第1話 蟲国(むしこく)へ

ジジジッ


蛍光灯が切れる寸前の様な音と共に目が覚めると、そこは見たことも無い場所だった


「私は確か、教室で授業を受けていたような……」


あれは確か、理科の実験をしていた時の事だったと思う。私の中学の理科の先生は実験好きで、教科書だけで教えるのは物足りないと、様々な実験を自費で道具をそろえて見せてくれていた


先生は30代くらいのなかなかイケメンの男性だ。実家が昔の豪家だったらしく、家の蔵からもいろいろと見た事のない道具を持ちだしているらしかった。以前にも変な壺を持ち出して来て、実は中に何かを入れると取り出せなくなるとか、掛け軸に描かれた絵が勝手に飛び出してきて暴れるとかの問題を起こしているのに懲りない事だ


しかし、クラスの皆はその問題を楽しんでいる節があった。非日常を楽しむのはいいが、それが毎回安全とは限らない……それを実感した。先生が鏡を使った実験だと言って取り出したのは、どうみても古い三面鏡だった。光の反射やら屈折やら焦点やらをいろいろ説明していたが、太陽の光が丁度鏡に当たった時、角度が良かったのか悪かったのか、何か魔方陣の様なものが浮かび上がり、鏡に映っていた全員が光に飲まれるのが見えたのが最後の記憶だ


「綾音、大丈夫?」


「あっ、千佳。何があったのか分かる?」


自己紹介が遅れたが、私の名前は金美綾音(かなみあやね)。そして私に話しかけてきたのは親友の巴千佳(ともえちか)だ。まあ、小学校から近い中学はここしかないから、ほとんどの人が顔見知りなんだけど、その中でも特別仲の良いのが千佳だ


「ううん、目の前が真っ白になって、目が覚めたらここに居たの。それで、真っ先に綾音を探したらボーッとしてたから声を掛けたんだよ」


「あっ、ごめん。私も何があったか思い出そうとしてたんだ」


私はさっき回想にふけっていた時の事を反省し、先に周りの状況判断する事にした。見たところ、先生以外のクラス全員が居ると思う。先生は鏡の後ろに居たから光に飲まれなかったのだろうか。みんなもうめき声の様なものをあげているから、そろそろ私達の様に目を覚ますだろう


「あれ、俺は……?」


「うーん、ここは……?」


思った通り何人か目を覚まし始めた。改めて教室を見ると、所々錆びたような、汚れかカビか分からないような感じに彩られている。そして、電気は消えている。夏が近いこともあり、午後3時はまだまだ明るい時間なので今は問題が無いが、光が無いというだけで、まるで文明に見放されたようで不安になる。見ていた窓から、何かが近づいてくるのが見えた。まだクラス全員は起きていないが、30人中の20人くらいは起きているだろうか


「何か来るよ!」


私はとっさに窓から離れ、机の下に隠れる。私の声を聞いた何人かはよく分からないまま同様に机の下や後ろの方へ下がって逃げた


ガシャーン


窓を割ってトンボの様なものが入ってきた。トンボの様と言ったのは、大きさがどうみても1mくらいあり、本来固そうな外皮を持つはずが、まるで人間の肉の様にピンク色で柔らかそうだったからだ


トンボはそのまま、まだ起きていない女子生徒に襲い掛かる


「奈緒!」


誰かが叫んだものの、どうすればいいか分からないうちに、トンボは尻尾部分を奈緒の口に刺した


「がっ、はぁ!」


奈緒は目を覚ましたものの、余りの痛みに痙攣している。トンボの尻尾が膨らみ、縮むと同時に奈緒の喉がゴクリと動いた。何か飲まされたらしい


「こいつ!」


近くにいた男子生徒、勝也が椅子を持ち上げてトンボに向かって殴りかかる。トンボは素早く飛びあがると、入ってきたときに割った窓からすぐに逃げていった


「奈緒、大丈夫か!? 誰か、救急車を!」


痙攣して白目をむき、口から白い液体と赤い液体を垂らしている奈緒に、勝也がかけよる。噂では、勝也と奈緒は付き合っているらしいと聞いたことがある。彼女を保健室へ連れて行こうと思ったのか、奈緒を抱き起そうとしている。そして、クラスの誰かが119に電話したらしい


「くそっ、電話がつながらない!」


「俺はとりあえず奈緒を保健室へ連れて行く! 誰か、手を貸してくれ!」


勝也は奈緒の右手を取って起こそうとした時、奈緒の痙攣が止まり、目を見開く。そして、奈緒は勝也にキスをした。そのキスは、中学生の私達にはまだ早い、完全に口を覆う様なキスだった


「むぐっ、ごくっ。おい、急に何を……」


その時、奈緒の背中からさっきのトンボの様な羽が生えた。そして皮膚がボコボコと動き、さっきのトンボの様な体になりつつあった


「きゃあぁぁ!」


クラスはパニックになり、みんな教室から飛び出していく。私と千佳も逃げようと思ったが、二人とも情けない事に腰が抜けて立てない。さらに悪いことに、さっきの口移しで何か飲まされた勝也も痙攣し始めた。このままでは、勝也もトンボになってしまうかもしれない


「早く……逃げないと!」


なんとか這ってでも逃げようとした私と千佳。しかし、勝也の方はともかく、化物化が終わった奈緒が近づいてくる。先に立ち直った千佳が近くの椅子を持ち上げて奈緒に振り下ろすが、変異した足が蛇の様に長い腹になっており、それを振り払い千佳を弾き飛ばす


「きゃあ、うっ」


さらに運の悪いことに、千佳は机に頭を打ち付けた。見たところ、血は出ていないから気絶しただけだと思う。それを見た奈緒が、ターゲットを私から千佳に変えて近づいていく


「やめて! 正気に戻って!」


その声も空しく、奈緒は仰向けで気絶している千佳に乗ると、腹の先を千佳の口に入れる。まだトンボになったばかりだからか、口を突き刺してはいないが、腹が動いた後に千佳の喉が動いているので何かを飲まされているのは確実だ。恐らく勝也に飲ませたものと同じものだろう


そして、それをどうすることも出来ずに見ていた私に、化物化が終わった勝也が近づいてくる。千佳と違い、腹の真ん中に突起物の様なものがある


「こ、こないで!」


奈緒の時と同様に言葉なんか通じていないらしく、無視して近づいてくる。そして、私の背中に乗ると腹を押し付けてきた


「きゃあ、やめて、やめてよ!」


しかし、勝也の動きが止まることは無く、腹の突起は固く、それによってスカートがたくし上げられる。さらにしつこく突起を押し付けてきて、とうとう下着の隙間から私のお尻に突起が入るのを感じた


「くっ、痛っ!」


痛みに涙が出る。両腕を抑えられているために逃げることも出来ない。そして、座薬の様に異物がお尻に入ってくる。それは小さな卵のようだ


「……先を越されたわね」


顔を上げると、私と同じ中学生くらいの子が見えた。目つきは鋭く、赤いラインの入った黒い制服を着ている。うちの制服は白色なので、他校の制服だろうか


「まあいいわ、邪魔よ」


少女は何も無い空中からショートソードを取り出すと、私の頭の上を横なぎに切り裂いた。そしてドサリと勝也の上半身が地面に横たわる


「おえっ、げほっ」

内臓のはみ出る死体に吐き気を覚える。しかも下半身はまだ私に乗ったままでまだお尻に何かを注入し続けている。少女はさらに近づき、勝也の下半身を蹴り飛ばしてはがす


「うっ」


もう少しやりようがあったのではないかと思うほどには突起の抜けたお尻が痛い


「死にたくなければ飲みなさい。冬虫夏草にいくつかの薬草を混ぜた物よ。臭いはひどいけど効果は保証するわ」


「ぐっ、本当にひどい匂い」


さっきの吐き気がさらに増幅されるような臭いだ。しかし、化物にはなりたくない。鼻をつまんで一気に飲み干す


「おえぇっ、うぅっ」


口の中に一瞬戻ってきたが、根性でもう一度胃の中に送り返す。少女はそれを見届けると、千佳の方を向く


「彼女の方もやばいわね。とりあえず……」


少女がもう一度ショートソードを振り払うより先に奈緒は逃げようと飛ぶ。天井ぎりぎりを飛行しているため、少女の剣では微妙に届かなさそうだ


「……これだから低級は成長速度が異常に早くて嫌なのよ。紅蓮弾」


少女が左手を奈緒に向けて呟くと、手のひらから丸い炎が射出され、奈緒に当たる。羽が燃えて地面に落ちる


「ギィィイ!」


化物になって口の構造が変わったからか、言葉はしゃべれないようで鳴き声の様なものをあげる


「恨むなら……を恨みなさい」


少女は剣で奈緒を頭から真っ二つにすると、勝也と同じく内臓がこぼれる。その見た目と臭いにまた吐き気を覚え、口を抑える


「この子は薬を飲めそうにないわね。ちょっと手荒だけど……」


少女は千佳の側に行くと、右足で千佳の鳩尾を踏みつける。その衝撃に千佳は目が覚めたが、痛みで体を九の字にし口から大量の白い吐しゃ物を吐き出す


「おえぇ、げぇっ」


「千佳に何をするの!」


「早く体内から出さないと間に合わなくなるわ。目が覚めたならこれを飲みなさい」


千佳の口に無理やり私がさっき飲まされた薬を突っ込む。本当に時間が無いのか、本人の意思を確認する暇もないみたいだ


よく見ると、千佳の吐しゃ物がわずかに動いている。白色の液体の中に、肌色の小さな虫がピクピクと動いているのが見える。あれが、勝也や奈緒を化物にした元なのかもしれない


「あっ」


私はトイレに行こうと立ち上がる。さっき飲んだ薬のせいか、お腹がグルグルと鳴っている


「ここでして。教室の外が安全とは限らないわ」


「で、でも、小じゃないし……」


「分かっているわよそれくらい。誰も居ないのに……仕方ないわね、そこのカーテンで目隠ししてあげるわ」


少女はカーテンを剣で斬り、私はその切れ端を受け取って教室のすみに行き、下半身に巻いて生まれて初めて、同性とはいえ、見られながら教室でトイレをするという辱しめを受けた


「ちゃんと出た様ね」


「うぅ、恥ずかしくて死にたい」


少女は私の排泄物を確認した。白い液体の中に千佳が吐いたものと同様に肌色の小さな虫が数匹見える。すべてピクリとも動いていないのは死んでいるからなのだろうか


「おえぇ! はぁっ、はぁっ」


千佳も残りの虫を吐き出したらしく、何度か吐こうとして何も出ずにというのを繰り返していた


「これで一応は大丈夫ね」


少女はそう言って手に持っていたショートソードをフッと消す


「あなた、何者なの? ここはどこ? 何でこんな目に……」


「最初に言う事がソレ? 私は別に助けなくてもよかったんだけど」


「あ、ごめん。助けてくれてありがとうございました」


「……ちゃんとお礼は言えるようね。私は……今はハクとだけ名乗っておくわ。じゃあね」


少女はそう言って剣と同様にフッと姿を消した


「ちょっと待ってよ!」


私は訳も分からないまま放置されることになった

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