第11話 安楽椅子探偵、大地に立つ
マークされていることに気付いてから4日が経っていた。
尾行という表現は正確ではなく、僕は監視されているようだ。安楽椅子探偵の新咲ユリが指摘してくれたおかげで、そんな状況を朧げながら把握できてきたのである。
そうは言っても僕自身で監視を察知するのは難しい。新咲ユリが(本人曰く時間外サービス)外で一緒にいるときは「あの人がそうですよ」とわざわざ教えてくれる。
パッと見ても分からない。どこにでもいそうな普通の人たちだ。リュックを背負った若者、新聞を手にした中年男性、スーツ姿のOL…… 年齢も性別もバラバラである。
目を合わさないように彼らを観察しても、本当に僕を監視する役目があるだなんて思えなかった。
「気付かれちゃいますよ?」
「相手が気付いたことにこっちが気付くって難しいけどね」
「すぐ分かりますけど」
「頼もしい限りだ」
本屋で隣に立つ新咲ユリがこっそり告げてくる。
頭ひとつ半の身長差を埋めるため、わざわざ爪先立ちだ。
僕は大して興味のない釣り雑誌をパタンと閉じて隣のコーナーへ移った。勿論、新咲ユリも追ってくる。彼女のチャームポイントであるポニーテールが揺れる度、変な汗が出る。
制服姿の女子高生と一緒にいるのはあまり生きた心地がしない。あらぬ誤解を受けたくないものだ。
なお、今日の監視者は眼鏡をかけた大人しそうなサラリーマンの姿をしていた。
数日前はリュックを背負った若者として僕を見張ってたらしく、変装をしているそうだ。
「面白がって首を突っ込むのはやめた方がいいんじゃないかな」
「
「新咲さんには実績があるからね」
「あぁ、『道具箱殺人事件』の」
「断っておくけどプラスの実績じゃないよ。大変な目に遭うって意味だからマイナスの実績ね」
「でも真犯人は捕まったじゃないですか」
「僕は運が良かっただけだと思っている」
これは本音じゃない。新咲ユリを調子に乗せないための方便だ。
実際、彼女は驚くほど頭が切れる。その場にいなくとも脳内で紡いだイメージだけで現場を見た誰よりも鋭い見解を持ち出すのだ。
適当な自動車雑誌を手に取り、パラパラとめくり、目を滑らせて時間を潰しておく。
監視者に動きはない。向こうも立ち読みしている。
僕はそっと眼鏡のフレームに手を伸ばし、仕込んであるカメラで監視者の姿を撮影した。
どうしても相手のことを調べたければ、情報屋のハジメさんに相談するつもりだ。
「外にあと二人いますけど、そっちの姿も撮っておきます?」
「これのことも看破しているのかい?」
「秘密道具っぽくてカッコいいですよね。あとはベルトと靴のギミックも」
「僕にとって1番の脅威は君かもしれないな」
「私は基本的に鏑木さんの味方ですから」
教えてもいない隠しカメラのことまで知られていて頭痛がしてきた。
それに「あと二人」という人数もおそらく本当だろう。
こんなに怖い女子高生が基本的に味方で良かったと安堵しておく。
次は週刊誌のコーナーにしておこう。適当に左右を見ながら、芸能人の写真やら下世話なタイトルやらが印刷された雑誌の並ぶ棚までやって来る。
パッと見渡した限り
今は未成年アイドルとの淫行が取り沙汰されたイケメン俳優のことばかり。
「ライバルのお仕事チェックですか?」
「あまりライバルだと思われたくないなぁ」
「でも鏑木さんもこういう記事を書くことありますよね」
「そりゃ食っていく必要があるからね」
「どんな気持ちで書くのかちょっと想像できないです」
「無心だよ。魂が燃えないっていうか」
「『道具箱殺人事件』の記事を書いたときは燃えていました?」
「まぁね」
次はコミックのコーナー。学生の頃は漫画を読むことが多かったけど、最近は全然チェックしていない。
大手出版社の作品は随分と長期連載が多いし、◯◯万部突破!とか景気のいい帯が巻いてある。
一時期、探偵ブームが巻き起こってその手の漫画も増えたものだけど今も生き残っている作品は少なそうだ。
「外のメンバーと入れ替わるみたいですね」
レジ横の出口に目を遣ると、サラリーマン風の監視者が出ていくところだった。
入れ替わりで作業者の格好をした太った中年男性が入ってくる。
仮に、彼らがコンビニアルバイトくらいの賃金だったとしても雇い主は今日だけで数万円払っていることになるだろう。
実際はそれの十倍はかかっていると見える。
自分を安く見積もるつもりはないけど、僕みたいなフリージャーナリストを相手によくやるものだ。
特定の場所で仕事をする人間を見張るならまだしも、どこへ行くかも読めない僕相手では労力も段違いだろう。
「新咲さんは、いつまで僕に付き合うつもり?」
「う〜ん、今すぐ帰れと言われてしまったらすぐ帰るつもりです」
この子もさっさと帰したほうがいい気がする。
困ったような顔をしつつも腹では何を企んでいるか分かったもんじゃない。
とりあえず監視者たちには不穏な動きに見えないように、本屋を出た。
駅前のロータリーはそれなりに混んでいて、僕は遊歩道に上がってから待ち合わせ場所によく使われるオブジェの前で座った。
新咲ユリも隣に座る。ちょうど夕暮れ時だ。バスのエンジン音と大勢の靴音、それにどこぞのファミレスの厨房から揚げ物の匂いが混ざって混沌としている。
この空気感は嫌いじゃないけど、ちょこちょこ山間の街まで取材に出かけていたせいでそっちの方が恋しくなった。
斎庭リエ本人へのインタビューは進まず、マネージャだった男の調査も脅迫が入って手が止まっていた。
おまけに僕自身が監視されているとかでストレスになっている。
ハジメさんに相談しておくかな、やはり……
取材の渡りをつけてもらう以外のことを頼むのは気が引けるけど、本格的に面倒なことになる前に先手を打ちたい。
「結構、ストレス溜まっているみたいですね」
「分かるのかな」
「はい。お肌にハリがありません」
「まさかそんなところで判別しているなんて想像もしていなかったよ」
本気なのか判断できなかったけど、いい感じに気が抜けた。
そろそろ腹も減ってきたところだし何か食べておこう。
それから家に戻って仕事をすればいい。
「あの監視者たち、僕に何か手を出してくるかな?」
「鏑木さんが動かない限りは何もしてこないと思いますよ」
「断言じゃないんだね」
「はい。
「……え?」
時間が止まる。聴覚が捉えているのは新咲ユリの声だけで、あらゆる音が消えてしまった。
それくらい、僕は呆気にとられている。
何せ、煌々館という単語を彼女の前で使ったことはない。
知識としてそういう宗教団体が存在しているのは知っていてもおかしくはないけど、僕を監視する連中と結びつける要因は無かった筈だ。
待て。マークしているのは煌々館の人間なのか?
「何故、その単語が出てくるのか不思議で仕方ないんだ」
「鏑木さんを監視している人たちがいますよね」
「いるね」
「ここ数日、私と鏑木さんは短い時間ですけど一緒に行動しています」
「しているね」
「昨日、鏑木さんと別れた後であの人たちを尾行したんです。そしたら駅の反対側にある雑居ビルに入って行きました。煌々館が借りていましたよ」
「……首どころか腰の辺りまで突っ込んでいたわけだ」
「尾行の訓練は受けているけどプロっぽくない……そんな感じの動きでしたから、本業は全然違う組織なんじゃないかなと予想していました。案の定、私の尾行には気付きませんでしたし」
この子は一体、どうやって尾行のプロかアマチュアかを見分けているんだろう?
今更な疑問だけど、怖くなってきた。ただのアルバイト女子高生じゃないとは知っていたのに。
新咲ユリはそんな僕の心中を見透かしてなお微笑んでくる。首を傾げてポニーテールが揺れる。
「君は安楽椅子探偵じゃなかったっけ?」
「最近、受付のバイト中にナンパしてくる人がいるんです。だからあまり職場に行きたくなくて」
「それは同情するよ」
「鏑木さんが彼氏のフリをしてくれれば助かります」
「フリをすれば首を突っ込むのをやめてくれるのかな」
「それとこれとは別の話です」
突然、ジャンルを変えるのはやめた方がいい。
主に僕が戸惑うから。
こうして安楽椅子探偵は、椅子から立ち上がって僕の周囲を掻き回すようになった。
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