#9 第一夜

 私たちの宿泊先は孤島のそれに期待していたものよりは小綺麗だった。父島はむしろ観光地だから、そういう点で言えば整備がキチンとなさているのだと思った。しかし、そこまで豪華な──それこそ推理小説の中に登場するような巨大で古式豊かな洋館というほどではなかった。どちらかといえば普通の家寄りの見た目をしており、2階は住居空間に使われ、一階は食堂の役割を果たすというわけだ。


玄関前の表札には「深海荘」と表記してある。海の深さの区分には確かに「深海層」というものがあるが、「荘」と「層」をかけたジョークなのだろう。わかりづらすぎる。このネーミングを考えた人はよほどユーモアに溢れているのだろう。


この家の人は皆日焼けをしていかにも「島の人間」といったいった風体である。夫婦であると考えられるやたらガタイのいい男女、腰が曲がった藤色の着物を着た老婆、そして数人の子供はここの家族なんだろう。その老婆が暖簾をくぐり現れた。


「みなさん、よろしくお願いしますね。あがりやれ。"あがりやれ"というのは小笠原の昔の言葉で"いらっしゃい"などという意味です。それでは案内しましょう」


案内された部屋の中にはさらに部屋がいくつかあった。どこも綺麗に片付けられていて、物はベッド以外ほとんどなかったと言ってもいい。部屋割は前から決めていて、私は環凪と蛇姫と同室だった。蛇姫はいない。船の中で見てから一度も会っていない。亀の時にも浜辺の時にもいなかった。


「そういえば、蛇姫はどうだったんですか?」


私は少女先生にそう聞いた。少女先生は身じろぎもせずに沈黙を返した。


「少女先生ー!」


そう聞こえたのは桜道先生の声だった。もう夕焼けが海に沈んでいく時間になった頃だ。そこには桜道先生に連れられる蛇姫がいた。桜道先生はともかく、蛇姫は何やら混乱した状態だった。


「少女先生、ちょっといいですか?」


桜道先生は「はぁはぁ」と息を切らせながら、少女先生をあちらへと押しやり生徒にその話を聞かせまいと建物の裏に行った。


私はちょっと蛇姫に聞きたいことがあった。今日の海岸とカメで見つかった事実だ。鉛筆がカメを団子のように突き刺さる。あの状況は誰も忘れることはできない。もちろん、バスの中で見た怪物も気になることはあるが。


「ねえ、蛇姫。さっきまで何してた」


「言う必要はない」


「あれだよ。アレ。もしかして亀の惨殺と関係があるの?」


「知らん。亀の惨殺?何だそれは」


そうか。蛇姫は亀を見てこなかったのか。しかし私たちと一緒にいなかったということはアリバイがないわけで、私の疑いの目からは逃れることはできない。


「私はちょっと気になるんだ。鉛筆、犬。そして亀。あなたは知ってることがある?」


「ああ、お前は人に状況を説明しろ!だからお前と会話するのは嫌だったんだよ」


嫌われている。これは私に取っていつものことだから仕方がないと言えば仕方がない。


「船の中で…何をしていたの?」


「別に何もしていない」


何もしていないということはないだろう。


「せめて何で遅れたかは同室の人間に教えてくれたっていいんじゃない?」


「うるさい。それについては何も話すなと言われている」


蛇姫はなんとかして調子を合わせてきて、やっとのところで冷静さを保っているように見えた。私はちょっと気になるところがあったのだ。


「鉛筆について何も知らない?」


「鉛筆については本当に何も知らない。船の中で何をしていたかは言えない」


秘密の話し合いから出てきた少女先生はそれにちょっと反応した……ように見えた。推測しかできないが、生徒にかける心配としては大きすぎた気もする。むしろ動揺に近い。


「なあ、近寺。早く蛇姫を部屋に連れて行ってくれないか。夜も来る。もう少しで夕ご飯だからな」


いやに優しい言い方の少女先生が気持ち悪かった。


「ほら近寺、早く」


ちょっと我が校の教師陣の反応には気になるところがあるが、特に今問いただしても意味はないと思ったのでほっておくことにした。旅行はまだ長い。そのうちいずれかで口を割らせて見せる。おそらく、今日見た様々な現象は先生らが知っている「事実」となんらかの関係があるのだろう。しかし、先生らにはそれを隠したい理由がある。


まあとりあえず。


「蛇姫、行こう」


「お前に指図される謂れはない」


自分が遅れてきた癖に少々生意気である。蛇姫の黒いパーカーが少し揺れた。


彼女は自発的に部屋の中を入っていった。私もそれに慌ててついていき、部屋に入る。するとその部屋の中には赤嶺も書籍院もいたのだ。


「お〜!皀理っち、それに蛇姫っちじゃん!ここ3人の部屋だったん?」


「なぜ、赤嶺がここに!?」


「いや〜、皆が集まって映画みたいって言うからさ〜」


「何でこの部屋に……」


「だいじょうぶ。環凪にちゃんと許可取ったからさ!見てよ。一階に千と千尋の神隠しがあったんだって」


「今からならギリ見切れる」と言う。


「しかし夕ご飯と風呂があるから時間かからない?」


「じゃあご飯食べたら再集合ね!」


小笠原での夕食はとてもおいしい物だった。特に美味しかったのがほうれん草のおひたしだ。


「何か特別なところはあるのかな」


「逆に鮮度の面で言えば船で運ばれてくるのは1週間に一度なんだから、大したことはないだろう」


「人がせっかく美味しいって言ってるのにそういうことを言わない」


そのあとは……風呂に入ったあと、赤嶺と書籍院を含めた5人で千と千尋の神隠しを見て、寝た。全部見切ることができた。実のところを言えばジブリは一度も見たことはなかったのだが、それなりに面白かった。これは小笠原と関係あるのか?

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