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十数分ほど歩き、暗くなる前に到着したのは似たような家が建ちならぶ住宅街で、
目的地はその中にある、こじんまりとした三階建ての一軒家だった。
一階部分はほとんどをガレージが占めていた。
車のない、がらんどうのガレージを抜けて玄関に向かう。
自転車はその辺に適当に立てかけておいて、と彼女は言い、
僕はその指示に従った。
家の中に入り、細い階段を上がって2階の扉を開けた。
扉の先はリビングで、窓際には太陽光発電のパネルが並べられており、
傍らにはバカでかいバッテリーみたいなのがたくさん鎮座していた。
その無骨な光景に僕は面食らって、すげえ、と呟いた。
「ホームセンターとかでかき集めたんだよ。
サバイバル上の課題の多くは、電気があれば解決する。
こっちに居残りしてる間もできれば快適に過ごしたいじゃない?」
ギターを適当に床に転がして、彼女は僕の方を見た。
「お腹減ってるんだよね。なんか作ろうか?」
「うん」
「じゃあ適当にくつろいでて。ソファとかで。
電気もったいないからテレビは付けないでよ」
「……どうせなにも放映されてないだろ」
キッチンに向かった彼女を居心地悪く待つ間、
僕はリビングをあちこち見回していた。
もともとなのか、天使化現象の結果なのかは分からないが、
無骨な生活インフラ以外にものは少なく、やけに生活感が薄く見えた。
「他に、だれか住んでるのか?」と僕は大声で聞いた。
「父さんも母さんも割と早めに天使になったよ」と大声が返ってきた。
「弟もいたけど、もういなくなった。
今は私一人だよ、君にとって都合の良いことにね」
調理にそう時間はかからず、僕が待ちくたびれる前に彼女は料理を完成させた。
ダイニングテーブルに配膳されたのはシンプルな山盛りの牛丼で、
呼ばれて席に着くや否や、僕は一も二もなくがっついた。
彼女は向いに座った。
「肉なんて久しぶり、って顔をしてるね」と、
少なく盛られた自分のごはんを行儀よく食べながら、彼女は言った。
飯を掻き込みながら僕は頷いた。
「たまねぎは常温で保存がきくし、肉は細切れをバッテリーつないだ冷凍庫に突っ込んでる。
急ぎだったから米はレトルトだけど、電気があればまあいくらでも炊けるしね。
他にもいろいろ、しばらく食っていける程度には保管している」
君は今まで何を食べてたの、と彼女は尋ねた。
カップ麺ばっか、と僕は答えた。
栄養偏るよ、と彼女は笑いながら言った。
今となっては栄養バランスなんてどうでもいいかもしれないけどね、とも。
フードファイターもかくやというスピードで飯を平らげて
膨れた腹をさする僕に向かい、
さて、と彼女は言った。
「私は君の願いを叶え、ご飯を施した。
したがって、次は君が対価を払う番だね、強盗君」
そういえば僕は強盗を名乗っていたな。
改めて呼ばれるまで、すっかり忘れていたけど。
「そんなこと言われても。
俺、強盗だし。払う義理なんてないだろ」
「なにを言うんだ今更。
素直についてきておとなしく飯まで食った分際で、
まだ強盗の立場を貫くつもりかい」
「……対価ったって、お金はたいして持ってないぞ」
「要らないよお金なんて、そんな無用の長物」
にやにやと彼女は笑った。
「君には身体で対価を払ってもらおう」
「身体で、というと」
僕はごくりと唾を飲んだ。
「エロい意味ですか」
「エロい意味じゃないよ」
「エロい意味じゃないんスか」
「エロい意味にしとくかい?
覚悟しなよ」
「エロい意味じゃなくていいです」
「へっ、このチキン童貞野郎め」
「決めつけるなよ」
まあ実際童貞だけどさ。
「さて、わかりやすい取引を提示しよう」
彼女はどこからか一枚の紙を取り出して、僕に手渡した。
「私は君に食事を提供する。
君は私の活動を補佐する。
以上の単純なギブ&テイクです」
僕は紙を覗き込んだ。
その上部には丸っこい文字で大きく「やりたいことリスト」と書いてあり、
下には箇条書きでいろんな項目が並べ立てられていた。
例えばこんな風に。
・フォアグラを飽きるまで食べる
・めっちゃいいワインを飲んでみる
・Stand By Meごっこ
・ゲリラライブ
・オーロラを見に行く
・カビパラとペンギンを飼う
・動物たちの解放
・図書館でめちゃくちゃ叫ぶ
・明け方の海で花火をする
・ブランド店でファッションショー
・ボドゲカフェのボドゲ全部やる
こんな感じの項目が、延々続く。
一部の項目には取り消し線が引かれており、
例えばゲリラライブなんかが消されているところをみると、
その線は実施済みであることを意味しているのかもしれなかった。
「なんつーか」と僕は言った。「俗っぽい」
俗で何が悪い、と彼女は憤った。
「人を駆動するのはいつだって欲望だ。
技術も、文化も、経済も。
全部欲望によって発展してきたんだぞ」
「技術も文化も経済も、全部なくなったけど」
「それでも多くのモノがこの世界には残されている。
私には地上でやりたいことがまだまだ沢山あるんだよ。
だから、私は天使にはならないんだろうな」
「どういう理屈だよ」
「単純な理屈だよ。
ねえ、人が何で空を飛べないのか、君は知ってるかい?」
はあ、と僕は眉を顰めた。
「……翼がないから、じゃないスか」
僕の回答に対して、「それは違うね」と、
チチチと指を振りながら偉そうな顔で彼女は言い、
僕は少しイラっとする。
「人が空を飛べないのは、自分が飛べないと知っているからだ。
翻せば、自分が飛べると確信してしまえば、
人は空を飛べるようになるのさ」
「意味がわからない」と僕は正直に言った。
「それが天使化現象の正体だって?
空を飛べると確信して、空を飛ぼうとすることが?」
「さあ、わかんないけどね。そうなんじゃないかな。
きっと人類みんなして、もう次の段階に進んでいい時が来た、
もう地べたに張り付いている必要なんてない、
そんな風に気付いちゃったんだよ。
だから、みんな天使になってどっか飛んで行った。
飛ぼうとしないひねくれ者とか、
飛び方がわからない愚か者とかを除いて、ね」
僕は顔をしかめる。
その理屈に従えば、この人はひねくれゆえに地上に残ってて、
僕は愚かさゆえに地上に置き去りにされているってことか?
まったくもって笑えない話だ。
「人がやがて人ならざるものに進化するなんて、
SFじゃあ定石の展開でしょ?
それが思った以上に唐突で急速だったってだけだよ」
「……よく知らないけど」
SFどころか、小説自体僕はあまり読まないから。
「読みなよ。クラークとかおもしろいよ。
貸そうか?」
「小説には別に興味ないから」
「何になら興味あるの?」
「…………さあね」
そういうわけで、と言いながら彼女は僕の手元の紙を取り返す。
「私には残されたミッションが山ほどあるから、手伝いなさい。
なんか日々が充実してなさそうな鬱屈したツラをしているし、
君はどうせ暇なんでしょう」
「ほっといてくれよ」
「じゃあなにかやりたいことがあるのかい?」
「……別にないけど」
「じゃ、明日の早朝、またこの家に来なさい。
それか、別に泊っていってもいいよ?」
女の人と同じ家に泊まるという思ってもみない展開に、
僕は少しドキリとしてしまうが、
仏頂面を保って、平静を装って答える。
「……いや、良い。自分の家で寝る」
「あらそう」
彼女はにやりとする。
「じゃ、そろそろお帰りなさいな。
もうすっかり暗くなったしね。
不慮の事故にあうかもしれないし」
「人がほとんどいないのに、どうやって事故にあうんだよ」
「それでも気を付けなさい。
事故はいつかどこかで必ず起きるものだよ?」
帰ろうとする僕を、彼女は玄関まで見送った。
「そういえば、なんて呼べばいい?」と彼女が言った。
「君のこと。強盗君じゃあないんでしょう」
「なんでもいいよ」と僕は言う。
「名前なんて必要ないでしょ、
どうせ人なんてほとんどいないんだから」
「なんでもいいってのも困るなあ」
彼女は手を顎に乗せ、考え込むポーズをとる。
「じゃあ、"少年"とかでいっか」
「別にそれでいい」
「じゃあ私のことも好きなように呼びなさい。
先輩とでも、先生とでも、お姉ちゃんとでも、何でも好きなように」
「……お姉ちゃんだけは、なんか、御免だな」
「遠慮しなくていいのに」
「遠慮とかじゃねえよ」
気色悪いと思う。
知り合って間もないのにお姉ちゃんとか呼びだす関係。
外に出て、壁に立てかけていたロードバイクを反転させる。
「なあ少年」と、彼女が僕に話しかける。
「思うにね、私たちは幽霊なんだよ」
「幽霊?」僕は聞き返した。
「そう。未練がましく現世にしがみついているわけ。
成仏できない幽霊みたいにね」
少年、君の未練はいったい何なのかなあ、と彼女は僕に尋ねる。
別に何も、と言い残して僕は自転車を漕ぎだす。
言葉の通りだ。僕には何もない。
やりたいことも、やり残したことも、なにも。
街灯も付かない真っ暗な夜道の中を、
僕は走る。
***
次の日。
早朝に訪れた僕を、彼女は玄関の前で出迎えた。
「それを飲んだら出かけよう」
彼女はカバンから水筒を取り出し、中身を蓋に注いで差し出した。
湯気の立つコーンスープ。
僕はありがたくそれを口に含む。
久しぶりに飲むコーンスープはいやに甘ったるい味がした。
「それで、今日は何をしに行くんだ?」
「自由の使者となる」
「はあ?」
「隷属された者たちを解放するのさ」
「あんたはリンカーンですか」
「私はリンカーンではないけれど、後世は私を偉大な解放者として
リンカーンより先に挙げることになるだろう」
「僕たちに続く後世なんてもうないけどね」
「そういうわけで、目的地はここから自転車でしばらく。
動物園です。出発!」
「どういうわけ?」
威勢よく発進した彼女の自転車はオンボロのママチャリで、
それはまるで老人の散歩みたいなスピードで、
僕は何度もうっかり置いて行ってしまいそうになった。
速すぎるよ、と後ろから声が聞こえる度に、
あんたが遅いんだよ、返しながらブレーキを握る。
「自転車は疲れるなあ」
隣に追いついてきた彼女が、
息を切らして僕に言う。
「じゃあ車でも出せば良いじゃないスか」
「私、無免許なんだよ」
「いまさらそれを気にするのかよ」
「確かに法律なんて関係ないけどね。
でも初めてで上手に運転できる自信はないし、
もし事故っても診てくれるお医者さんがいない。
致命的だよ?」
「速度出さなきゃ大丈夫だろ」
「やなものはやなの!」
年甲斐もなく彼女は口をとがらせる。
いや、何歳なのか、実際には知らないけれど。
「ねえ、君は好きなの? 自転車」
「いや……」僕は口ごもる。
「別に、そこまで」
「良さそうなやつに乗ってるのに」
「大したものじゃない。
ロードじゃなくてお手頃のクロスだし。
高校入学祝いに親から貰って、
まあ気に入ってはいたけど」
僕は頭を掻く。
「別に、所詮は自転車だし。
行けるところまでしか行けない」
「行けるところまで行けるのは、結構すごいことだけどね」と彼女は言う。
「どこか行きたいところはないの?」
「特に」
「そればかりだなあ少年は」
彼女は不満げな顔でこちらを向く。
ふらふらと危なっかしいから前を見て運転してほしい。
「別にない、特にないとナイナイ尽くし。めちゃイケか?」
「古くない?」
「夢でも妄想でも、行けそうにないとこだっていいからさ。
気になってた場所が一つくらいはないの?」
そういわれてもなあ、と僕は頭を掻きむしる。
かなり長い沈黙を経てから、そういえば、と僕は思い出す。
「隣の家の玄関に看板が立ててあってさ、
大きな矢印と、Los Angelsって文字」
「ロサンゼルス」と彼女は僕の言葉を繰り返す。
「親が、これはアメリカの街だって教えてくれて。
小さいころは、矢印に沿ってずっと進んでいけば、
いつかはロサンゼルスに辿り着くんだって本気で信じてたな」
「とても良いエピソードじゃん」彼女は満面の笑みを浮かべる。
「行ってみればいいじゃないか。
いつかはロサンゼルスに辿り着くかもしれないよ?
なんてったって、地球は丸いんだからさ」
行けるわけないだろ、と僕は言う。
そういう雑談を経て、数十分。
長いサイクリングの果てに僕らは動物園にたどり着く。
エントランスを潜り抜ける。
当然のように人は誰もおらず、中は真夜中みたいに静まりかえっている。
だだっ広い道を進んだ先にはやたらとでかい看板が、
土埃にまみれて立っている。
「ここからが本番だ。
少年、何をすべきかわかるね?」彼女は言う。
「動物をここから逃がすとか言い出すわけ?」
「その通り。
狭い世界に囚われし者たちを解き放つのだ!」
「危なくない? 肉食獣とかいるのに?」
「そこはほら、動物たちもくみ取ってくれるさ、
私たちの愛を」
「愛が食欲に勝つといいですね」
くだらない話をしながら歩を進める。
靴とアスファルトのこすれる音が静かな園内に響く。
「なんか、変だな」
「なにが」彼女の言葉に僕は尋ねる。
「静かすぎる」と彼女は答える。
「気配がない」
違和感の理由はすぐに判明する。
何もいない。
どの檻にも、どの広場にも、どの水槽にも、何も。
「先を越されたってとこかな」と彼女は言う。
「つまり」僕は言う。
「飼育員か誰かが、とっくに動物たちを逃がした?」
「かもね」彼女は頷く。
「あるいは、動物たちも羽生やしてどっか飛んで行ったとか」
「僕たちは動物たちより進化が遅れてるってわけかよ」
空っぽの猿山を、僕は眺めてみる。
その狭い敷地の中で、それなりに幸福に暮らしていたはずの猿は、
一匹たりとも見当たない。
まったく、分からなくなってくるね。
どっちが檻の内側で、どっちが檻の外側なのか。
囚われているのは誰なのか。
「しかたない、今日は撤退しよう」
彼女は大きく伸びをして、両手を頭の後ろで組んで、
諦めたように言う。
「だーれもなんにもいないんじゃ、何もできない」
「リンカーンになり損ねたな」
「大丈夫。
私は昔リンゴの木を折ったことを
父親に正直に話した過去があるから、
もう既にリンカーンなのさ」
「それ多分ジョージ・ワシントンのエピソード」
「したり顔で間違えた! 恥ずかしい!
穴があったら入りたい!」
「あのミーアキャットの檻、
穴がたくさん掘られてるよ」
「いくら私が小柄でもミーア穴には入れないな」
入口まで戻る。
自転車のハンドルに手をかける。
「さあて、ここからが本番だ」と大仰に彼女が言う。
「何が」と僕は短く返す。
「あの動物園にいた大型の動物。
ライオン、アムールトラ、スリランカゾウ、カバ、アミメキリンなどなど」
「うん」
「今から私たちは、こいつらが闊歩しているかもしれない街並みを行くわけだ。
果たして生き残れるかな?」
「どういうサバイバルゲームだよ」
「楽しいね」
「楽しくねえよ」
「楽しもうぜ」
「楽しんでられねえよ」
高らかに笑いながら彼女は自転車をこぎ始める。
全力の立ち漕ぎ。
実に、楽しそうに。
「なあ、少年」
その後ろをおっかなびっくりついていく僕に、
彼女は振り返って、満面の笑みでこう尋ねる。
「明日は、何をしようか。
希望はあるかい?」
「別に」
「探しておきなさい」
彼女はそう言った。
「やりたいことを見つけるのが、
君の宿題だ」
***
で、次の日からも彼女に連れ回される日々が続くわけだ。
一日一日を挙げていったらきりがない。
代表的なものにしぼっていこう。
〇夜の学校で肝試し
「…………」
「…………」
「あれだね、人いなくて静かなのが最早通常だから」
「全然怖くなんかないスね」
「夜のプールで泳ぐ方に切り替えるか」
「冬だぞ」
〇図書館の書庫に忍び込んでみる
「暗くて埃っぽくて全然見えない」
「いやすごいな少年、これ全部本だぞ。
読み切るのにどれくらいかかるかな」
「一生はかかるんじゃないスか」
「全部読んだら、地上最後の知の巨人になれるな」
「全部覚えて理解出来ればの話だけどね」
「そうだね、良く考えたら読まずとも、
私はすでに知の巨人たるな」
「たらねぇたらねぇ」
「じゃ、本は全部燃やそう。あと学者も埋めよう」
「唐突な焚書坑儒やめろ」
〇試乗車を遠慮なく乗り比べまくる
「すげえ少年、シートの座り心地超良いぞ!
助手席乗ってみなって!
さすがは超高級車、レクサス!!」
「レクサスって高いんだっけ」
「たぶん」
「どのレクサスが一番いいんですか」
「知らない」
「ほんとにそれ超高級車?」
「まあレクサスなんだしいい車でしょ」
「でも結局走らせないんだよな」
「怖いもん」
〇明け方の海で花火をする
「寒い! 風強え! 花火どころじゃねえ!
冬の海を舐めるな!」
「まあ落ち着け少年、直に焚火ができるから」
「そう言ってからもう数十分経ってんだよ!」
「いやあ、火を着けるのって、意外と技術がいるもんなんだね」
「とっとと出直しましょう!?」
〇交差点でゲリラライブ
「これもうやったろ、しかも同じ場所で」
「良い音楽は何回演っても良いものさ」
「あんたの演奏は音楽に達してないんだよな」
「うるさいな、いいから君も楽器を準備なさい。
通りの向こうにHARD OFFあるから」
「新品じゃないのかよ、妙にみみっちいな」
言われたとおり向かったHARD OFFの楽器コーナーで、
ひとしきりギターやベースを触ってみて、
こりゃ素人がいきなり演奏するのは無理だと諦めて、
フィーリングだけでどうにかなりそうな打楽器を僕は選択した。
ボンゴとカホンを抱えて交差点に戻ると、
彼女はもうすでに準備を終えていて、
以前も聴いたことのあるあの曲を弾き始めていた。
演奏は少しだけ上手くなっていて、
サビの部分はしっかり弾き語れるようになっていた。
静かな街に、少し音の外れた歌声が響く。
“This'll be the day that I die
This'll be the day that I die”
何度か聞いたからか、
その歌詞は聞き取れるようになっていた。
そして、なんとなく意味も。
“今日が僕の死ぬ日になるだろう”
「向こうの世界にも、音楽ってあるのかな」
思い付いた疑問をポツリと僕は呟く。
「どうだろう」
演奏の手を止めて、彼女は答える。
「CDと一緒に置き去りにされたのかもね」
「だとしたら、向こうの世界は随分と無味乾燥だろうな」
「なんなら小説も映画も、娯楽作品は全部持っていき忘れてるもんね。
人間が作ったものには、
もう意味なんて見出だせなくなっちゃったのかもしれない」
「そんな退屈な世界なんて、こっちから願い下げだね」
「良いこと言うな少年、じゃあ歌を聴かせてやれ。
空の上の天使どもに、お前の魂の叫びってやつをさあ!」
「………………いつくしみ深き 友なるイエスはー」
「おい少年、このタイミングで賛美歌は絶対違うだろ。
こら、止めろ、カホンをロック調で遮二無二叩くんじゃない。
何だ急にボケ始めて、好きな音楽とかもないのか君には」
「GRAPEVINEとかよく聴くけど」
「じゃあそっち歌いなよ!」
***
一ヶ月くらいは経っただろうか。
日付なんて記録していなかったけど、
おそらくだいたいそんなもん。
その頃になると、僕は彼女の家にちょくちょく泊まるようになっていた。
邪な勘ぐりはしないでくれよ。
どうせ朝には集合するんだから、
いちいち自宅に帰るのも面倒ってだけだ。
いつも彼女は自分の部屋で、
僕はリビングのソファで寝ていた。
寝込みを襲いに部屋に忍び込む?
ああ、そんな発想もあるにはあったさ。
だけど、僕のチキンっぷりを舐めないでほしい。
そんなことして関係が破綻したら、
いったい明日からどうするってんだ?
正直に認めよう。
僕は彼女に依存し始めていた。
もう一人でいると心細く感じるくらいには。
一向に生き物の気配がしないこの世界の中で、
手を引いてくれる、彼女の存在だけが
僕にとって確かなものになってたんだ。
分かっていたさ。
こんな生活はそう遠くないうちに
終わるんだろうなってことくらい。
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