、僕の家のリビングでやりとりがなされている。
結局、どこにも
ハジメさんに場所を提供してもらえないかと相談したものの、どうにも都合がつかないと断られている。頼り過ぎるのも良くないから食い下がらなかった。
ソファに腰掛けた斎庭リエに、新咲ユリがひたすら絡むというパターンを毎日のように繰り返している。
斎庭リエは髪をバッサリ切ってベリーショートにし、銀色に染めていたのでちょっと怖いルックスになっていた。しかし、もともとの顔貌が良く、体型も引き締まっているので似合っている。
駅の近くには煌煌館の支部があるので、それを警戒しての変装だった。ただし、着ているものはハジメさんがお土産で買ったご当地Tシャツなので顔とのギャップが激しい。下着については新咲ユリが用意してくれた。
室内に仕掛けられていた盗聴器は漏電の時に故障した……という体で破壊しておいたものの、その後に信者が忍び込んだ形跡はない。我らが女子高生探偵の新咲ユリ曰く「鏑木さんへのガードが下がりまくっています!実質カロリーゼロです!」だそうだ。
ただでさえゲストとの生活には気を遣うのに、新咲ユリが家に上がり込む頻度と時間が増えてうるさいったらありゃしない。
本人は斎庭リエを見張るという名目で来ているから無碍にも断れないのだ。
何せ、多重人格者であることをアッサリ認めた上でここにいる。本人の弁を借りれば「他の人格は大して害は無い」らしい。勿論、これを信じていないのは新咲ユリである。仲良さげに接していても腹の内では疑っているのだ。
15時に差し掛かったタイミングでお茶の準備をして、2人の前にコーヒーとバタークッキーを出した。これがすっかり習慣化している。
「話せることはほとんど全部、話した。事故が起きたときのことも、与野村くんを食べたときのことも、下山したときのことも」
「えぇ、そうですね。
「私の記事は書けそう?」
「十分です。しかし、解せないところもあります」
「何?」
まとわりつく新咲ユリを手で軽く押し退けて、斎庭リエはバタークッキーを頬張る。コーヒーにはたっぷりとシュガースティックを2本入れ、念入りにスプーンでかき回していた。結構な甘党である。
「帰国後に記者会見を開きましたよね。そのときの『脳みそをスープにしたけど味がしなかった』という発言で世間から反感を買いました。何故、与野村さんの遺言を公開しなかったんですか? 彼の意思表示は重要だったように思えます」
「何故って……」
砂糖を混ぜるスプーンがカチカチと苛立たしそうな音を立てた。
傍にいた新咲ユリは警戒を強めて身を乗り出す。
何かあれば止めに入れる体勢だ。僕も斎庭リエの迫力に身構えてしまっている。
リビングの空気が張り詰めていく。ふと、彼女が3階の高さからジャンプしても着地できたり、数千メートルの雪山を下山できたり、超人的な身体能力を持っていることを思い出した。
緊張感から膝に力が入り、拳を握り込んでしまう。
そんな怯えを斎庭リエは見抜いていたらしく、ため息を吐いた。
「与野村くんの思い通りになるのが気に入らなかったの。ただそれだけ」
「自分が不利になるとしても?」
「有利に立ち回って生きなきゃいけないわけじゃない。選んだ道が不利だと分かっていても、私は好きに生きる」
達観した物言いだ。一度、死に瀕しているからだろうか?
少なくとも僕には真似できそうにない。
「では、与野村さんの遺言状の件は記事で触れない方がいいですね」
「その判断はあなたに一任する。あなたは、あなたのやりたいようにやって」
「僕は遺言状のことを載せたいと考えています。できれば、現品も確認したい」
「無理ね。私が軟禁されていた施設に保管されているから」
「あの場所に戻るつもりは?」
「無いわ。与野村くんとの縁で匿ってもらったことには感謝しているけど、待遇は悪かったもの」
「そういえば、斎庭さんのご両親もあの施設にいるとか……」
「実家のお店が嫌がらせで閉店に追い込まれたから。もともと仲は良くないし、新しい心の拠り所が見つかったみたいだし、もう関わりたくはない」
「と、言いますと?」
「今はもう根っからの信者になっている」
そういうことか。
もう斎庭リエには頼れるものが無いのかもしれない。
「墜落事件とその周囲で起こったことは理解しました。それでもまだ、僕を興味の人たらしめる要素があります」
「助けてもらったお礼になるなら、答えるわ」
「どうして煌煌館から脱走しようと考えたのですか? 確かに生活は窮屈だったかもしれませんが、世間から隔離されることで安全は確保できていました。実際、僕もある情報筋を使わなければあの施設に斎庭さんがいることを調べられなかった」
「……」
用意しておいたバタークッキーの最後の1枚を斎庭リエは摘む。
丸い菓子の両面を交互に眺め、それから一口で食べてしまった。
静かな部屋の中にバリバリと噛み砕く音が響く。
「ビリー・ミリガンって知ってる?」
「多重人格者の?」
「そう。ダニエル・キイスの本。私は読んだことないけど、与野村くんが与太話で教えてくれた」
「知っています。24の人格が内在していたアメリカ人ですよね」
「じゃあ、どうやって治療したかも分かっているんじゃない?」
「確か、人格を統合して安定させた筈です」
「煌煌館の連中はそれと同じことを、私にした。それが嫌で逃げ出したの。秘密性重視だから雇ったカウンセラーの腕がイマイチだったのと、治療自体がいい加減だったから助かったけどね」
これは自殺した川岸涼太のことだ。
腕がいまいちだというのは判断しかねるが、カウンセラーとクライアントの相性が悪いと治療が立ち行かなくなるのはよくある話だ。
斎庭リエと彼はおそらく合わなかったのだろう。
「斎庭さんに内在する他の人格が消滅を嫌ったということですか?」
「ニュアンスは近いかな。パーフェクトじゃないけど」
「多重人格者になったのはキルレシアン航空211便墜落事故が原因ですね?」
「多分。死にかけたし、幻覚も見たし、大変だったからね」
「その別人格から話を伺うことはできますか?」
「警戒して出てこないみたい。煌煌館にいたときは結構な頻度で入れ替わっていたのにね」
「鏑木さん。ダメです。この人、さっきまでここにいた人と違います」
新咲ユリが立ち上がって、斎庭リエから離れる。
銀髪に染めた頭を掻きながら違う人格はケタケタと笑った。
「すごいな、お嬢ちゃん。なるべくリエっぽく話していたつもりなんだが、どこで気付いた?」
「言葉遣いはよく似ていますが、会話の途中で息を吸うタイミングが斎庭さんとまるで違います」
「おぉ、そんなところまで観察しているのか。次は気を付けるか」
違う人格は、声は同じなのにはっきり別人だと分かった。なんとなく年季の入った男性をイメージさせる。
ソファの上であぐらをかいた違う人格は目を細めて僕を見ている。
「さぁ、カブラギ。お望みの別人格のお出ましだ。そんなビビった顔するんじゃないよ。インタビューしなくていいのかい?」
「あなたの名前は?」
「ジョーカー。リエにはそう呼ばれている」
なるほど
引きたくないものを引いたなと直感し、僕はメモ代わりのボイスレコーダーの電源を入れた。
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