第24話 暗灰色の空を越えて
空腹の中、これまで食べさせられてきた奇妙なグルメを思い出していた。世界には実に様々な食べ物があり、それらは土地に根付いて生まれたものもあれば、外からの文化流入によって受け入れられたものもある。
私は『奇食ハンター』というキャラ作りの中で、そういったものを頻繁に口にしなければならなかった。どこぞの安物の改造メイド服とピンクに染めた髪で、なんでも食べて世界を渡り歩くというのが主旨だから仕方ない。
実家は食べ物を扱うお店だったから両親は特に食事に関して厳しく、好き嫌いは許されなかった。幼かった私は「噛まずに食べれば味は口の中に広がらない」とか「食べている最中に息を吸わない」とか小手先細工でなんとか乗り切った記憶がある。遭難している今の状況なら食べ物のありがたさは身に染みているし、例え平時であっても粗末にしてはいけないことくらい理解できる年齢になった。
こんなマインドが役に立っているという自信はゼロ。だからどうでもよかった。
その日は風が強くて採集に出られなかった。唸りとも雄叫びとも取れる轟音の中で、キルレシアン航空211便墜落事故の生き残りが一箇所に集まっている。岩肌の凹みを削って作ったベースキャンプには風を凌ごうという必死の工作跡がうかがえた。金属の残骸と布を組み合わせた風除けはこれまで何度も吹き飛ばされている。今日もお決まりの運命通り、大空へ舞ってどこかへ消えてしまうと思われた。
例の牧師は生き残り全員に呼びかけていた。
事故から既に2週間近く過ぎている。生存者はわずか8名。墜落した日は30人くらい生きていたのに。
私、牧師、医師、老人猟師のエドゥアルド、若い電気技師のフリオ、それと怪我をした中年男性2名と老女1名。
みんな青白い顔をしている。きっと頭の中は食べ物のことでいっぱいだろう。もうまともな食料は残っていない。いや、フリオが隠している菓子類があるけど、あれはカウントしないでおく。
あとは
私は、狂気じみた思考回路を慌てて切り離して頭を振った。栄養不足と寒さでぼーっとしている。とてもではないがフリオたちが作った道具で下山できるコンディションじゃない。
いくら奇食ハンターとはいえ人間を食べるなんてとんでもなかった。ましてや顔見知りで仕事仲間だ。
牧師もまた疲れ切った顔である。そいつが何やら語り出したが、知らない現地語とはいえいつもと調子が違うことに気付いた。神の言葉(という体の説教)はスラスラ出てくるのに今日に限ってセリフは途切れ途切れで、しかも弱々しく下を向く場面が多い。
隣に座るフリオを膝で突き「なんて言ってるの?」と尋ねる。フリオは青褪めて口元を押さえていた。
しばらく答えは帰ってこない。待ちかねた私は牧師が話している途中でも構わずフリオに声をかけた。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「あァ、とても、悪い。ちょっと考えられナイ」
「教えて、フリオ。牧師はなんて言ってるの?」
長い沈黙だった。エドゥアルドはどんな話にも興味を示さず淡々と金属片を削ったり磨いたりしている。一応はこの場にいるだけ。
他の人間も沈痛な面持ちだ。一見すると目の光が消えているものの、奥底に暗い灯りが宿っている。
みんな寒くて飢えていた。もう長く持たないだろうという意識は誰もが持っていた。
「ごめん、リエ。ドクター、英語できる。ドクターから聞いて」
そこまで告げてフリオは離れていった。飛行機の残骸がある方角だ。天気が崩れているので心配になる。
しかし、背後から声をかけても彼は止まらなかった。
仕方ないので俯いたままのドクターに話を聞くことにする。
「ドクター、牧師は何て言ったの?」
事故の直後から懸命に怪我人たちを処置しきたドクターは強靭な精神力の持ち主だった。壮年の痩せた男で、鼻が高くて眼窩が窪んでいる。パッと見た目は厳ついのだが物腰は穏やかだった。
設備も薬もないこの状況ではできることが限られている。それでもなお命を救おうとする姿勢は尊敬できた。
「こっちへ来てくれ」
ドクターに手招きされて、後に続く。
風の強さで牧師にも他の人間にも声が聞こえないくらいの位置まで離れると、ちょうどそこは墓地だった。不恰好な鉄の十字架が岩に挟まれ、雪が積もっている。
背の高いドクターに向き合うと見上げなければならなかった。だから私は少し高い岩場に立つ。視線の高さは合わせておく。それと間違っても一発で掴まれる距離には入らない。
「リエ、聞いてくれ。このままでは全員が飢えるか凍えるかして死ぬ」
「それは分かっている。でも食料はもう無い」
「あぁ、そうだ。飛行機にあったものは全て食べ尽くした」
あの牧師の言うことなんて聞くべきではなかったのだ。『平等』に食料を分配した結果がこれだ。
限られたリソースを、少しでも望みの高い可能性に割り振るべきだったのだ。
今更そんなことを愚痴っても何にもならない。最初に30人以上も生き残っていたから判断を誤ったのだ。
この場所から動かず助けを待つ……結果論だけど、それは大きなミスだった。
「エドゥアルドとフリオが登山道具を作っているのは知っているか?」
「知っている。この前、見せてもらった」
「あれを使って下山し、助けを呼んで欲しい。生き残った8人の中でリエが1番可能性がある」
「無理。食料がなければ途中で死ぬわ。それに降りてからの土地勘もない」
「俺は学生の頃、この近くの峰に登ったことがある。この山の周辺には登山客を受け入れて生計を立てている村がいくつかあるんだ。地図を書ける」
「何十年前の話?」
「もう40年近く前だが……」
「土地勘は仮にクリアしたとして、食料の問題が残るわ」
「食べられるものなら……ある。それを牧師から話してもらった。私のアイデアだから彼を責めないでくれ」
医者はちらりと鉄の十字架に視線を送る。それだけで何が言いたいのか私には理解できてしまった。
与野村くんの遺言がチラチラと頭に過ぎる。あれは死にかけの狂人が書いた戯言の筈だ。
そんなこと許されるわけがない。
人間が、人間を食べるだなんて……
どう考えても普通じゃない。与野村くんの遺言を見て、しばらく考えて、頭にきた。何が遺体をどう損壊してもいい、だ。
遠回しに食えと言ってるじゃない?
そんなことしなくても私は生き残ってみせる。生き残って、山を降りて、あとで与野村くんを迎えに来てみせる。
私は人間のまま、人間らしく、ここへもう一度戻ってくるつもりだ。
「エドゥアルドなら解体できる。鹿や熊を狩っていたそうだ」
「人間はバラしたことないでしょ?」
「あぁ。でも、皮があって骨があって筋肉がある。できないことはないと言っていた」
「じゃあ、食人に賛成しているのは何人?」
「全員が反対すると思う。少なくとも、さっきの牧師の話を聞いた反応では」
「それなら論外よ」
気分が悪くなってきた。
ムカムカする。
確かに私は、フリオの提案を「できない」と却下した。少しばかりのパン屑や菓子では下山するまで体力が持たない。経験からそう判断したのだ。
もしも。
万が一でも。
数キログラムの肉を食べたら、どうだろう?
天候の影響もあるだろうけど、下山の成功率は格段に上がると思う。
食料のあるなしは深刻な差となる。
それがごく普通の登山食なら喜んで飛び付いていた。けれど、間違っている。人間を食べるなんて絶対にダメだ。
ここで死んでいった人たちの尊厳を踏み躙っている。
彼らは残った連中の食料になるため死んだんじゃない!
「提案した本人だって食べられないんだから説得は無理よ。みんな人間として否定する」
「リエ。飢えというのは生物にとってこの上ない危機なんだ。理性は本能に勝てないんだ」
「そういう話じゃないわ。私は、食べない。話は終わり」
「人間は簡単に人間であることを捨ててしまう」
「聞きたくない」
ドクターに背を向けて私はフリオが向かった方へ歩き出した。天候はどんどん悪くなって、視界すら確保できない。心配だからさっさと連れ戻さなければならなかった。
捜索は10分とかからなかった。すぐにフリオの姿を見つけたけど、彼は飛行機の残骸のそばで倒れていた。
頭から血を流していたのである。足元がおぼつかず転んで、岩に打ち付けたのだろう。
肩を貸してベースキャンプまで連れていったけど、意識は朦朧としていた。頭蓋骨が陥没していて手の施しようがなかった。
うなされながらフリオは奥さんと子供の名前を呼んでいた。
牧師はその横で聖印を切り、医師は無力さを痛感して目を堅く瞑っていた。
結局、フリオは家族に会うことはできなかった。
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