第23話何か問題があるの?
カフェを飲みながら麻衣はMIXの仕事について色々と話してくれる。
「誰が聞いても心地が良いと思える曲にするために調整する。言葉にすると簡単なんですが、音と声の音量バランスを取るのにはセンスがいるんです」
音と声を普通に重ねただけだと、どちらか一方が強くて違和感が残るといった現象が起こるらしい。
普通はボーカル、コーラス、ギター、ベースといった音源は別々の場所で収録されるので、バランスがおかしいのは仕方がないそうで、そこを違和感なく調整するのがMIX師として腕の見せ所らしい。時にはエコーみたいな特殊効果も入れて音の完成度を高めるのがお仕事だと、熱烈に語ってくれている。
話を聞いているだけでわかるが、麻衣は知識や経験を高速で蓄積しているようだ。まだ始めたばかりだというのに驚いてしまう。
「様々な音を一つにまとめて最高の音楽を創り上げるMIXは素晴らしい仕事ですが、一つだけどうしようもないことがあるんです」
「何か問題があるの?」
「元音源のクオリティが低いと、ほとんど何も出来ない場合があるんです」
「どういうこと?」
「例えば音程の外れた歌の音源をもらった場合、多少の調整は出来ますが限界があります。ちょっと上手くなったかな? ぐらいにしかクオリティは上げられないんです」
クオリティアップにも限度があって、元の音源次第で上げられるレベルが決まると言いたいのか。例えば100点満点の音源を120にすることは出来ても、10点の音源を120にすることは出来ない。
ノイズの除去だって限界はあるだろう。歌声よりもザーというノイズ音の方が極端に強ければ完全に取り除くのは不可能で、収録し直してもらう必要があるのだ。
そういったMIXではどうにも出来ないことを、麻衣はもどかしいと表現したのだった。
「私の腕が未熟なだけで、もっと上手くなれば解決できるかもしれませんが……」
腕が未熟だからと自分に非があると思っているようだけど、俺は違うんじゃないかと思う。こういった話はMIXだけに限らないのだ。
例えばエンジニアの業界だって似たようなもので、好き勝手に作られたプログラムを安定して動くように、ソースコードを綺麗にしてくれと言われても「一から描き直した方が早いですよ」ってパターンはよくある。要はクオリティアップではなく作り直しの提案だね。
「どんなに腕を磨いてもクオリティを上げる限界はあるからね。MIXについて真剣に向き合うのは良いけど、背負い過ぎちゃダメだよ」
とはいっても、凝り性のようだし悩みすぎてしまうんだろうなとは思っている。適度に気が抜けるように、年上の俺が気を使うべきなのだろう。
「ありがとうございます」
心がこもってなさそうな声で返事をした麻衣を見て、俺の予想が正しいことを確認した。真面目なのは美徳だけど、料金に見合う労力という考え方も重要だ。この場では言わないけど、どこかのタイミングで良い意味で妥協というのを覚え手もらった方が良さそうだった。
せっかく一緒にコーヒーを飲んでいるのに思い空気になってしまったし、このまま仕事に戻って欲しくはない。遊びの提案でもしようかな。
「気分転換にゲームでもしない?」
「どんなゲームですか?」
「レースゲームにしよう。どうかな」
音楽から離れてほしかったので別ジャンルのゲームを提案してみた。
少し悩む素振りを見せた麻衣が口を開く。
「やったことないので、下手かもしれません。それでもいいですか?」
「俺も下手だから丁度良いかも。とりあえず、一回やってみよう」
「わかりました」
テレビとゲームの電源を入れてお互いにコントローラーを持つ。ソファーに並んで座るとゲームを開始した。
先ずはキャラクターの選択画面だ。俺は赤い帽子をかぶった髭親父、麻衣はキノコ頭のキャラクターを選ぶ。細かいことは分からないと言われたので、難易度はノーマルでコースは街中にと勝手に決めていく。
「始めるよ」
「はい」
決定ボタンを押すと準備画面が出てスタートした。スタートダッシュで出遅れた俺は麻衣を追いかけようと、相手側の画面を見る。
「え、え、なんで!?」
キノコ頭はコースを逆走していた。
「下じゃなく上を押して」
俺は自分のコントローラーを投げ捨てると、麻衣の手を触りながら一緒に操作する。
「あ、そこ右!」
「お義兄さんスピード出しすぎですッ!」
何故か麻衣がハンドルを俺がアクセルやジャンプといったアクションを担当しながら、キノコ頭がコースを走っている。赤帽子の髭親父は放置したままだ。
「麻衣ちゃん、ドリフト!」
「はい!」
麻衣がキノコ頭を右に傾けた瞬間にジャンプボタンを押す。着地と同時にスピードを落とさずにコーナーを回った。ドリフトの成功だ。
お互いに声をかけながら一つのキャラクターを一緒に操作するという、謎のプレイをしていた。
「アイテム使うよ!」
「お義兄さん、もっとスピードを出してください!」
「下のコースに行って欲しい!」
レースは終盤になってアイテムを使った妨害が激しくなる。一位だった敵が最下位になることもあって、俺たちは三位まで上り詰めていた。一位と二位の背中も見えている。最初に逆走したことを考えればかなりよい結果を出しているだろう。車の性能はこっちの方が高いらしく、じりじりと差を詰めている。
「最後のアイテムを使うよ」
「はい!」
最後にスピードを上げるブーストアイテムを使って前にいた二台をぶち抜き一位になった。ゴールは目の前だ。そう思った瞬間、画面が点滅してキノコ頭がクルクルとスピンしてしまう。完全に停止してしまった。
「ああ……」
「早く立て直さないと!」
と、俺が言ってもキノコ頭は動かない。ノロノロと走り出すが、その間に後続が一台、二台と通り過ぎていく。最下位にはならなかったが、キノコ頭がようやく走り出したころには大きく順位を下げていた。
無事にゴールすると俺たちはコントローラーを手放してソファーに寄りかかる。
力尽きた麻衣が俺を見た。
「負けちゃいました」
「うん。最後の妨害アイテムは悔しかったね」
「悔しかったです」
さっきまであった思い雰囲気はない。お互いに謎プレイをしたことで笑いあっていた。
「変なプレイをしちゃいましたね」
「だね。次は自分のキャラで走るよ」
操作方法を再確認してから同じゲームで何度も遊んでいく。全て俺の圧勝だ。麻衣は負けず嫌いのようで俺に勝つまで続けると言って何度も挑戦してきた。当然、手を抜くことなんてしない。
たまに負けることもあったけどトータルは俺の勝利が多く、夕方になるまでゲームは続き、日曜日はあっという間に終わってしまった。
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