第19話きにしゅないでくだしゃい

 マダムたちはレイチェルを囲んで盛り上がっているが、あの中に突っ込むつもりはない。明日香さんの近くにいると、からかわれてしまうので、麻衣を連れて部屋の端に移動して時間が来るのを待つことにした。


「お義兄さん」


 隣にいる麻衣の顔を見る。不安そうな表情を浮かべていて、目が潤んでいるように見える。小さい子供のように情緒が不安定な、そんな雰囲気をまとっていいるので、なるべく優しい声を出すように意識をして返事をする。


「どうしたんだい?」


 すぐに次の言葉が来ると思ったが、麻衣は俺を見つめるだけだった。言葉にするのをためらっているのか、小さく口を動かしては止まったりを繰り返している。ここで焦らせるようなことを言ってしまえば、黙ってしまうだろう。


 一分ほど辛抱強く待っていると、意を決したのかようやく口を開いてくれた。


「レイチェルさんと付き合いたいんですか?」


 意外なことを聞かれて一瞬だけ思考が止まる。女子高校生と成人済みの男性では、そもそも思考回路が異なるので当然なのではあるが、言葉の裏に隠した麻衣の気持ちが分からない。


 俺に恋人が出来たら二人の暮らしが終わってしまうのではないか、そんな不安があるのだろうか?


 考えても正解に辿り着けないので、ストレートに答えることにする。


「今は誰かと付き合うつもりはないよ」

「そうなんですね」


 複雑そうな顔をしていた。ほっとしたような、でも残念、といった感情が含まれていそうだ。やはり何か懸念を感じていたようではある。


 俺の推測があっているか分からないが、今の暮らしを変えるつもりがないことは意思表明してもいいだろう。


 顔を麻衣の耳元にまで近づける。


「麻衣が大人になるまでは一緒にいるよ」


 誰かに聞かれたら恥ずかしいので小さな声で言った。


 何故か、麻衣は顔を真っ赤にすると腰を抜かしたようにペタリと床に座ってしまう。


「だ、大丈夫か?」


 慌ててしゃがむと顔色を見る。少し赤いが問題はなさそうだ。おでこに手をあててみるが熱はなさそうである。


「貧血か? それとも気分が悪い?」

「きにしゅないでくだしゃい」


 呂律が回っていない。明らかにおかしい状態なのに手を前に出して俺から離れようとする。さすがに義兄として放置は出来ないので強引に顔を近づける。


「麻衣、人に聞かれたくない話なら小さな声で言ってくれ」


 囁くように言うと、ついに麻衣は目をグルグルと回して倒れてしまった。


「もうダメ、イきそう……」

「いやいや、逝ったらダメだろ! 頑張って生きるんだ!」


 体を抱きかかえると、明日香さんに助けを求めるのだった。


◇ ◇ ◇


 体調不良で倒れた麻衣だったけど、ソファーで横になったらすぐに回復したようで、大事にはならなかった。本来の目的である料理教室は数分遅れて開始することとなる。


 先生の明日香さんは生徒が全員見える位置で、今回作るエビチリについてレシピやエビの下準備について説明をしている。殻をむいた後に背わたを抜きましょうなど、丁寧に話してくれるので、素人の俺でも分かりやすい。麻衣と一緒に見よう見まねで進めていく。


 レイチェルはサポート役のようで、席を巡回しながら戸惑っている人がいたらやり方を説明するといったことをしている。勢いだけで生きているような彼女が、エビの殻をむいていく姿は新鮮だった。


「あ、切れちゃいました」


 爪楊枝でエビの黒い紐みたいな背わたを取っていた麻衣が、残念そうな顔をしながら言った。


 一気に取れると気持ちがいいんだけど、途中で切れてしまうと残った部分が取りにくいので大変なのだ。爪楊枝でエビの肉を何度も突き刺しながら残っていた背わたを取っていく。麻衣は細かいこともキッチリやりたいタイプなのだろう。柚さんなら、ちょっとぐらいいいかとか言って断念しそうだな。


 俺も麻衣に負けじとエビの下処理を進めていると、席を巡回しているレイチェルが来た。


「へ~。ちゃんとやってるじゃない!」

「美味しい料理を作りたいんだから、当たり前だろ」

「その当たり前が出来ない人もいるんだよ」


 お金を払って料理教室に通っているのに、手を抜くヤツがいるのか? なんて無駄なことをしているんだ。もったいない。


「麻衣ちゃんは、背わた取るのが苦手かな? コツがあるから教えてあげる」


 真面目に先生役をしているようで、俺との会話をすぐに切り上げると麻衣の隣に立った。エビを一つ手に取ると丸めて殻の隙間から爪楊枝で背わたの一部を取り出す。爪楊枝をくるっと回して背わたを巻き付けてから引き抜くと、途中で切れることなく処理が終わってしまった。


「すごいです……」


 プロの技を見て、麻衣だけでなく俺も驚いてしまう。


「麻衣ちゃんもすぐにできるようになるから、一緒にやろ!」

「……はい!」


 少しためらいがあったものの、麻衣は返事をするとレイチェルにエビの背わたを取るコツを教えてもらい始めた。俺は隣でこっそり聞きながら挑戦する。


 ボールに入ったエビと手に取ると、次々と背わただけを取っていく。


「こうですか?」

「そうそう、スーッと引くような感じで」


 レイチェルの指導が良いのか、数をこなすごとに麻衣の動きが良くなる。元彼女と出会うというハプニングはあったが、料理教室に参加して良かったと思える光景であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る