#18 利用可能性ヒューリスティック

論理的に思考しよう。


人間には直感的に判断をすることで誤った回答が導かれてしまうという性質がある。これは人間が普段から論理的に考えていないが故に当然のことではあるが。


論理的に思考しよう。


あの怪物は一体何のために存在する?私の関心は何でアレに向けられている?誰か何かを誤魔化そうとしていないか?回崎は「怪物はじきに崩壊する」と言った。それは何を表しているのか?


論理的に思考しよう。


あの怪物は一体何を表していたのか?満足という例題は私の何に関係しているのか?それすらも闇の中だ。鉛筆が出てくることの関係性は?何もかも、意味不明だ。だけど別にそれはたいした問題じゃないかもしれないし、単なる目眩しの可能性がある。


ヒューリスティックしよう。


環凪都々は私の親友だ。いつも面倒を見てくれる、そんなことは鈍感な私でもいい加減に理解しているところだ。だからこそ、私は環凪都々に感謝し続けないといけない。実際のところ、環凪都々には親友として以上の感情がある。私は一体彼女のことをどう思っているのか、それはわからない。


ヒューリスティックしよう。


何故私はその手紙を無視したのか?私は環凪都々のことを何だと思っている?今回の旅行でやたら赤嶺が喋っていなかったか?桃園から与えられた手紙は一体なんだったのか?今となっては見る気すら起きない。直感的に考えれば、何か理由があって手紙を破いたのだ。


ヒューリスティックしよう。


ではあの怪物の意味は「鈍感な私」にあったのだ。やはり、そして、桃園から預けられた手紙を破り捨てたのは、彼の大胆な告白を避けたかったというわけだ。結局、私はその内容を理解している。


私、近寺皀理は環凪都々のことが好きだったのだ。


中学生の頃からの仲だ。私が同級生から虐められていた時、颯爽と助けたのが彼女だった。狭い私の世界に彼女が入ってきたのは、その時だった。なんでもかんでも難しく考える私が、環凪都々による友情の効果を、解決策に勘定することでちょっとだけ、物事を楽に捉えられるようになったのは事実だ。


はっきり言って、あのときの私は意味のわからないふしぎちゃん(あるいは今もそうかもしれないが)だった。他人にとって線と線が繋がらないようなことをいっては困らせてばかりだった。


その態度が人にとって、難しいことを言って煙に巻いているなどと感じさせるのは仕方がないことだっただろう。あの頃の私は他人にわからないようなことを言うことが、価値のあることだと思っていたからだ。


反感をめちゃくちゃ買った。決定的だったのは私がそれほどテストで良い成績を取れるほど頭が良くなかったことだ。


環凪都々が私のことをどう守ったか。それは多岐にわたる説明をしないといけない。都々は私にどれだけ放言することが無意味であるかということを説明した。それでも私は理解しなかった。おそらくここでは厨二病的な精神状態があったのだと思う。だから、環凪都々は私がテストで100点を取れるように何度も繰り返し勉強を教え込んだ。私の言うことと成績の不和が問題なのであって、それならば成績のことを解決する方が容易であったのだ。


これがどの程度影響があったのかはわたしにもわからない。おかけで、虐めてきた人間のことを少しだけ見返すことのできるくらいには、成績が良くなったのは確かなことであるが、いじめる人間にとってそこは瑣末な問題であるらしい。


だがそれで私がこの現実に対抗する勇気を持てるようになったのは事実である。






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