第20話 お誘いとほうじ茶:甘味処「私雨」①
僕らは急いでパフェを頂いて、アイスコーヒーをがぶ飲みしてから、通りでタクシーを捕まえた。ちょっとしどろもどろになりながら、僕はなんとか目的の場所を入力する。その様子を見て、相葉はくすくすと笑っていた。……これだから自動タクシーは嫌なんだよっ。
そのまま30分ほど移動し、ビル群が消えて、背の低い下町と言っていい風景に変わっていく。相葉はあまりこっちの方に来ないのか、物珍しそうに窓の外を眺めている。そして、小さめの車がギリギリ二台通過できるくらいの通りで止まる。
「ここですか?」
「ああ、ここから一本か二本、奥に行ったところだよ」
タクシーから降りて、さらに小さな路地に入っていく。波瀬さんに紹介してから時々着ているお店だが、未だに地図をきちんと確認しないとたどり着ける自信がない。そしてようやくお店の前に辿り着く。木造で、古めかしくもきちんと整備されている外観に小さな看板が掛けられている。縦書きのそれを相葉は見ながら、
「甘味処……『しう』ですか?」
と聞いてくる。
「いや『私雨《わたくしあめ》』だね。一定地域に振るにわか雨のことだけど、そういうときに気軽によって欲しい、っていうのが由来なんだって」
「おっしゃれですねえ」
ははあ、と関心している彼女の姿を確認しつつ、僕はその入口である引き戸を開ける。
室内には近所のおばさまたちが何組かいるが、皆、お喋りというより手元の甘味に集中しているようで、全然騒がしくない。
「いらっしゃいませ。ああ、正文さん、お久しぶり」
萌葱色《もえぎいろ》の和装に、白いエプロンを合わせた女性が出てくる。確か30歳は通り越して久しいはずなのだが、僕と同い年くらいにしか見えない。相葉が「きれいな人ぉ」と呟くのも仕方ないし、僕も全く同意見である。
「ご無沙汰しております。湊さん。後ろにいるのは会社の後輩の……」
「相葉アイリです!よろしくおねがいします!」
相葉がこうやって挨拶する光景も見慣れてきたなあ。湊さんは上品に手を口元に当てつつ、綺麗なお辞儀をしながら挨拶を返す。
「初めまして。湊翠《みなとみどり》と言います。正文くんがお友達を連れてくるなんて、今日はいい日だわぁ」
彼女は作り物ではない笑顔を見せてくれるが、なんだかそう言われると少し気恥ずかしい。それに対して、相葉は微妙な顔になっている。会社の同僚なのに『お友達』とまとめられてしまったことに違和感があるのだろう。しかし、湊さんはこういう人だから仕方ないのだ。僕はもう慣れた。
「今日は、私雨謹製の和菓子を頂こうと思いまして」
「あらぁ、嬉しいわぁ」
彼女はギュッと両手で僕の手を包み込む。
「ほあっ!」
相葉が奇声を上げる。こういうボディタッチが多いのが彼女のコミュニケーション。慣れているとは言え、後輩にこういうところを見られると悪いことをしているようで……なんとなく、相葉の顔を見られない。ボソっと後ろから「デレデレしちゃって……!」と聞こえるのは、気の所為ということにしよう。
「うふふ。ささ、お座敷に上がってお待ちになっていてね」
そんな様子を全く気にしていないのか、湊さんは空いている席を手で示しつつ、メニューを取りに行ってしまう。
「相葉、あそこが空いているから座ろう」
「……先輩は年上好きですか?」
彼女は半眼でこちらを見てくるが、明らかに不機嫌になっている。急にどうしたんだ、こいつ。
「何を馬鹿なことを言っているんだ」
相葉の質問には答えず、さっさと席に座ってしまう。一度革靴を脱ぐのは面倒だが、仕方ない。
ちなみに、僕は特に年上好きではない、ということは断定しておこう。食事を一緒に楽しめる相手なら年齢は関係ない、そう思っているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます