第64話 第33.5局 師匠編⑨
師匠の家の大部屋。僕は、師匠と将棋を指していた。
家には今、師匠と僕の二人だけ。妹さんには、一旦家に帰ってもらっている。妹さんは、僕が「しばらく師匠と二人きりにしてほしい」とお願いした時、すこしためらっていた。妹さん自身、師匠の傍に居たいと思っていたからだろう。だが、最後には、「いったん家に帰るから。」と、僕の提案を受け入れてくれた。
ひっそりとした師匠の家の大部屋に、パチリ、パチリと駒音が響く。
師匠はずっと暗い顏だった。いつもの穏やかな表情を浮かべてはくれなかった。そんな師匠と将棋を指す。
苦しかった。本当に、苦しかった。そして、一手一手、その苦しみは大きくなっていった。
数十手後、駒音が全く聞こえなくなった。師匠は、いっこうに次の手を指そうとはしなかった。その手は、プルプルと震えている。さらに、その目は、目の前の将棋盤を捉えてはいなかった。
「師匠・・・」
僕は、師匠に語りかけ始めた。
どうして彼が将棋を指そうと言ったのか、全く分からなかった。最初は断ったが、「お願いします。」と何度も言われ続けては、断り切ることができなかった。仕方なく、私は自分で襖を開け、彼の前へと姿を見せた。彼は、いつも以上に真剣な顔をしていた。
大部屋に移動する。この部屋は、父さんや妹弟子、そして私がいつも将棋を指していた場所だ。大部屋の中心には、将棋盤と駒が1つずつ、そして座布団が2つ用意されている。私は、一方の座布団の上に正座する。それに続くように、彼は、もう一方の座布団の上に正座した。
将棋が始まる。一手一手、指すごとに、父さんが亡くなってから感じ続けている自分への怒りが、どんどん大きくなっていく。自分には将棋を続ける資格などない。父さんが教えてくれた将棋から逃げ、そして、あまつさえ、父さんの優しさにも気が付かない自分には。それなのに、今の自分は将棋を指している。そんな自分が心から腹立たしい。
数十手後、遂に私の手が止まる。もう、指すことなんてできなかった。怒りのせいで、手がプルプルと震えた。目の前に、すでに将棋盤はない。あるのは、私に対する怒りだけ。
「師匠・・・」
そんな私の耳に、彼の声が優しく響いた。
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