バイバイ、ミス・アメリカンパイ
鰐人
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目が覚めたら、世界の終わりを願う。
それが僕の日課だった。
地震が全てを崩してしまいますように。
隕石が地球をぶっ壊してくれますように。
ミサイルがこの国を焼き尽くしますように。
殺人的な伝染病が世界中に流行りますように。
大怪獣が何もかもを薙ぎ払ってくれますように。
こんなことを考え始めたのはいつだったかな。
手を変え品を変え、僕はいろんな終わり方を願ってきた。
最近ではもうすっかりネタが尽きてしまって、
とっくにあらゆる世界の終わりを願ったように思ってたんだ。
だけど衝撃の急展開はいつだって、
想像力の外側からやってくる。
僕はちっとも予想していなかったんだよ。
まさかこんな風に、本当に世界が終わってしまうなんて。
***
真っ暗なスーパーの中で、僕は舌打ちをした。
懐中電灯に照らされた陳列棚はがらんどうだ。
ちょっと前まではそれなりの数があったはずの食料。
レトルトもシリアルもカップ麺も、
全部、すっかり失くなっていた。
ちくしょう。
油断していた。
最近ではもう人っ子一人見かけないんもんだから、
僕以外の人間はとっくに
飛んで行ったんだと思い込んでしまっていた。
僕は棚を蹴る。
思っていたより大きな音がして、
その音に僕はびくりとなる。
驚いてしまった自分に腹が経ち、
もう一度、さっきよりも強く棚を蹴る。
けたたましい音が、静かな店内に響き渡る。
一通り売り場を回る。
取り残された野菜や果物は黒くなり、
甘いような酸っぱいような得も言われぬ臭いを放っていて、、
僕は吐きそうになる。
一度も入ったことのない、店の裏側に忍び込んでみる。
幸いドアにカギはかかっていない。
バックヤードには段ボールがいくつも転がっている。
机に置いてあったカッターナイフを手に取って、
手あたり次第箱を開ける。
文房具、洗剤、電気用品。
今となっては無用の長物ばかりが見つかる。
かろうじて食料と呼べそうなものは
チューブに詰まった調味料ばかり。
おろししょうがを手に取って、それから放り投げる。
さすがにこれをそのまま啜るのはごめんだ。
外へ出る。
出口の横に立てかけておいた、
自分のクロスバイクにまたがる。
人気のない冬の街は、信じられないくらい冷え切っている。
吐く息は白く、手袋ごしでも手がかじかんで、
僕は思わず身震いする。
ペダルを思い切り踏みつけて、加速する。
車一台通らない道路の上にちらほらと、
大きな白い羽根が土にまみれて落ちていて、
僕はわざとそいつらを轢くように走る。
みんなもう、どっかに飛んで行ってしまった。
白い羽を生やして。
まるで天使みたいになって。
***
この天使化現象ってやつがいったいなんなのか。
残念ながら僕はひとつも分かっちゃいない。
「欧州の男性、突然天使になる」
そんなバカげた題名の記事がネットニュースの片隅に載って、
なんだこりゃ、新興宗教の宣伝でもやってんのかと鼻で笑っていたら、
実際に天使化する人の動画がSNSにアップされ、
ワイドショーでも放映され、
そしたら日本でもぽつぽつ天使化する人が現れて、
日々増える天使化数をテレビでぼんやり眺めているうちに
天使化現象は人々の間にあれよあれよと広がって、
街を歩けば翼を生やしている真っ最中の人の姿を拝めるようにさえなった。
真面目な高校生だったもんだから、
そんな最中でも僕はしばらく学校に通っていた。
クラスメイトが両手で数えられるくらいになって、
教師もほとんど現れなくなった頃になって、
僕はようやく外に出るのを止めた。
店員のいない本屋から手あたり次第に漫画をかっぱらって、
自室に引きこもって、僕は漫画をひたすら読んだ。
親が飯だと呼ぶとき以外、ほとんど部屋の外にも出なくなった。
そんな生活は長くは続かず、ある日突然電気もつかなくなって、
しかたなく部屋から出てリビングへ向かうと、
背中から白い羽を生やした両親と目が合った。
二人の頭上には蛍光灯みたいな白い輪っかが、
まるで手品みたいにぼんやり浮かんでいた。
父親も母親も、まるでその辺に転がっている石ころでも
眺めるかのような視線で僕を見てから、
ベランダに出て、空へと飛び立って、
やがて遠く離れて、小さくなって見えなくなった。
両親は二人とも口数が少なく、
思い出せる限り、温かな家族団らんってものを味わった記憶は僕にはなくて、
夫婦仲は険悪なのだとすら思っていた。
だけど、二人同時に天使になって飛んでったところを見ると、
意外にも両親の間には何かが残されていたらしい。
愛だか絆だか、なんかまあそういう何かが。
天使になった人たちはどこかへと姿を消す。
大勢の人が天使になった今でも、
天使が空を飛ぶ姿はほとんど見つからない。
どこか遠くの場所でひとかたまりになっているのか、
それとも空の向こう側に消えてしまっているのか。
僕には分からない。
ともかく、両親と会うことはもうないのだろう。
小さくなっていく両親の背中を見ながら、僕はそう思った。
それから漫画を百冊単位で読みきるくらいの時間が過ぎたが、
僕はまだこうして取り残されている。
天使にならず、地に足のついたまま。
なぜだか。
***
ペダルを回しながら、
ちくしょう、と僕は何度も小さくつぶやいた。
目につく限りのコンビニにもスーパーにも、
缶詰一つ残っちゃいない。
別にいつ死んだって構やしないけど、
餓死なんて苦しそうな死に方はごめんだ。
朝から夕方まで半日食っていないだけで
もう既に腹が締め付けられるように苦しい。
自宅のカップ麺はもうすべて食べ尽くしてしまっていた。
残されているのは栄養補助食品が何箱かだけ。
いくらカロリーとお友達だって、あれっぽちじゃ数日もたない。
舌打ちを繰り返しながら、
やみくもに道を駆け抜けていたその時だった。
不意に、音が聞こえた。
ゆっくりとブレーキをかけ、僕は自転車を止めた。
いったい何が聞こえたのかと首をかしげ、
音の正体を探ろうと息をひそめた。
微かな歌声と、ギターの音色。
人の気配を感じたのは久しぶりだったから、
僕はなんとなく、吸い寄せられるように、
音の聴こえる方向へと自転車をこぎ進め始めた。
人に会いたいなんて思っていなかったはずなのに、
いったいなんでなんだろうな。
この街に誰もいなくなってすっかり静かになって、
僕はせいせいしたと思っていたんだけどな。
それともやっぱり、誰とも会わずにしばらく過ごすうちに、
心のどっかではちょっとは寂しく思い始めていたのかな。
いくつかの交差点を通り過ぎて、
僕はほどなくその場所に辿り着いた。
そこには一人の女性がいた。
彼女は、交差点の角に座り込んで、
歪んだガードレールにもたれて、ギターを弾いて歌っていた。
歳は多分、僕よりは少し上。
小柄な体格のせいか、抱えたギターはやけに大きく見えた。
歪なガードレールのそばには交通事故を知らせる看板があって、
傍らに立っていた瓶にはすっかり枯れ果てた花が差さっていた。
その花にでも捧げるように、彼女は歌っていた。
僕が耳にしたことのない、英語か何かの歌だった。
彼女が歌うその姿は、一見するだけじゃあ
なんとも絵になりそうな綺麗な光景だった
一見はね。
実際のところそこにいた僕は、
思わず吹き出して笑ってしまった。
なんでかって?
彼女のギターも歌も、
ちょっと冗談みたいに下手くそだったからさ。
ギターの音色は途切れ途切れ、怪しい音がすぐ混入して、
歌の音程はすぐどっかに飛んで行ってしまいそうで、
まるでなんだか、死にかけた野良犬のうめき声みたいな演奏だった。
僕はクロスバイクを停めた。
女性は僕のことは意に介さず、
その音楽と呼べるのか怪しい歌を歌い続けた。
僕はそれを、ぼんやり突っ立って聴いていた。
ややしてから、彼女は唐突に演奏を止めた。
いや、本当は唐突なんかじゃなくて、
ちゃんと最後まで歌いきっていたのかもしれない。
僕には曲の展開がさっぱり掴めていなかったってだけでさ。
「ムズいなあ」
そんなことを呟いて、彼女はピックを投げ捨てた。
ポイ捨てだ。環境破壊だ。
それから顔を上げて、いま初めて僕の存在に気付いたような、そんな顔をした。
「何か用かい?」と、彼女は僕に尋ねた。
「路上ライブに感動でもしてくれたのかな」
そんなわけないだろ、と僕は思った。
思うだけじゃなく言おうとして、
久しぶりの声は喉から外に出ていかず、
僕は顔を背けて大きく咳払いした。
「どうしたの?」と彼女は言った。
「ファンじゃなければ、強盗か何かかな」
「……強盗」
その言葉を僕は小さく繰り返した。
繰り返してから、それもいいと考えた。
僕は明日食うものにも困っていて、
目の前にはか弱い女性だ。
持たざる者が得るためにはどうすればいいか?
一番シンプルな答えはもちろん、奪うことだ。
「そうだ、強盗だ」
「あ、本当に強盗だったんだ」
彼女は目を丸くして僕を見た。
そういえば刃物を持っていたな、と思い出して、
僕はショルダーバックからカッターを取り出し、
刃を出して彼女に突きつけた。
「歯向かうなら、えー、刺し殺すぞ」
脅迫に慣れていないこと丸出しのぎこちなさだった。
彼女は愉快そうに口に手を当てて、クスクス笑い出した。
「なんというか、まあ下策だね」
笑いながら彼女は言った。
「このご時世に、刺すだの殺すだのなんてさ」
僕は黙ったまま、険しい顔をなんとか保っていた。
正直なところ、この次にどんな行動をとるのが正解なのか、
僕にはさっぱりわかっていなかった。
彼女はそんな僕の顔を真っすぐ見つめて、ふうとため息をついてから、
傍らに置いてあったケースに、
ギターと楽譜らしき紙を収納し始めた。
「高いよ? せっかくのゲリラライブを中断させた代償は」
立ち上がってケースを背負い、彼女は歩き始めた。
「おい」慌てて僕は声をかけた。
「勝手に動くなよ」
「いいからついておいで。
食料でいいんでしょ、分けたげるから」
彼女はゆっくりと歩いた。
僕は自転車を押してその後に続いた。
二人分の足音と自転車の車輪が回る音が、
夕暮れの無人の街に、やけに大きく響いた。
沈黙に耐えかねて、僕は話しかけた。
「なあ」
「なにかね」と、彼女は前を向いたまま答えた。
「さっきの曲って、何?」
「“American Pie”って曲。
誰の歌だったかな、忘れたけど」
彼女はもう一度、サビらしき部分を歌った。
英語は苦手だったけれど、
冒頭の歌詞だけははっきり聞き取れた。
“バイバイ、ミス・アメリカンパイ”
調子っぱずれなギターがない方が、
その歌声は幾分か聞けたものになった。
「どういう意味の曲」
「知らない、私も特別に好きなわけじゃないから」
「……なんだそれ」
彼女は振り返り、僕の手元を見て、にやりと笑いながら言った。
「カッターは? 脅さなくていいの?」
うるさいな、と僕は吐き捨てた。
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